第46 回 西国街道(下り)  京都市南区 - 高槻市   2006年3月25日


 街道歩きの第1回目がこの西国街道だった。あれから3年半、今回は第46回を数える。
回を重ねるごとに街道の調査方法やウォーキングのノウハウも蓄積されてきた。
初期の頃では、ホームページの容量制限なども厳しく掲載する写真も大幅に制約が
あったため、ご覧いただいた方に、街道ルートを説明するところまでは至っていない。
 今回は関西在住の方にとって身近で手軽なウォーキングコースでもある西国街道を
京都市南区の東寺の西、羅城門跡から高槻までをご紹介します。

 当日の天気予報では、最高気温16度、快晴の天候。花粉の飛散は多いものの
ウォーキング日和の一日だった。
西国街道の起点は羅城門跡だが、最寄りの鉄道駅は、JR西大路、京都、地下鉄九条
などがある。 9:00に地下鉄九条駅に到着し、羅城門跡を目指す。



 九条通を西へ向かう。
見慣れた車の流れを横目にしつつ
も、陸橋の上から東寺の五重塔が
見えると京都であることを実感する。

 薬師寺の東塔は白鳳期の名建築
だが、東寺の五重塔の均整のとれた
裳階の並びはまた格別の美しさが
ある。





9:19 東寺到着


















 東寺と通称される教王護国寺は
平安京造営さい、羅城門の東西に
鎮護のために創建した東寺が起源。
823年に空海に賜り真言密教(東密)
の根本道場となる。









9:31 羅城門跡に到着。

地蔵を祀るお堂が九条通に面して
おり、その東隣りから少し奥に入った
ところに羅城門跡の標識がある。









天保3年の灯籠。

往来安全の道標

 お堂にお参りしていたら、隣の商店の60年配のおばさん
が清掃に来られ、挨拶を交わした。西国街道を歩くというと、
「わたしが子供のころは、この前の道は肥桶を引いた牛が
歩いていましたんや」と聞く。
 向日市文化資料館の1999年発行の「特別展 西国街道
と向日市」の資料によると、江戸時代、京都近郊の農村から
大都市京都の豊富で良質な下肥を牛馬で運び、帰りには
街道沿いの商家で日用品を買いととのえたりしていた。
 肥取りを巡って村々で争いが起きるなど、完全リサイクル
社会であった江戸時代の様相がおもしろい。
また、鶏冠井(かいで)村制法条目(1715年)では、村人
全員で「京へ肥やしとりに行くとき、分限にすぎた衣類を着る
ことを禁じ、茶屋で休む時にも無益な雑談をしないように」
取り決めるなど、当時の様子を彷彿とさせる。
−−−−−−−−−− 説明板より −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
羅城門跡
 この地は、平安京の昔、都の中央を貫通する朱雀大路(今の千本通りに当たる。)と九条通との交差点
に当たり、平安京の正面として羅城門が建てられていた。門は二層からなり、瓦葺き、屋上の棟には鴟尾
が金色に輝いていた。
 正面十丈六尺(約32m)、奥行き二丈六尺(約8m)、内側、外四側とも五段の石段があり、その外側に
石橋があった。嘉承三年(1107)正月、山陰地方に源義親を討伐した平正宗は京中男女の盛大な歓迎
の中をこの門から威風堂々と帰還しているが、この門は平安京のの正面玄関であるとともに、凱旋門でも
あったわけである。
 しかし、平安時代の中後期、右京の衰え、社会の乱れとともにこの門も次第に荒廃し、盗賊のすみかとなり、
数々の奇談を生んだ。その話を取材した芥川龍之介の小説を映画化した「羅城門」は、この門の名を世界
的に有名にしたが、今は礎石もなく、わずかに明治二八年建立の標石を残すのみである。   京都市
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羅城門跡の石碑の周囲は
児童公園になっている。

(写真:右)
羅城門跡から南を写す。
横断歩道を渡った右手に、鳥羽
作道が南へ直進している。
かつての朱雀大路の延長路。







 商家造りの虫籠窓のある旧家も
少数だが残っている。
(京都市南区唐橋)

