<最強の資料発見>  2004/07/07

 各自治体で文化財保護・調査のために国からの助成金を受けて作成されたプロジェクトに「歴史の道
調査報告書」があります。
 先日、近所にオープンした図書館がインターネットからも蔵書の検索ができるので「街道」をキーワード
にして調べたところ、『歴史の道調査報告書 第二集 高野街道』がありました。
借りてみて驚きました。 まず、旧道を表示した1/25000地図が5枚あり、常夜燈・道標などの碑文を
ひとつひとつ地図上の番号に符号するように内容をリスト化されています。
まったく、このシリーズさえあれば、街道の調査という点で、このサイトの存在意義は失われてしまうくらい
すばらしい内容でした。
 神野清秀さんの「大阪の街道」には大阪府の略式の地図が一枚、巻末にあるだけで著者も詳細な地図
を付けたかったと記されており、読者としても実に残念に思っていました。

調査元は大阪府教育委員会・文化財保護課で、なんとか入手したいと思い電話してみましたが、既に在庫
はなく、問い合わせは多いが再版のめどもない、ということでした。
近畿版のこのシリーズは、『第一集 西国三十三所巡礼道』、『第二集 高野街道』、『第三集 長尾街道・
竹内街道 穴虫越道 岩屋嶺道 平石嶺道 水越嶺道 千早嶺道 金剛山嶺道 大沢峠道』、『第四集 奈良
街道 傍示越道 岩舟越道 清滝越道 中垣内越道 暗嶺道 十三嶺道 立石嶺道 信貴越道 亀瀬越道』
(ここまでは大阪府図書館のサイトで確認)、以後、第七集まであるそうです。
 各自治体の文化財保護課の方々のせっかくのすばらしい仕事なので、ぜひもっと多くの人の目に触れるよう
にできれば再版のうえ市販していただきたいものです。

『歴史の道調査報告書 第二集 高野街道』には、東西高野街道をはじめ交差する街道のルートも地図に
記してあり、街道Walkerとしては垂涎の資料です。コピーはもちろん、スキャナーで保存し、参照しやすい
ように加工して保存したのは言うまでもありません。


  <日本人の民族的宗教感覚と、そのユニークさ>
   2004/04/12

 日本人の多くは無宗教を自覚し、外国人にあえて自分の宗教を説明するときは、なんとなく「仏教」と
答えたりするものだが、無自覚に持っている宗教観はまぎれもなく神道である。
正月の数日間に、21世紀の今日でさえ、全国の神社に国民のじつに7割が参拝する。
無宗教を自覚する民族が、である。
 年が改まると、なんとなく新鮮な感じがするし、親族が亡くなると「仏さん」になり仏壇に祀られるが、2
,3世代経つとなんとなく神棚で「ご先祖様」として手を合わせる。

 嫌なことや恨みつらみを維持し続けることは苦手で、「水に流し」てさばさばしてしまうのが美徳とされ
ている。 そのため、人類で初めて核爆弾を一般市民の上に落とされても、落とし主のことは「水に流し
て」しまう。
 イスラム教徒やユダヤ教徒の上に落ちたのなら、こうはいかないはずだ。 アメリカは現在進行中の
イラク占領に、戦後日本の統治のやりかたを参考に臨んだが、レジスタンス活動に悩まされ続けている。
 世界の耳目が集まっていなければ、一般市民もまるごと焼いてしまう絨毯爆撃も辞さないだろう。
 この問題は人種差別や、宗教戦争の意味合いもあるので、展開は別に改める。

 要は、国際関係のなかで日本人は独特のリアクション、言い換えると「日本人同士でしか理解できない
」反応をすることがある、ということである。
いつまでも、呪ったり、怒ったりすることは「穢れ」が身にまとわりつく感じがして、さっさと「水に流し」てし
まう。
日本の国土の大半は豊かな山林を戴く山地であり、それが豊富な清流を全国いたるところにもたらして
いる。 戦後、河川は護岸工事でずいぶん様子は変わってしまったが、それ以前には、身近な清流で喉
を潤したり、身を清めたりすることは日本では当たり前の風景だった。
中国の荒涼とした大陸風景、砂漠地帯の不毛な風景、ヨーロッパの草原がちの風景、あるいは赤道地帯
の人を寄せ付けない猛烈な植物の繁茂。 海外の風景を対比すると日本の山の様子やそれを源流とする
川や清水に対する感覚が外国といかに異なるかが想像されるだろう。
日本の「水」は豊かな森に蓄えられ、山によって濾過された清水であり、基本的にそのままで飲める。
街道沿いにはいたるところに石清水のわき出るところがあり、伊勢神宮では参拝前に五十鈴川で身を清
めた。
縄文時代以前の、日本列島に人が住み着いた頃より、清流は飲水や自然の恵みを与えるだけでなく、高
温多湿の環境で汗や身に付着した汚れを落とす場所であったろうことは想像に難くない。
これが本来、清流で身に付着した穢れを落とす行為であった「禊(みそぎ)」の原型ではないだろうか。

