第 65回 大和街道-吉野  橋本市 - 吉野山   2007年11月12日

 今年は例年に比べて紅葉が遅い。 収穫の秋、和歌山は柿がシーズンで、蜜柑の
出荷も始まっている。 ということで吉野山へ向かう街道なら蜜柑も紅葉も楽しめる
のではと思った。 
大和街道は和歌山城から紀ノ川沿いに東行して伊勢に出る街道で、松阪が和歌山藩
の支配下であったため公用の往来もあった。
資料として和歌山県内を 紀ノ川・高野歴史街道実行委員会発行のルートマップ
で参照したが、奈良県内のルーツについての資料は見つからず、25000分の1地図
を印刷してそれに繋がるコースを吉野まで引いてみた。
 紀ノ川と南北に迫る山という地形から街道としてとりうるコースは限定されているので、
資料的な裏付けはないもののおおむね旧道を通行できたと思う。
 南海高野線・橋本駅に7:48到着。
難波からは50分の乗車時間、670円で行ける。
この日の天候は曇り時々晴、最高気温16度の予報だった。
橋本駅では、おなじみのまことちゃんに「ぐわし」と小さく挨拶して街道歩きを始める。
駅前(写真:左)を南へ、ひとつ目の角で左折する。
右) 道標 「左 かうや き三井寺
        右 いせ よしの」
左) 国道24号に合流手前に大和街道の道標がある。
右) 国道との分岐点。ガソリンスタンドが目印。
しかし、ここで道を間違え舗道に沿って国道を先に進んでしまう。 和歌山本線との交差する点で間違いに気づく。いきなり十数分を無駄にした。
(8:27)
左) 大和街道の新しい道標

右) 地獄絵が伝わる西光寺の前。
街道は左手の細い下り坂。
(8:32)
左) 暗峠の標識。かつては険しい峠道で、峠には名物夫婦饅頭が売られていたという。 生駒の暗峠と同じ地名だが、勾配はたいしたことはない。
ここもかつては鬱蒼と木々の茂る風景だったのだろう。
下田町下兵庫
左) 大和街道道標
右) 橋本市の「歴史街道 大和街道」の
    埋め込み道標
右) JR和歌山線の下兵庫駅の東で踏切を北へ渡る。
左) 上兵庫で国道24号線に接してカーブする。
「上」と「下」は紀ノ川の流を基準にしているのだろうか。 (8:45)
橋を渡り隅田町中下へ進む。
左) 街道筋の証である郵便局。(隅田郵便局)

右)隅田町垂井で国道24号線に合流
  (9:04)
左) 合流点で道路を渡り、国道脇の細い道を行く。

右) 大和街道の道標
左) 地蔵と万葉歌碑
  真土山(まっちやま)
 『あさもよし 紀へゆく君が 待土山
  越ゆらむ今日を 雨な降りそね』
                     作者未詳 
真土山を抜ける国道は開鑿してあるので、脇の小道を上る。 すぐに下り坂となり国道へ合流する。
真土のバス停の15mほど先で旧道は左折する。

左)国道から分かれるポイント
真土から畑田まで国道24号線の北側を約500m迂回する。
古くから続いてきたと思われる集落の様子。
 畑田(はたけだ)で国道へ合流する。
 (9:21)
左) 畑田の峠道。五條市街が広がる。

右) 歌碑
 『あさもよし 紀人羨しも 亦打山
  行き来と見らむ 紀人羨しも』
左) 大和高田 御所市
   京奈和道 の高速道路の標識
(左折して1kmほど先に行くと五條西ICがある。)
 大阪から車で吉野へ行くときのルートに使える。

右) 南側、紀ノ川方面を望む。
  川を挟んで平野が広がっている。
上野町で線路と国道に挟まれた旧道とおぼしき道。
約250mで国道に再び合流する。
犬飼山 転法輪寺
左) 第17回の葛城古道の終わりに入った金剛の湯の看板。懐かしや。しかしまだ風呂に入る訳にはいかない。本日の目標は「♪万朶の桜か襟の色」と歌われた桜の名所吉野の秋景色だ。