 東寺を過ぎると九条通は国道171
号線となり、洛陽高校の南東端で
分岐するまでの約300mが重なる。







 九条御前 の5差路で西国街道
は南西へ曲がり、吉祥院を斜めに
横断し、桂川べりの道まで直進する。
そして久世橋で川を渡る。
(9:47)


吉祥院の街並み。
住宅、商家が並び、旧家屋も数軒
残っている。
道は真っ直ぐ延びている。




吉祥院の旧家。
戸が障子貼りであるのが、
京都のすごさを感じる。

(写真:中)
東寺へ一八丁

(写真:右)
愛宕山大権現
街道沿いでこの常夜燈は
よく見かけた。


 漬物屋で「すぐき」を買い求める。
京都の蕪を丸ごと酢漬けしたもの。

その前の道標。
『吉祥院天満宮へ近道 →
 西川石材』
古いものではなさそうだが、看板ではなく石の道標を
使うところがさすがである。











道標4点
『日向地蔵尊』
『日支事変記念』
『西之茶屋』
『ひむき地蔵尊』
『観音講中』



桂川手前のカーブ。
松が並んでいる。
その先で土手の道へ上がる。

久世橋が見える。
往時は、瀬渡しがあった。







 久世橋を渡った西側に「和泉屋」
が道路脇にある。
  『遊舩出舩元  いづみや
  遊舩料理 』の看板。
向日市の資料では、昭和30年の
この辺りの写真があり、この建物は
まったく変わっていない。
『乙訓の村々の入用帳に「和泉屋」
の名でよく登場します。昭和30年代
半ばまで続いた肥やし取りの休憩所
として、店の前の大木に牛をつなぎ、
煮物などをもとめて弁当をつかう人
が多かったそうです。』と解説され
ている。

 いずみやの前を下るとすぐに、
分岐があり、写真:左の照明灯
の下に道標がある。
西国街道は右の道を行く。

(写真:右)
照明灯下にある道標

(京都市南区久世)
道なりに右手へ曲がる。





久世の街並み。
古い家屋が点在してまだ街道風情
が残っている。











JA(かつての農協)、郵便局が
あるのも街道である証。
(久世)










(写真:左)
国道171号を、「久世殿城」交差点
で横断する。


(写真:右)
横断後すぐの次のT字路で、左折
し南行する。






(写真:左)
長屋門のある邸

(写真:右)
突き当たりの様子。
カーブミラーの下に道標がある。
 『愛宕大権現
   村内安全』

向こうに日本電産の高層の社屋
が見える。
西国街道は右へ曲がり新幹線の
高架下をくぐりさらに西へ直進する。

旧道はJR向日町駅を横断するが、
現在は迂回しなければならない。
一旦、北へ線路に平行して進み、
写真:左の地下道で駅の西側へ
出る。 (向日市寺戸町)
その後左折し駅舎の方向へ向かう。

(写真:右)
JR向日町駅
西国街道はこの駅前の道、府道
206号線を1kmほど府道67号線
との合流点まで進む。


阪急東向日駅の南側踏切
から見た五辻の交差点
(写真:中)
踏切手前の常夜燈
 『愛宕山常夜燈
   町内安全』
(写真:右)
商店街アーチの下の常夜燈
 『太神宮』
寺戸の伊勢講のひとつ、
築坂講が天保13年(1842)
に建てた。


 五辻の交差点を南西方向の道へ曲がる。
写真:左のカラー舗装してある道を進む。


(写真:右)
分岐点にある道標
『右 西山上人御廟道 』

 駅前らしく道沿いに飲み屋が続く。





梅ノ木の道標 (向日市寺戸町)

右は、寺戸宝菩提院や大原野神社、淳和天皇陵
桓武天皇皇后御陵。

昔はこのあたり一帯には梅の木が多かった。








 向日市寺戸町
和菓子屋で桜餅を買って、
近くの奥まった公園で小休止。


虫籠窓のある家屋も残る。
道幅が典型的な街道サイズ。







(写真:左)
右側の電柱下の常夜燈

 『愛宕権現
  町内安全』


(写真:右)
新しい道標 『西国街道』





 向日町上ノ町の愛宕灯籠
安永5年(1776)

(写真:左下)
府道67号線との合流点手前の家屋。虫籠窓、格子
がよく保存されている。

(写真:下)
薬屋の右手が西国街道、左(府道67号線)が物集街道。

物集街道側の道路標識の下に、向日町道路原標が
ある。(写真:下左)
















