第49 回 大和街道  和歌山市 - 岩出市   2006年5月9日

紀ノ川・高野歴史街道実行委員会発行のルートマップを使い、和歌山市から紀ノ川沿いに東へ歩く。
三重県の街道マップでもそうだが、こうしてPDFファイルで街道ルートが用意してあると本当に助かる。

 この日の天気予報は、晴のち曇り、気温27度。実際に湿度も高く
おとといの中ツ道と、昨日の西国街道の疲れもあり、4時間程度の
ウォーキングで、風呂に入って帰ってきた。

 大和街道としては和歌山城大手門を起点として、京橋を渡って本町
通りを北上する。
大和街道は紀ノ川の北岸を川に沿って東行し五条の手前で奈良県に
至る。川沿いの広大な平地は、土の肥沃さ、日照の量、豊かな水利に
よって農業の宝庫であり、紀州徳川藩の財政の豊かさを偲ばせる。
現代でも水田はもとより、桃、柿、蜜柑など果物の産地としても有名。

 9:20に南海和歌山市駅を出発。



 和歌山城も名古屋城と同じく昭和
20年の米国戦略空軍の無差別焼夷
爆撃によって焼き払われた城である。

 戦後再建されたが、建築基準法に
よって、木造の高層建築が許されず、
鉄筋コンクリート製となった。
文化財は除外するなどできなかった
ものだろうか。



−−−−(説明板より)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
和歌山城は、天正13年(1585)に紀州を平定した豊臣秀吉が弟の秀永に築城させたのが始まりです。
その築城を担当したのが、築城の名人藤堂高虎でした。昭和20年(1945)7月9日の戦災により、その
英姿を一夜にして焼失してしまいました。
それから11年後の昭和31年(1956)7月、ようやく敗戦の虚脱から立ち上がる第一歩として「和歌山城
天守閣再建期成会」が結成され多くの方々の熱意と浄財によって昭和33年(1958)10月1日に天守閣
は見事に再建されました。郷土のシンボルとして和歌山人の愛郷心を育んでいます。
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本町6丁目に
本町温泉夢想の湯
(閉館)がある。
大和街道を東から
西へ歩く場合には
和歌山市駅から徒歩
10分程度のうえ、
街道の途中にある。

踏切を越え、次の道
を右折し、国道24号
線に合流する。



国道24号線の南側
に並ぶ嘉家作りの家。

紀ノ川堤防の南岸の
家並みで、斜面に建
てることで中二階の
ある独特な構造に
なっている。
今は写真のあるあたり
に数軒が残るのみ。




 地蔵の辻
国道拡幅工事のため
南へ移転されていた。

県道141号線と交差
するところで、交差点
の名称にもなってい
るのに、場所が確保
できなかったので
移転したと説明して
ある。
困るなあ。


 阪和自動車道の
高架の下をくぐると、
国道24号線から
別れ、北側に分岐した
道をたどる。


街道沿いには郵便局
と並んでおなじみの
JAがある。(出島)
「JA」という名称より
農協の方がしっくり
くると思うのだが。

 和歌山市出島にある道標。

『左 紀三井寺
   西国三十三

 右 和 歌 山
    加太    』

明治十六年





 紀州大橋に続く
国道24号線の高架
下をくぐると、
根来寺不動明王の
碑がある。
寛政十年

裏面には、「これより
十二丁...」と根来寺
までの道筋が三行に
わたって記してある。



直進すると堤防へ登る
道に突き当たる。
南田井之瀬橋のたもと
、田井之瀬交差点で
県道14号線に合流
する。

道路標識は、
「岩出8km、
奈良92km」とある。
奈良はかなり遠い。



紀ノ川が左手にあり
眺望が開けているのは
よいが、千且の交差点
まで(写真:左)の約
2kmの区間は歩道が
なく、交通量は多い。

写真:右)
交差点を右折すると
団地がある。
(11:10)
和歌山駅から2時間
のあたり。

県道9号線に合流。
 大木の南側の斜面
に古い墓石が集めて
あった。熊野古道・
紀州路を歩いたときに
ここを歩いた。

写真:右)
吐前王子100m手前
の踏切。
紀伊小倉と布施屋駅
の間。


 馬次の地蔵堂
(11:48) 吐前

コンクリートブロック
のお堂。隅に掃き寄
せられたようにして
常夜燈(寛政十年)
も置いてある。







県道9号線を
大垣内(おおがいと)、
新庄、下三毛、上三毛
と進む。









マンションの側に
ひっそりと佇む鳥居。












上三毛で県道9号線
は県道14号線と合流
する。
写真:左)
焼き肉レストランの
駐車場裏を通る。
堤防沿いの14号線
は500mほどの船戸
交差点で岩出橋の
たもとに出る。




岩出橋手前の川縁へ
少し下りたところで
昼食にした。
(12:41)20分休憩。

写真:右)
300mほど紀ノ川上流
にかかるのは鉄道橋。
街道は岩出橋と鉄道
橋の中程を渡ってい
た。



 岩出橋を渡り、
旧渡し場のあるところ
を堤防沿いに進む。

蒸し暑いし、連日の
街道歩きで腕、顔と
日焼けがひどく
かゆい。
堤防沿いの道をその
まま行くと、川が曲が
るところに公営の銭湯
があるので、寄って
みた。 (13:22)

いわで御殿
かつて紀州徳川氏
の別荘があった。
吉宗も幼少時ここで
すごしたという。

デイサービスセンター
を兼ねた施設で、2階
の風呂の隣では
カラオケ宴会が行わ
れていた。
平日の昼間で、
風呂は貸し切り状態。

歩行データ)
25,401歩 /しっかり歩行 22,618歩
778Kcal / 消費脂肪 56.4g
距離: 18.9km

4時間弱の歩行時間だった。








  つづく



更新: 2021/5/25 リンク切れ修正