第 67回 山の辺の道・横大路  天理 - 橿原市 大和八木   2008年5月12日

 5年ぶりに山の辺の道を歩く。このコースは奈良盆地の東側の山裾を通るので、鉄道路線が平行しており誰にでも気軽に楽しめる。 今回は、今年早期退職された会社の先輩へ奈良の風景や街道の魅力をお伝えしたい、というのが目的である。
 前回は秋だったが今回は5月の新緑の季節で、同じ街道でも季節によって異なる風景が楽しめると思う。
天気予報では最高気温22度、快晴といウォーキングには最適の気持ちの良い天気だった。
 7:40に近鉄天理駅に到着。
駅構内のコンビニで弁当を購入。
 近鉄・ハイキングマップの「山の辺の道」が便利。駅構内にもイラスト地図のコース案内があるので、合わせて利用したい。

天理駅から東へ、アーケード街をくぐり天理教教会本部へ出る。本部から鳥居をくぐり布留交差点で南へ。橋を渡ってすぐに東へ曲がり石上神宮を目指す。
 9:23 石上神宮(いそのかみ)到着。
奈良時代に編纂された日本書紀に伊勢神宮とともに記された最古級の神社。

 手水舎の傍らには神の使いとされる鶏が元気よく鳴いている。 春日大社は藤原氏の氏神を祀るが、武甕槌命(たけみかづちのみこと)が白鹿に乗ってやってきたとされることから、神の使いとして今も大切にされている。
 石上神宮は「武(もののふ)」の語源ともなった物部氏の氏神(主祭神は布都御魂大神(ふつみたまのおおかみ))を祀る。 鶏との関係は不明で、神職の方に伺えばよかった。
 石上神宮は本来、南に位置する大神神社(おおみわじんじゃ)と同様に本殿を持たず山域をご神体とする最も古い形態の神社であり、それは神道の原初の姿を思わせる。  現在の拝殿は平安後期の白河天皇が宮中の新嘉殿を寄進したものだが、白河天皇と言えば「天下三不如意」で知られる。賀茂の治水、賽の目と叡山の僧兵が意のままにならないという事を表すが、裏を返せばそれ以外はなんでも意のままになるという権勢を誇った天皇だった。 公地公民が原則であった律令体制の中で、荘園という脱税システムにより国土の大半を私した藤原氏の摂関政治を抑え、院政を開いた。 寄進先が春日大社の南隣ともいいえる石上神宮というのも興味をひく。
 内山永久寺跡
平安時代、永久年間(1113〜1118年)に鳥羽天皇の勅願により興福寺の末寺として創建されたが、同時に石上神宮の神宮寺としても発展した。
 豊富な寺領を持ち、室町期には絶大な勢力を誇り、江戸時代には「西の日光」とも呼ばれた。 
 明治の廃仏毀釈により寺領は没収され、40余りあった堂塔も仏像、美術品とともに破壊や略奪された。こうして寺は廃寺となり、僧は還俗したり神官となった。 明治初期の「嵐」とも形容される神仏分離令、廃仏毀釈のすさまじさは今ののどかな風景からは想像もできない。

写真:左)
 万葉歌碑がところどころにある。

写真:右)
アスファルト道に出て、畑の畦を曲がるが、道の向こうに市街を見下ろす。市街地のさらに向こうには生駒山系が遠望できる。

写真:下)
南を望む。耳成山、畝傍山が遠く見える。
夜都伎神社を過ぎ、ビニールハウスに挟まれた道を行くと無人販売の休憩所「せんぎりや」がある。 中にはテーブルと椅子もあり実に親切。冷蔵庫に入った苺を買って小休止。
写真:左) ふたたび休憩所。 山の辺の道は歴史と風景のすばらしさはもとより、道の平坦さといい、どこからでも鉄道を利用できるという安心感もあるうえ、こうした土地の人たちの暖かいもてなしが伝わってくる。
写真:右) 竹之内町の環濠集落では水道工事のために集落を迂回しなければならなかった。しかし、そのおかげで地元の神社にも立ち寄り、生活の様子が垣間見えてよかった。
萱生町戦没者慰霊碑。大東亜戦争の記憶が風化するなか、平成18年建立と新しいのが珍しい。
写真:左)
太神宮の常夜燈。