 その一方の禊の対象である「穢れ」もまた、日本人の精神性を考えるうえで特徴的な概念である。
「穢れ」はもともとは身に付着した汚れであったが、身に付着した「不快なもの」まで意味が広がっていっ
たのではないか。
 高温多湿である日本の気象条件では、体を清潔に保たないと皮膚病に冒されやすい。
1865年の幕末に日本を訪れたシュリーマンは「横浜で荷揚げのときに疥癬にかかっていない人足を探し
たがだれもいなかった」と書いている。 戦後豊かになって社会の様相が一変したが、それ以前には当た
り前のようによく見る病気だったのである。
 そして皮膚病は医学知識の無かった大昔でも、外見でと異常がわかる病気であるから、清流で身を清
めるという清潔さへの指向が生まれるのは当然だろう。
 実は、神道の基本的な要素のひとつが、この清潔さであり、「神様は清浄を好まれる」として現代の神社
や日常の神事にもそれが反映されている。
 しかし、「身にまとう不快感」という枠でくくられる「汚れ」も「穢れ」も、現代の衛生概念や科学知識があれ
ばきっちりと区分けできるが、それが縄文以前にあったはずもない。
たとえは、科学的に完全に殺菌消毒すれば「汚れ」というものが無くなることは理解できる。
それでは「穢れ」の感覚はどうだろう。

 井沢元彦は、これを「箸(はし)」や「茶碗」を例に説明している。
アジア各国で使われる箸だが、割り箸は日本独特のものであり、家族でもそれぞれ使う箸が決まっている。
他人の家でごちそうになるときに、「これは私が何年も使ってきた高価な箸ですが、それと割り箸をどちらが
いいですか?」と聞かれたときに、割り箸を選ばない人はいないだろう。
衛生的には割り箸の方が問題があるとしてもだ。 森林伐採反対の熱心な運動家ならば反対の答えもうな
ずけるが、それを除外して、あくまで「感覚の問題」として考えると答えは圧倒的に「割り箸」だろう。

 自分以外の人が長年使っている箸や茶碗に対するこの抵抗感が一種の「穢れ」の感覚である。
その感覚が食器にとどまっている分には問題ないのだが、有史以前から蓄積されたこうした一種の迷信が
実は、部落差別問題の根本になっている。
「穢れ」には「死穢」、「血の穢れ」があり、いずれも高温多湿の環境で身近に放っておくと衛生上もよくない
ことが起こるものである。 これらも経験的にか、衛生上・科学的意味合いを越えて忌み嫌われるようになった。

人種も民族も文化も宗教もすべて均一な人々の間で、差別があることは世界史上でも他に例がなく、
墓堀や屠殺といった死体を扱い、血を浴びる仕事に対する「穢れ」の感覚こそが、差別の根底にあるという井
沢の説には説得力がある。
血の汚れとしては、女性もその対象であった。 お伊勢参りでも宮川の橋には月経中の女性用のものが別に
あったし、女人高野と云われるように聖域に女性は入れないのは、単に聖職者の禁欲を維持するだけの意味
ではなさそうである。 もともと神事である相撲で、女性知事が表彰するのに土俵に入れないのもこれが理由
である。
そして、「血の穢れ」に対する意識は、太平記や神皇正統記にも記述が読み取れるように、平安時代には刀
で斬り合う武士への蔑視を生み出したという。
さらに、戦後このかた日本人を呪縛している軍人嫌いは、この平安貴族のメンタリティと同じであり、自衛隊い
じめとさえいえる様々な事象には、実にこの穢れの感覚が背景にあるという分析は慧眼であると思う。