右) 二見の国道の南側へため池があるポイントで分岐し、国道の北側の道を行く。
右) JR和歌山線・大和二見駅前
 近畿自然歩道の標識があった。
左) 二見駅前の交差点で国道を横断して直進する。

右) 車のすれ違いができないくらいの道幅。
  住宅街を進む。 常夜燈
 地図で言うと二見から新町へかけて、国道24号線に平行して走るひとつ南側の道。
虫籠窓のある家屋が点在して、旧道の雰囲気が濃い。
信号のある交差点を渡ると新町。
旧道の風情が色濃く残る街並みが続く。

舗装の色も変えてある。
(9:57)
左) 山田旅館

新町から本町へかけて約700mの間に虫籠窓の家並みが続く。 五條市新町は保存状態もよく、指折りの街道筋エリアだろう。
左) 二見神社 御旅所
まぼろしの五新鉄道
大正時代、五條を起点に十津川に沿い新宮までの線路が計画された。その遺跡だが、街道風情と合わせて紀ノ川へ架かる時代がかったモニュメントに見える。
このアーチが時代を感じさせ、川に向かって突然途切れた高架が好奇心を呼び起こす。
それにしても新宮まで伸ばすつもりだったとは、壮大な計画だ。 戦前の五條の繁栄ぶりと勢いが感じられる。
まちなみ伝承館
入館無料。水曜日休館。
立ち寄りたかったが、先を急ぐので次回の楽しみに取っておく。
(10:06)
先を急ぐのだが、紀ノ川の風景を見たくなり、伝承館の脇から川縁へちょっと立ち寄る。
土手はいい雰囲気の散策ルートに整備してある。
五條は観光地としては有名ではないが、十分に魅力も実力もあると思う。じつに良い町だ。
赤根屋半七 宅跡
元禄時代の心中物「三勝半七艶姿女舞衣(あですがたおんなまいぎぬ)」の主人公、半七の住居跡
左) 書状集箱
写真を写していると、おじいさんが「地図やろか」と声をかけてもらった。
前回、気になった饅頭屋山のおじいさんで、ついでに饅頭(一個70円)を2個買った。
きつね色のは揚饅頭。
左) 大川橋に続く国道168号線に出て、
 左折する。

右) 栗山邸
 日本最古の民家で、国の重要文化財。
棟札に慶長12年(1607年)の銘があり、建築年代の分かっているものでは日本最古の民家。
本陣交差点。五差路で、なぜか地下通路が設けてある。 交差点の西北へ120mに五條代官所跡、
現在の五條市役所がある。
ここは文久3年(1863年)明治維新の先駈けとなった天誅組の乱で、幕府直轄地であった五條の代官所を襲ったもの。
司馬遼太郎の街道をゆく「十津川街道」に詳しい。
本陣交差点の分かりにくい地下道を間違えながら北へ延びる道を進む。
左) 須恵1丁目、五條須恵郵便局
 このさきで道は右へ曲がる。

右) 次の交差点を直進して商店街へ入る。
和歌山といえば蜜柑。始めに入った果物屋さんでは呼んでも誰も出てこなかった。二件目でおばあさんに声をかけて、一袋200円のを、2個ばかりおまけしてもらい購入する。こぶりだが甘いおいしい蜜柑だった。
左) 銭湯、というより湯屋という感じか、「温泉 大黒屋湯」

右) 須恵交差点の左手にJR五条駅がある。曲がらず直進する。
 (10:33)
今井町交差点で国道24号線に合流する。
左) 国道24号線で昼食を取れる食堂を探したがだめだった。 コンビニで弁当を買う。

右)国道から分岐する道。
 この左手の山に藤原武智麻呂の墓がある。
国道24号線を東へ平行して北上する。
左)警察のマスコットは、奈良では鹿のナポ君で、和歌山は紀州犬だったが、ここでは小学校のPTA作の「宇智っ子交番」兎だった。
三在町で24号線から分岐した国道370号線に合流し東行する。
宇野峠
宇野峠の道路脇で、コンビニのおにぎり弁当¥340の昼食をとる。 (11:33)
鳥の鳴き声も風情があると思ったら、山の上は養鶏場で、風向きによっては食事には不適切な香りを運んでくるのでこの場所での昼食はオススメできない。
西阿多町で国道の北側へ300m程のあいだ迂回する道をたどる。 
国道370号線に合流後また約300mで直進方向へ分かれる道がある。これが旧道だろう。

