第 50回 大和街道  岩出市 - 橋本市   2006年6月5日

紀ノ川・高野歴史街道実行委員会発行のルートマップ
に基づいて引き続き歩く。
日焼けで軽度の火傷状態により不調だった前回に続き、
岩出より橋本までを歩く。JR和歌山線で45分の距離だが、
この区間の街道は36kmあり、徒歩で8時間余りになる。
改めて鉄道のすごさを実感した。

南海高野線、橋本駅でそのままJRに乗り継ぐ。
精算はホーム上の連絡橋の通路に改札機が置いてあり、
そこで改札後(無人・機械のみ)JRのホームへ行く。
人を疑わないこの改札機の設置方法にはいつも軽い驚き
を感じる。



 この日は半袖で出てきたが、朝7時前の橋本駅では肌寒かった。
7:05発和歌山行きに乗る。
7:50、岩出に到着。 乗車時間は短く感じたが45分かかっている。
橋本からの運賃は570円。

JR和歌山線はワンマン電車で、駅員のいない駅舎ではバスの
ように運転席横の料金箱に切符や運賃を入れる。
朝の通勤時間帯に運行する急行は、岩出駅の次には和歌山まで
止まらない。
時間帯によっては本数が1時間に1,2本となる。




岩出駅前の仕出屋。
電話番号が4桁しか
看板にないところが
歴史を感じさせる。


写真:右)
駅を西側から回り込
む大和街道踏切。
進行方向を撮影。
(7:54)



 駅の南側の住宅街を抜け、春日川に出る
手間にあった道標。
土手道を左に進み、大冠橋で渡る。
月曜日なので登校途中の小中学生と
すれ違う。













紀ノ川氾濫原を過ぎ、
久保組鉄骨加工
センターのと記して
あるあたりの辻。
地図では直進のよう
に描かれているが、
実際は橋を渡って、
左折し用水路沿いに
進む。
直進すると方向が逆
になり、左手に久保組
の看板が見えたので
分かった。

岩出市岡田を抜け
下井坂で左折する。
大和街道の道標が
目印。
写真右ではカーブ
ミラーの左下に
埋もれるようにして
立っている。






 中井坂で県道
14号線に合流して
すぐに西田中神社
がある。
本殿は室町末期に
造営された春日造り
の羊の宮と流れ造り
の八幡神社からなる。
きれいに修復、手入れ
されている。
(8:27)



−−−−−−−説明板より−−−−−−−−−−−−−−−−
  県指定文化財  西田中神社本殿二棟
神社はもと羊の宮神社と呼ばれていましたが昭和二十一年に尾崎
(約400米東)にあった若宮八幡宮が移築合祀さ西田中神社と改め
られた。
旧羊の宮本殿(向かって左側)は様式上から室町時代末期の建立と
推定される一間社隅木入春日造りで装飾彫刻が多くかつすぐれている。
ことに向拝の木鼻が鯱の形をしているのが珍しい。
旧八幡神社本殿(向かって右側)は擬宝珠に寛永十二年(1635)の
刻名があり建立年代がはっきりしていることや二間社流造りの形式も
例が少ないことなどから貴重なものである。
                         紀の川市教育委員会
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 信号機のある
尾崎の交差点の
手前にある毎日新聞
販売店の手前で
旧道は分岐する。

大和街道の道標
が目立たない位置
にある。
(8:38)




岩出市花野


水田の向こうに
体育館とグランド
(若者広場)がある。
マップによるとトイレ
がある。






 上野
水田脇の道を
進み、用水路沿いに
進む。










写真:左)
上野バス停手前
で県道14号線に
出る。(8:50)

そこから400mほど
で街道は左へ分岐
する。






打田(うちた)

佐川を渡り街道は
ゆるく蛇行して、
県道14号と国道424
号線の交差点手前
に出る。
交差点の北東に
東田中神社の杜が
見える。




東田中神社
小さな太鼓橋を渡り
境内を進む。
(9:06)










−−−−−−説明板より−−−−−−−−−−−−−−−−
 県指定文化財
   旧竹房一ノ宮神社本殿
     一間社隅入り春日造り
 建立年代沿革とも確証はないが様式上から、室町時代末期
(一六世紀中頃)と推定される。軸部軒廻り等に旧状を残し特に
彫刻はすべて装飾的細部に見るべき点は多い。
本社はもと田中荘八社の一つで昭和二十一年頃ここに合祀された。
旧地は南南東約1キロの地点にある。
                       紀の川市教育委員会
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西田中神社といい、打田は室町期以降豊かな農業生産性を背景に
繁栄した地域だといえよう。

