第 68回 能勢街道 大阪市・梅田 - 川西市 一の鳥居駅 2009年9月14日
能勢街道は大坂と能勢地方を結ぶ街道で、炭・薪・栗・柿・木材・銅・銀が能勢から、池田からは酒・植木が運ばれた。 大坂からは衣類・干物・魚・塩が池田を経由して運ばれた物流の道である。 中国街道と中津1丁目で分岐するので起点は中津とされる。 秋の街道歩きシーズンにはちょっと早いが、ウォーミングアップを兼ねたが、最低23度/最高32度という気温で10時くらいまでは快適だったが、昼過ぎには汗だくになる。 中津で降りるつもりが、止まらなかったので梅田茶屋町口より歩き始める。 (7:45) |
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北区中津一丁目1 萩之橋跡 右)北方向の様子。 右手のビルの角に「元萩之橋」の碑がある。中国街道はここを西へ進む。 明治の淀川改修以前は北へ直進したところで橋を渡れた。 |
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西へ向かいJR線をくぐる。 十三大橋の高架下から階段で上がれる。 |
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十三大橋 昭和7年完成。全長681m |
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北岸東側に交通安全地蔵が祀られている。交通戦争と呼ばれた高度経済成長期、事故の多かったこの橋のたもとに昭和43年建立された。 それ以後30年たっても死者が出ていないという。(平成9年の説明版より) |
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橋の北岸西側に 「十三渡し跡」の碑がある。 石碑側面の説明 「中国街道が、中津川を越える渡も明治11年)1867に十三橋が架けられて廃止された。渡しの南岸は明治42年(1909)竣工の淀川改修で河底となったが、北岸はこのあたりであった。」 下段の図にある「現在地」はここ十三大橋の北岸の位置。 |
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明治の淀川改修以前との比較。 (現在の淀川に着色してみたもの。) 淀川は十三大橋の北で鋭角に曲がり、いくつかの洲を持ちながら蛇行して南下していた。いかにも洪水による被害が発生しそうなかたちをしていた。 右端の直角に東へ曲がっている箇所が上の写真にある中津1丁目のあたり。 北上すると旧淀川の手前に集落があって架橋されておりそこから北岸へ渡り、西側の集落を通って川から離れて北へ延びる道に繋がっている。 (赤線) 地図は大阪市教育委員会の説明版より。 |
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淀川へりを東へ700mほど行きはじめの信号を過ぎたところで堤防を降りて北へ行く。 このあたりは旧道は消失しているので、十三小学校の東側に出るように進む。 道に迷ってしまったが、十三小学校を目指して軌道修正する。 写真・右) 十三東4丁目3の阪急・能勢街道踏切を渡る。 ここからは道なりにまっすぐ北上する。 |
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写真:左) 新幹線の高架をくぐる。 淀川区木川西4丁目 写真:右) 阪急宝塚線・三国駅の東側を通る。 |
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西三国4丁目の三国橋の南で分岐するが、西側の道を進むと、すぐに三国の渡し跡がある、三国橋に出る。 (9:05) |
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三国橋を渡ったら、はじめの分岐を右へ進む。 天竺川の西岸を北行する。 |
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庄内東3丁目で天竺川が曲がるところで分岐箇所がある。左手の道へ天竺川から分かれる。 稲津町2丁目の分岐点では右手の道をとり北行し、 名神高速道路の高架下を通る。 (9:32) |
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国道176号線のひとつ東側の服部南町の住宅街を通り、国道へ出ると西側に服部天神がある。 手前の百円ショップで飲み物を調達する。 |
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服部天神宮 手水鉢の向こうに草鞋の山がある。 手前には道真公の銅像がある。 |
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豊中市城山町1丁目で国道から東へ分かれ北へ平行してすすむ。 写真:右) 長興寺南2丁目北東角の 道標。 『右 みのを 勝尾寺みち 左 池田みち』 |
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写真:左) 道標を東(箕面)方面への様子。 能勢街道(池田道)は道標の左へと直進する。 |
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南桜塚の交差点で国道176号線を西へ渡り、旧道はここで分岐し西側の道を阪急岡町駅へ向けて進む。 分岐点手前の和菓子屋 杵屋。桃まんじゅうがうまそうだった。 |
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岡町のアーケードへ入る。 アーケードは原田神社の参道となっている。 能勢街道は原田神社に右手に沿っている。 |
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原田神社に参拝後、お稲荷さんの赤鳥居のある拝殿右手からアーケードに戻るが、出てすぐに左へ道を間違ってしまった。もとに戻り、神社から直進する方向のアーケードを進む。 アーケード街の意外な規模に、かつての北摂の中心とも云われた繁栄が偲ばれる。阪神大震災で多くの由緒ある家屋が倒壊したという。 震災前に訪れたかった町だ。 |
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岡町に残る虫籠窓のある家屋。 3軒だけだが修復され残っていた。 |
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府道99号線を横断し、岡上の町を通り、阪急・豊中駅前の国道176号線へ合流する。 |
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写真:左) 豊中駅前 (10:50) 昼前だが駅前のケンタッキーフライドチキンで、サンドセットを食べる(650円) 運動中は疲労がどっと出るので炭酸は御法度だが、冷たいコーラがうまい。 20分ほど昼食休憩を取る。 写真:右) 明治に作られた新能勢街道は現在の国道176号線と重複するが、それ以前の能勢街道は駅前の交差点を北向きの道を取って刀根山を越える。 |
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旧道は千里園、刀根山を越えて、中央環状線・中国自動車道を渡り、阪大前北へ出るという登り坂のルートを通る。確かに物流の道としては坂はたいへんだろう。 千里川を渡る。 (11:22) |