写真:右)
大和(おおやまと)神社御旅所。
大和神社はこの地の西へ降りた上ツ道のそばにある。

写真:左)
飛鳥時代の万葉歌人、柿本人麻呂の歌碑。

写真:右)
念仏寺
11:28 トレイル青垣 到着。 約30分の昼食休憩


 崇神天皇陵の南西方向に耳成山と畝傍山が重なって見える。
 景行天皇陵を過ぎ、ビニールハウスの間を抜ける。
柿本人麻呂の出身地と云われる穴師を通る。
アスファルト道を東へ。なだらかな山容の三輪山が見える。

写真:右)
道標に気をつけて進み、右へ鋭角へ曲がる。
12:45
写真:右)
檜原神社(ひばらじんじゃ) 12:53 到着。
 掘立柱にしめ縄を渡しただけという独特の形状をした鳥居が珍しい。
 第十代、崇神天皇の頃、疫病が流行した。皇室の祖である天照大神を宮中に祀っていたが、その大きな霊力のなせる業と恐れられた。そこで磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)から北側へ離れたこの笠縫邑の地に移し、豊鍬入姫命に祀らせた。 その後、天照大神は伊勢神宮へ祀られるが、天皇の血族である斎王がお祀りすると言う形態は南北朝時代まで続く。 こうしたことから、檜原神社は元伊勢とも云われる。
 
 神道の神様は自然の力を通して、人に恵みをもたらす半面、災害ももたらす。 自然そのものに霊性を感じ取り、見上げたところに位置する山というものに当時の人々が霊性や「神」を感じたとしても不思議はないだろう。この山の辺の道を歩くとそれがすんなり了解できる。

写真:左)
桧原神社の三鳥居。
大神神社と同じく、三輪山をご神体としているので、本殿も拝殿も無い。掃き清められた境内は三輪山の空気と相まって清浄そのものという感じがする。

三輪山(みわやま)
三輪山の山裾に摂社、末社が連なる。

写真:右)
道は大神神社の境内へそのまま続く。
大神神社(おおみわじんじゃ)
最古の神社のひとつで、三輪山がご神体。
大物主大神を主祭神とする。
この西方、上ツ道沿いに卑弥呼の墓ではないかとされる箸墓古墳がある。葬られているのは倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)であり、
古事記には、毎夜通ってくる男との間に子どもができ、正体をつかもうとした親がその男の衣に麻糸を針でかけさせた。翌朝たどっていくと、この三輪山の神域であったために、男は祭神である大物主大神と分かった。三輪山の由来は巻いた麻糸が3巻分残っていたからだとも古事記は記している。
 巫女さんも含めて神職の方はご神木、拝殿の前を通るときには立ち止まってお辞儀をする。格式の高さが伝わってくる。
 平等寺
左2枚の写真のさらに先、坂を下りきり県道に合流する手前の桜井市金屋にある志貴御県坐神社が崇神天皇の宮跡と推定されている。 檜原神社からは約2kmほど離れている。
大和川を大向寺橋で渡り南下する。 14:20
近鉄大阪線を越えて二つめの道を西へ進む。
横大路はこれまで西から東へ向かって歩いたが、反対方向からは初めてであり、横大路という確信を持てないまま進んだ。
土色そのままの壁が美しい。
こんなアーケードが横大路にあっただろうか?
自信のないままに西へ進むと、記憶にある交差点とお堂があった。横大路である。
桜井市大福で桜井線を横断する。
15:00
写真:左)
香具山郵便局
写真:左) 三輪神社
写真:右)
地蔵前橋
住宅の切れ目から見える耳成山。
下ツ道(下街道)と横大路が交差する八木の札の辻
15:43
 橿原市 近鉄大和八木駅から帰る。
歩行データ)
33,747歩/23,242歩 (しっかり歩行)、 1,118Kcal、消費脂肪 69.4g
25.3km

更新日: 2008年5月20日

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