東田中神社を出て、
街道は国道24号線
を陸橋の場所で跨ぐ。
写真左手の細い道
が街道で、国道を
渡る直線上に続く。
マップには、「道が
分かりにくいので
注意」とコメント
している。




 上田井の八幡神社
(9:31)

境内入り口手前に
奥津城と殉国の碑。
建立年は確認して
いないが、「忠魂碑」
となっていない
ところが珍しい。





−−−−−−−−−−石碑より−−−−−−−−−−−−−−
八幡神社由来
承和元年(834)九月宇佐八幡宮の御分霊を迎えて紀の川のほとり
に社を構えて祀り、國家安穏 五穀豊穣 氏子の安全を祈ったと伝え
られる。
天文の頃(1550)までは紀の川のほとりに村落ならびにに社殿が
あったが大出水のため川筋改まりて現在地に遷り宮造りも古の面影
を失うという。
 本殿
  第一殿 応神天皇 (ほんだわけの尊)
  第二殿 神功皇后 (おきながたらしひめの命)
  第三殿 仲哀天皇 (たらしなかつひこの命)
 東の社殿 神功皇后 (おおともわけの命)*明治四十年合祀

境内の神社
古書には武内社 高良社 住吉社 磯良社の四社を祀るとあるが
その由緒等は不明である。
現在は次の神社を祀っている
 弁財天社 祇園社 荒神社 稲荷社 大将軍社 道祖神
   上田井八幡神社氏子中
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国道24号と紀伊
長田駅の南に延びる
道に出る。
土塀脇の地道の先
はコンビニの駐車場。
ここで飲み物、弁当
などを補給し、一服
する。






紀伊長田駅南へ延びる道を北上し、
地蔵堂で右折する。

道標
『 右 いせ かうや
  左 長田厄除観世音
    こかわ寺へぬけみち 』







 深田の様子
写真:左)
マップに「たまご屋」
とあるのがここ。
長屋門の立派な屋敷
だった。
屋敷の先に信号が
あるが、ここで国道
24号線を横断して
直進方向の細い道
を進む。
すぐに常夜燈がある。


 風市森神社

写真上段左の交差点
の向こうにみえる場所
に位置する。









 大きな道標

『右 いせみち
 左 こかわてら』

粉河寺への道は
細い農道になって
いる。
粉河寺はここから
北へ1.5kmほど。

このあたりから粉河。


写真:左)
藤崎井用水路の橋
を渡り、紀の川市
粉河プール正面で
左折し、用水路と
工場敷地フェンスの
間の道を進む。

写真:右)
中津川の土手に出
て北上し国道24号
線の橋を渡る。


橋を渡って2つめの
道を左折するが、
間違って川筋の道を
北へ進んだ。
粉河の役所、体育館
が集まったところに
野菜の直売所がある。
梅一袋200円など
粉河寺へドライブの
時には立ち寄りたい。
写真:右)
街道の右折ポイント


マップに「常夜燈
淡路街道起点」
とある箇所。
常夜燈の下の石は
道標になっている。
写真:左)は大和街道
進行方向に向けて。

水路には清流が
勢いよく流れて、
水の音がする。



高野の辻
西高野街道が南北に交差している。

『 右 かうやみち
  弘法大師永代常夜燈
  左 いせ まきのを@』

(10:50)






 東野 地蔵堂

ここで右折する。











 名手川を名手橋で
渡る。 (11:04)

名手市場には
懐かしい雰囲気の
商店が並び、虫籠窓
のある家屋も点在
する。






 名手市場

名手郵便局。
今は閉鎖されている。
郷愁を感じる昭和
建築。

写真:右)
名手本陣妹背家

(11:14)


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−説明板より−−−−−−−−−−−−−−−−−−
開館時間 10時〜4時30分
休館日  月曜日 ただし連休の場合はその翌日
入館無料