(写真:左)
分岐点の薬屋の西向いにある
文化資料館。
 石版には、ここが街道の分岐点
であることを示している。

『江戸期古道名
  右・西国街道
  中・あたごみち
  左・たんばみち 』




 向日市向日町
向日神社の参道が隣接。


鶏冠井町内、西国街道の東側
が長岡京の中心地。
このあたり一帯に内裏があった。







(写真:左)
鶏冠井町(かいでちょう)
説法石。鎌倉時代末、日蓮宗を
広めた日像がこの石の上で説法
をした。

(写真:右)
鶏冠井町の五差路。
西国街道は写真の信号左の小道
を進む。ここから約700m府道67
号線から分かれる。



向町、上植野町へと南へ進む。













 石塔寺。この地一帯は長岡京の
中心であり、造営長官の藤原種継
の暗殺場所はこの近辺と云われる。

紀貫之が土佐日記に記す「鳥坂」
はこの周辺とされる。


(写真:右)
ブロック塀の側に愛宕常夜燈が
ある。



(写真:左)
阪急西向日駅の南側の高架手前
で西国街道はまた府道67号線と
合流する。

(写真:右)
一文橋
(12:00)




















 一文橋から500mほど進むと馬場1の五差路が
ある。 府道67号線の東隣に平行して進む道が
西国街道。
写真:左)五差路からこの道標と、カラータイルの
舗装を目印に進む。

写真:右) 馬場町を過ぎ、神足(こうたり)1丁目で、
神足商店街のアーチがある。


写真:左下)
神足村道路原標



−−西国街道 五差路道標脇の説明板より−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 西国街道は京都の東寺を起点として、摂津西宮に通じる江戸時代の幹線道路です。
この街道は豊臣秀吉が朝鮮出兵に際して拡張整備したことから、秀吉が作った道と
して知られ、江戸時代には「西国街道」ではなく、「唐道」「唐海道」と絵図や古文書に
書かれています。
 東寺口から西へ桂川をわたって久世、向日町、神足を経て山崎へ至る街道は、乙訓
地域に住む私たちにとってなじみ深い道路です。
神足は東寺口から出発して2里(約8km)目にあたり、一里ごとに置いた一里塚があり、
旅の目印となっていました。
また、江戸時代の初めには街道沿いに永井直清氏が神足館(勝竜寺城)を16年間構え
ており、当時の絵図には武家屋敷などとともに「京口」「茶屋口」が描かれています。
 今も街道筋には古い街並みや道標が残り、寺社参詣の行楽客や旅人たちで賑わった
往時の様子を伝えています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

写真:左)
神足1丁目の様子。
比較的よく街道風情が保存され
ている。
写真:右)駅前通りを横断する。
新しい道標の側面に「西国街道」
正面に、
「長岡京
 延暦三年至ル延暦一三年
 桓武天皇王城ノ地ナリ」




写真:左)
神足2丁目の街道沿い、民家の
庭先に「JR神足」の看板。
もちろん線路は無い。
























神足商店街のアーチが再び見えた
ところで街道は右へ曲がる。
神足(買うたり)商店街、とはいえ
住宅が大半で商家はほとんどない。

曲がるとすぐに府道67号線に合流
する。







写真:左)
府道と合流手前にある道標
『右 山さき 』











調子八角の五差路
写真:左)
西国街道の進行方向
(南方向)

写真:右)
振り返って北向きの様子。
長岡病院を挟んで、右側が
西国街道、左は丹波道。

このあと、道路は対面一車線
の狭い道になる。


写真:左)
JR京都線の高架下をくぐり、

写真:右)
名神高速の高架下をくぐる。


 旧街道が往時の道幅のまま、
府道になっている箇所の典型。
カーナビに任せるとこういう道を
車で通ることになりかねない。



写真:左)
大山崎町役場を過ぎる。

写真:右)
左手の道が山崎道への分岐。
府道67号線は拡幅したり、往時
の幅に戻ったりしながら進む。







街道右手に見える鳥居。扁額には「観音寺」とある。


聖天宮 常夜燈
  「寛政九丁巳歳」









写真:左) 大山崎町歴史資料館

その先に、阪急・大山崎駅がある。
高架下の阪急そばで昼食を
とる。 (13:12)