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千里川を渡ってすぐの分岐を左手に進む。 刀根山二丁目 なかなかの急坂だ。 |
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刀根山二丁目で、公園の手前でT字路になっている。正面には道標がある。 『左 妙見みち 茶@上町講中』 |
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中央環状へ出る。 写真:右) そのままの進行方向を撮す。 右手10m程に阪大へ続く橋がある。 (11:41) |
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中国自動車道にかかる橋を渡ると、阪大に出る。左折して下り坂を200m程行き、中央環状から右手に分かれる。 | ||
清風荘1丁目15で国道176号線から西へ分岐する。 | ||
阪急宝塚線の踏切で、西国街道と交差する。 写真:右) 踏切を西側へ渡るところ。 能勢街道は右へ曲がるが、西国街道はそのまま直進する。 (12:18) |
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石橋の商店街を抜ける。 | ||
商店街の和菓子屋では月見餅をよく見かけた。中秋の名月の季節だ。 能勢街道は朱塗りの橋を渡って右折する。 |
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池田市に入るとこのような案内地図が要所に設けてある。 能勢街道は妙見山への参詣路でもあるのだが、物流の道としても賑わったせいか、道標が少ない。比較的平坦な土地を北へほぼ直進する道だったので往時の旅人もあまり迷わず歩けたのだろうか。 すっかり姿を変えた現代ではこうした案内図は助かる。 下調べも必要なく迷わず通しで歩ける古街道があちこちでできないものだろうか。 |
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井口堂の道標 写真:左) T字路の右手に道標と、案内板。 写真:右) その正面から写真 写真:左下) 案内版のアップ |
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写真:右) 案内版にある 1 ニシンジョの地蔵と道標 の箇所。ここで直角に曲がる。 |
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写真:上段) 水口公園にある説明碑 滝のある公園で小休止。 (12:48) |
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池田市民病院の北側を街道は通るが、ここで小一時間、親戚のお見舞いをする。 写真:右) 上池田の辻が池公園 (14:00) 街道は公園の北側を回り込むようにして、西へ進む。 |
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写真:左) 辻が池公園の北側で分岐する道が旧道。車道は公園をぐるりとと囲むようになっているので見落とすかもしれない。 写真:右) その道を直進したところにある案内板 |
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かつて池田の中心街だった栄本町 |
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写真:右) かつては銀行だったのだろうか。洋風の建物。現在は給食用白衣の会社が入っていた。 |
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落語みゅーじあむ 写真:右) 古い家屋を利用したラーメン店 |
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栄本町を西へ抜け、国道173号線を猪名川沿いに北上する。 | ||
阪神高速の高架下を左へ抜けて、国道173号線は古江橋を渡る。 | ||
古江橋を渡ったところにある案内板。 右下が北の方角になる。 点線箇所の説明は「江戸時代はこの道で山越えをしていた」とある。 新道ではなく古江町を山越えして鼓滝駅へ進む。 |
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国道がカーブするところで山へ向けて道が分岐している。 (15:00) 結構きつい急坂 |
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古江町の丘陵を登り切る。 頂上(15:06) 下り坂も急勾配 古江町内では道標も無く、高台から見下ろす景観は、恐ろしいほどびっしりと開発された川西市街であり、これなら国道に沿って進んでもよかったと思う。 |
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坂道を下り能勢電鉄妙見線・鼓滝駅の北で踏切を渡り、線路の西側を平行して進む。 (15:12) 多田駅 (15:20) 駅の間隔は短い。 多田はかつて銀が産出されたところ。 この先で国道173に再び合流する。 |
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西へ周り、多田神社を経由して平野駅へいくルートが旧道ではないかと思うが、スキップしてそのまま国道を行く。 (15:28) |
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一の鳥居駅到着 (15:45) 道の向こうに見える天守閣は 歴史文学博物館 能勢街道はここで国道173号線と分かれて国道477号線を妙見口駅まで行く。 |
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淀川のあたりは明治の川筋の改修の上に、現代の土地開発によって街道風情はほとんどなかった。 豊中に入って、岡町のあたりは雰囲気があったが、阪神大震災によってずいぶんと様子が変わったらしく その以前にはもっと街道風情を残す街並みだったろうと想像される。 池田も古い町だが、北摂の住宅街として開発が進んでしまってせっかくの歴史ある町が新興住宅地なみに 味気ないものになりつつある。 その危機感からか、栄本町では落語みゅーじあむの開設や昔の街並みの復元に取り組み始めていることが 感じられた。 それにしても思うのは、紀ノ川沿いの五條や橋本の本物度のすごさだ。 かつては繁栄を極めた豊かな経済をもつ町だったが、経済構造の変化によってさびれてしまうのだが、 それが乱開発により破壊から護らる結果をもたらした。 通り一遍のレジャーに飽きた観光客はより本物を志向するようになる。 北摂の乱開発は仕方ないとはいえ 残念でもある。 一の鳥居から先の妙見山への参詣道には街道風情を期待したい。 気温だが、やはり30度を超えると汗がすごく、水分の補給には2g以上の水分を取ってもまだ喉が渇いた。 歩行データ: 37,324歩 / 28,304歩 しっかり歩行 1,379Kcal, 消費脂肪 87.7g 30.6km |
更新日: 2021/5/25 リンク切れ修正