重要文化財 名手本陣妹背家住宅
史跡    旧名手宿本陣

 妹背家は中世以来、紀伊八庄司の一つに数えられた旧家で、
当時名手荘及び丹生谷を領した土豪であった。元和5年(1619)
徳川頼宣が藩主として紀州入封に伴って、在地の由緒ある者を地士として
処遇したとき妹背家は地士頭の扱いを受けた。又寛永年中より名手組(一九ヶ村)の大庄屋に任せられ
江戸時代末期まで代々勤めた。
 妹背家住宅は、名手市場村にあり大和街道に面しており、元和八年(1622)紀州徳川藩より本陣と
され主の参勤交代の折りの宿泊所や御鷹狩り等の休憩所としてい使用された。
 現在の居宅は、主屋と御殿部、米蔵、南倉からなる。記録によれば、正徳4年(1714)の市場村の火災
で類焼し後、主屋は享保三年(1718)に藩主徳川宗直を迎えるため新築したもので、御殿は延享三年
に増築されて現在みられるような建物となる。
宝暦初年(1751)には「こけら葺」を瓦葺に改められている。又主屋の西方南北に江戸時代の土蔵が
二棟並んでいる。
 妹背家住宅は主屋、御殿部、土蔵とも保存がよく、又建築年代が明らかであって大和街道沿いに
おける本陣の遺構としての価値が高い。
また屋敷の北側の群役所もこの時代に建設されており併せ旧名手本陣の規模を知るものとして貴重である。
 なお長い歳月、風雨によりいたみがはげしく復元改修工事が(昭和六十〜平成5年)なされたところである。 
                                紀の川市教育委員会
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 この日は月曜で
休館日にあたった。
東隣に寿司屋が
あり、ここで昼食
という手もある。

旧道の雰囲気も残し、
郵便局舎に見られる
ような昭和の風景も
感じられる街並み
だった。




名手市場の北には
19世紀初頭、日本
初の全身麻酔手術
を行った華岡青洲の
居宅と墓所がある。


名手市場を抜け、
穴伏でJR和歌山線
の踏切を渡る。
(11:21)



笠田(かせだ)に
入り、穴伏で穴伏川
を渡る。
写真:左)
北方向を撮影。
妹背橋とJR鉄橋が
架かる。
旧道は鉄橋のさらに
上流側で穴伏川を
渡った。
写真:右)方向を撮影
背ノ山(167m)


写真:左)
高田の陸橋
左手は紀ノ川、船岡山
街道は陸橋の下を
抜け背ノ山への上り
坂となる。

写真:右)
万葉集にも15首が
詠われたという船岡山
紀ノ川の流れの中に
あり、南岸と吊り橋で
繋がる。

背ノ山
JR踏切を北側へ渡り、
蛇行する坂道を登る。











JR 西笠田駅西側
の踏切を南へ渡り
線路沿いに東行する。
橋本からの行きがけ
に踏切側に大和街道
の道標が見えた。
「なんでこんな所に」
と思ったが歩いてみて
納得した。

写真:右)
西笠田のホーム。
無人駅。

写真:左)
船岡山の東端

写真:右)
線路沿いの地道
が終わり、踏切を
北側に渡る。







写真:左)
才蔵堀跡
(11:45)

写真:右)
分岐点 (11:49)
右手の隅に道標が
ある。大和街道は
右手の下り坂を行く。





カーブする国道24号線
が見え、右手の川べり
には背ノ山パーキング
万葉の里が見える。


マップに「ガード下を
くぐり抜ける。
間違わないよう注意」
とされる箇所。




旧道から少しはずれて
道の駅で昼食休憩。
(11:56)
敷地内に食堂があり、
隣りにも、ファミリー
レストランがある。
暑い中、弁当を持ち
歩かなくても良かった。

川辺の斜面に腰を
降ろし紀ノ川を見な
がらの昼食。


伊都郡かつらぎ町
萩原
新しい下水処理場の
横から街道に戻る。
マップ中「田んぼ」
と記してあるところ。

写真:右)
風呂谷川を渡る。
(12:37)




 笠田中から笠田東
へ向かう。
名手宿とならび街道
風情が残る道。










一字一石塔
電柱手前にある。


写真:右)
一字一石塔正面より。
道中の安全を祈願して
建てられた。






笠田東
緩やかな登り坂を
曲がると平坦な道が
続く。
外灯には町(丁)名
がそれぞれ付けて
ある。

写真:左) 「楠丁」

写真:右)「戎丁」
左側にかつらぎ笠田
郵便局がある。

笠田東

写真:左)
 脇道にあった
宝来戎神社

写真:右)
堂々とした倉の
佇まい。
この近辺には町の
規模の割に呉服店
が多い。往時の繁栄
を偲ばせる。

 街道を行き過ぎると
北側に野半の里
見えた。 (13:00)
グリーンティー¥300
を飲んで10分小休止。
暑いし、疲れたので
ここで風呂に入って
帰る誘惑に駆られた
が、和歌山線までの
交通費を考えて、
続行することにした。



野半の里から少し戻る
と凝った門構えの家が
ありその東隣の小道
が大和街道。
左手の電柱下に道標
がある。

そこを直進すると、
国道24号線に出る。
(13:16)
横断して一本南側の
道を歩く。


佐野

 笠田駅前 交差点
手前で国道24号線と
合流する。
交差点北東方向へ
延びる斜めの道が
大和街道。
コーナンの前を通る。





大谷郵便局
(右手に四角いポスト
がある)