JR山崎駅の直ぐ南に茶室で有名
な待庵の妙喜庵があるが標識は
ない。
駅の四分の一が大阪府という駅
に府界線があるのも珍しい。


京都府を離れ、三島郡島本町
から大阪府へ入る。

離宮八幡宮
(13:32)
境内へ入り参拝する。
鳥居の右手の碑は、
『本邦製油発祥地』(横向き)
『河陽宮故址』(正面)

常夜燈は、
『石清水八幡宮
 常夜燈 』 とあり、桂川の対岸
の石清水八幡宮とのつながりを
示している。






離宮八幡宮の境内を反対側から
でると街道はすぐに右へ、そして
左へ曲がる。
曲がり角に『従是東山城國』
の国境石があり、関大明神社が
ある。
摂津と山背国の境にある山崎の関
と云われる。

屋根掛けされているが、本殿は
室町中期のものとされる。



関大明神社から、サントリー大山崎
工場までの間の様子。

写真:下
サントリー大山崎工場、JR京都線
に接し、その先、島本町広瀬で
水無瀬神宮への参道に接する。





















櫻井駅跡
楠公父子の分かれで有名で、
像もあるが、ここではないとう
説もある。

青葉2丁目のあたりの様子が
前回歩いたときとずいぶん
変わっていた。
道なりに進むと、阪急上牧駅に
出てしまった。
写真:右)の右へ分岐する道が
旧道。


神内(こうない)へ入ると高槻市。
JR京都線の高架をくぐる。



自動車屋さんの敷地内に設け
られた休憩所。
「健康歩行のかた ちょっと
ひと休み 自動販売機あり」
の看板。 椅子、テーブル、灰皿
がある。 気っ風がいい。




梶原二丁目、一丁目の様子。


























 畠山神社
梶原一丁目
街道沿いにあり、参拝していく

このあたりは倉をよく見かける。























高槻市白梅町、JR高槻駅の
手前、西武百貨店のひとつ手前
の道で本日の街道歩きを終了
(15:37)
阪急高槻市駅へ向かう。
途中に銭湯(高槻新温泉)を発見。








 歩行データ
 33,605歩 / しっかり歩行:22,173歩
847Kcal/58.8g 、 20.2km

本日はiPod Nano, と新しいステッキを初めて使用した。
iPod nanoは、Shuffleで不便だった曲や、ジャンルの選択ができるようになり、
ウォーキングのペースや気分で事前に分類していた曲を再生できるのがいい。
期待どおりのプレーヤーで満足。
また、ステッキは従来のものと同一メーカーの製品(スタンダード:品番EBH184)
だが、40g軽くなっている。
体感でもはっきり分かる軽さであり、快適な使い心地だった。
ウォーキングの必須アイテムであるステッキにはこだわりたい。
このシリーズはT型グリップで、握り手がコルクになっているのが気に入っている。

 Evernew軽量スライドステッキ  3Sコルクタイプ 品番: EBH119  ネット通販で¥4,620
ショック吸収スプリング内蔵。超々ジュラルミン(#7001)パイプ。3段スライド式。石突プロテクター・小リング付(脱着式)。
二重成型コルクタイプSグリップ。
サイズ/53〜95cm。質量/210g(付属品含む)。


 街道歩きとしては、春シーズンのウォーミングアップとしての手軽なコースを選んだ。
西国街道は、JR京都線,阪急線と交通の便はよく、食料・飲料も不自由しない。
街道歩きの初心者のかたにもお薦めできるコースだ。
府道と重複する箇所では車に気をつける必要があるが、住宅も多いのでスピードを
出す車もあまりなく比較的安全だろう。
 西国街道は私の街道歩きの第一回目のコースだが、今回は京都側の起点から歩いた。
第一回目の街道ウォーキング初心者だったころのページを見ると、旧道の調査方法もわからず
カンと推測で街道を探したが、推理しながら歩くのもとても楽しかったことを思い出す。
しかし、道の案内としては説明が不十分でご覧いただいた人がルートを復元できるように
なっていないなど不備も多い。修行の途中なのでご勘弁ください。


 つづく


更新日:2006/4/22