 井沢説で、もうひとつ重要なコンセプトが「言霊信仰」、「怨霊信仰」である。
 「言霊信仰」は言葉として発声したものは実体化する、というもので誰が聞いても今では迷信のひと言で片づ
けられるだろう。 ところが、日本人は未だにその影響下にあるという。
社長に「あなたが明日のる飛行機は落ちますよ」などとたとえ冗談でも言おうものなら、縁起でもないことを言う
なと気分を害されるだろう。また、受験生のいる家では「すべる」「落ちる」は禁句であるし、結婚式ではご祝儀
の金額にも「四」は「死」に通じるとして避ける。
なんとなく常識になっていることが、実は言霊信仰の影響下にある証拠である。
 「怨霊信仰」が歴史上文献ではじめて確認できるのが、菅原道真死後、平安京で落雷や追い落とし派の相次
ぐ病死に対して、その霊を慰めるとして始まった天満宮信仰とされるが、井沢はそれ以前にすでにあったとし、
天皇の諱(いみな)にその根拠を求める。
政変などで高いくらいのものが恨みをのんで横死したした場合に、祟りがないように死者を褒め称えるという。
生前、厩戸皇子(うまやどのおおじ) と呼ばれていた聖徳太子も政変で一家そろって暗殺されたという説が有力で
ある。 「聖」、「徳」と褒め称える言葉を使って諡としたのではないかというのが井沢説である。

 「名前を呼ぶ」ということが飛鳥、奈良時代には特別なことであることが万葉集からも読み解ける。
祟りをなす主には、褒め称えて機嫌をとらなければならない。古墳時代の人々の死生観は現代人のものから
推測しては誤るのである。 立派な陵を用意し、讃えられなければならない。
祝詞は、神主の言葉が神前に届くように一定の語調で発声しているものである。
 また、娘が男に名前を問われて、それを教えてしまうのは身も心も許すことと同義であった。
万葉集冒頭の雄略天皇の歌がそうである。
だから名前はごく近い肉親の間でしか呼ばれず、家の外では何某の女(むすめ)などと言う。
後年の平安文学でも作者は官職で名乗るか、その方式である。

 この名前を直接呼ばないという感覚は現代日本人にも受け継がれており、会社で呼ぶときは普通、役職で
呼ぶ。部下は苗字だが、上司は役職または、苗字プラス役職名だろう。
アメリカ人のまねをしてファーストネームで呼び合う会社があれば、日本人なら違和感を覚えるに違いない。
 このように、言葉、特にそれが発声されるものに対して日本人は独特の感覚があることを自覚した方がいい。
そして、言霊信仰の影響下にあることを自覚することで、連綿と続く日本独特の文化を意識することができるだ
ろうし、またそれが迷信であることがわかっていれば、社会的、あるいは国際的な文化摩擦を防ぐ理解にもなる
だろう。

 これまで、古代史を読み解く上で、画期的な井沢元彦の説を紹介してきたが、それらは同時に過去の分析
とどまらず、現代を読み解く上でのコンセプトも提供していることに気づく。
民族性、宗教感情などを歴史の縦軸に沿ってたどる作業は、同時に現代のポジションを明確にし、将来の方向
性を遠望する上で意義のあることである。

 神道はそういう意味で、日本人の精神史をたどるときに多くのヒントを現代にも受け継いでいる。
宗教として扱うには、ロジカルではなく、教義も教祖もいない。
むしろ、古代から連綿と続く日本人の精神性を受け継いできたものとして、接する方が正しいのではないか。
それは低く扱うということではなく、神道にあるものを注意深く見ていくと、「自然との共生」というテーマが基調
として存在することに気づく。
 神道に代表されるような、古代からの日本人のものの見方、感じ方というものは、自然を畏敬し、人間もま
た自然の一部であるというものであり、地球環境破壊が危惧される21世紀にも耐えうるすぐれた宗教的感
覚ではないだろうか。
 そして、それは古くから代々つづいてきた民族感情なので、他の文化圏とは相対的に比較しないとわから
ないくらいに民族的に根強いのである。



ホームページ作成
   2004年01月19日
 街道を歩きながら、下調べしたもともとの街道のコースを書き込んだ地図を見ます。
コースが不明な箇所があれば、地理的な条件や神社仏閣など街道に沿って建っていたと
思われるコースと新たに書き込み記録に残します。
ランドマークのポイントでは、通貨時間や万歩計のカウントを書き込んだり、道標・常夜燈を
記号で記します。
 またデジカメで記録した画像にはタイムスタンプがあるので、後日ホームページを作成する
ときには、地図に記した時間と画像のタイムスタンプで場所を特定することもできます。
 手のひらサイズの手帳には簡単なメモをつけたり、観光地によくあるスタンプを押したりする
ことに使います。
 こうした記録があるから、気候のいい時期はチャンスを捕まえては歩きにでかけ、今のように
寒くて活動できない時期には、記憶を咀嚼しながら二度楽しめるわけです。

この雑記帳では、街道や歴史、あるいはノンジャンルでの話しを不定期で更新していきたいと
思います。
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