かつらぎ町役場
(13:39)
マップではその
東隣りに書店とある
が、現在はローソン
になっていた。
国道の北側には
かつらぎ郵便局が
ある。

 桜谷川の手前
マップでは国道から
南側へ鍵型に曲がる
箇所。
写真、カーブミラー
の場所で右折しすぐ
に左折する。
電柱左下に道標が
ある。

 水量の豊富な用水路
に沿って進む。


 かつらぎ町 妙寺




法花全部一字一石塔








 妙寺


 妙寺郵便局
(14:04)









 妙寺の街並み













弁天谷川を渡る手前
に地蔵堂がある。

 延命地蔵
左下に法花一字墳
(14:13)








 中飯降(なかいぶり)

電柱下に道標

小川の北側を歩く。
南側に天満宮の
太鼓橋。
(14:17)






 天満宮の境内













 道標
『右 高野慈尊院
 左 いせ』











伊都郡高野口町
 大野

中谷川の東岸で
国道24号線を横断。
(14:24)








 大野


写真:右)
嵯峨谷北橋を渡る
(14:39)








大野

 高架下をくぐる。
手前休憩所で一服。


写真:右)
左斜めに道が分岐
しているが、街道は
直進する。




 高野口町 名倉


写真:右)
左手のビルは
高野口郵便局








マップ中、高野口駅の
南側で北側へ湾曲
するババタレ坂が
ある。
かつては急な坂だった
らしい。
大和街道はここで左折
するが、直進する道が
あったために、迷って
しまい、曲がらずに
直進してしまう。
(15:02)


写真:左)
 なんとか方角に見当
をつけて、住吉神社
常夜燈に出る。
(15:14)

写真:右)
マップ中、北側へ左折
する地点。
北東角に道標あり。




 名古曽廃寺跡
(15:21)












−−−−−−説明板より−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 一里松
 紀州では江戸時代参勤交代の道として伊勢街道(大和街道)が完成
された。
この道は和歌山市京橋北詰札の辻を起点として、紀ノ川沿いに伊勢松阪
に至る街道であった。高野口町の一里松も戦争中に切り倒されたが、
このたび文化財愛好者の復活の声により、教育委員期阿、文化財保護
審議委員会と町の有志の強力により復活した。
高野口町の一里松は和歌山四箇郷の一里松より数えて十里に当たる
十里松であって、古より数々のエピソードが秘められた由緒ある一里松
である。               昭和六十三年 高野口町教育委員会
                      高野口町文化財保護審議委員会
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

一里松から山手に
三彩蔵骨器出土地
がある。

写真:左)
 田植えの時期

写真:右)
珍しい鳩舎。





名古曽













応其(おうご)
「こんにちは」と元気
に挨拶していった
子供。

写真:右)
橋本市神野々
ため池の南側
登り坂の手前に
『一言主神社
是ヨリ3350米』
の石碑がある。
葛城古道かも。

 神野々(このの)













神野々
紀伊山田駅の北側

椎見神社










 橋本市 野













 橋本市 野

高台から橋本市街
が見えてきた。
このあたりは銭坂城跡
で、堀跡に囲まれる。








坂を下りて踏切を
渡り、国道24号線
に合流する。
(16:00)

写真:右)
街道は50mほどで
北側に分岐する。






市脇2丁目













 橋本市 東家




写真:右)
大師の井戸
(16:13)




















東高野街道から
町石道を歩いたとき
の道標と分岐の場所
に出た。
(16:18)









橋本川を渡る。
以前ここに来たとき
には松ヶ枝橋は
改修工事中だった。
橋を渡り右手へ、
アーケードのある
商店街を進む。
寂れ方がすごいが、
高度成長期以前の
商店街の風情が濃厚
にあり、なんとも
もったいない。


橋本まちかど博物館
ベルリンオリンピック
の英雄、前畑秀子
の資料が展示して
ある。
あの「ガンバレ 前畑
前畑 ガンバレ」の
資料映像を思い出す。
当時、世界に誇れる
のは、海軍と前畑と
云われたくらい、
国民的英雄だった。


街並みを有効に生か
した資料館。
商店街の古さを逆に
売り物にした整備が
できると魅力的な
街並みになるだろう。








木彫りの店
普通の商店街には
無いだろう。


月曜日のせいなのか
閉めている店が続く。







商店街を北に折れ、
応其寺脇から駅へ
抜ける。

16:29 橋本駅到着

歩行データ)
歩行時間:約8時間
歩数:46,597歩
距離:約36km




2009/5/4) 漂鳥様のご指摘で長田観音手前の道標の文字について、
  左 長田厄除観世音
    このてらへの辻道  を「こかわ寺へぬけみち」と修正しました。

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