左)分岐点。ここを左(直進方向)

地図にはこの区間に大阿太郵便局があるのだが、気づかなかった。廃止されたのかもしれない。
紀ノ川の近くで再び国道370号線に合流する。
左) 大淀町へ入る。 (12:14)

右) 合流して400mほどで北側へ分岐する道をたどる。 一般的に、川沿いの旧道では、治水は現在とは異なるので、あまり川に近づかないで山側の道をたどる。
佐名伝。 中吉野木材市場
ここで定期的に切り出した木材を卸売りする。
木の香りが良い。
佐名伝の旧道を約1.5kmほど行き、また国道へ合流する。川縁の道は切り立った崖になっている。
怖いので撮影してすぐ山側の歩道を歩く。
左) 標識によると、国道370号線はこの先で
橿原・御所 309  吉野 下市 309と分岐する。

右)
千石橋を右手に見ながら進む。
 大淀病院西交差点で、道なりに進まず、病院の裏手の湾曲した道進む。ちょうど近鉄吉野線に南側で平行する形になる。

右) 下渕の街並み
下渕の街並み
下渕
道なりに進む。
下渕

右) 横断して直進する。
土田で近鉄吉野線の踏切を越えて、国道169号線に合流する。 ここからは近鉄線の北側に位置する。
(13:01)
右) 近鉄 六田(むだ)駅
左) 近鉄線の高架下をくぐる。
 (13:39)

右) 美吉野橋
柳の渡し (町指定文化財)
「柳の渡し」は、大淀町北六田と、南岸の吉野町六田とを結んだ渡しで、平安時代に醍醐寺の開祖・聖宝理源大師(832−909)が開いたとされ、美吉野橋がかかるまで、「桜の渡し(桜橋)」「椿の渡し(椿橋)」「檜の渡し(千石橋)」とともに大いに賑わった。
 その北岸には柳が茂り、天明6年(1686)建立の道標を兼ねた石灯篭や石造りの道標が残る。 これらは、現在地よりやや上流にあった元来の渡し場から、この前を通る道路の拡幅に伴い、移設したものである。
 なお、六田の淀の清流の風情については、奈良時代に成立した万葉集のなかで、次のように詠まれている。
    音に聞き 目には未だ見ぬ 吉野川
    六田(むつた)の淀を けふ見つるかも

    かはず鳴く 六田(むつた)の川の かは柳(やぎ)の
    ねもころみれど あかぬかわかも
国道沿いの道よりも南岸の道の方が歩き安く風情もありそうなので、柳の渡しを渡ったことにして、美吉野橋を渡る。
美吉野橋 (13:46)
紀ノ川南岸、六田、左曽、橋屋と進む。
左) 近鉄・吉野神宮駅

右) 駅前に吉野神宮の鳥居。
 山道を上って1kmほど先に吉野神宮がある。
(14:09)
県道167号線を上る。

右) 吉野神宮到着。 駅前から徒歩約15分
(14:24)
吉野神宮
ご祭神は、後醍醐天皇
吉川英治の私本太平記が分かりやすい。
鎌倉幕府が開かれてほぼ百年。各地に根ざした武士の世になって久しいが、後醍醐天皇はこれを天皇中心だった平安時代の御代に戻すべく画策した。
しかし、時代の趨勢に抗えず南北朝の皇統分裂を招いてしまう。
手水舎脇で蜜柑を食べて小休止して、拝殿で参拝する。ここで驟雨となり、しばらく雨宿りとなった。
しかし、蔵王堂まであと少し、傘を差して吉野神宮を後にした。 (14:45)
吉野と言えば桜だが、桜の季節には混雑を敬遠して未だ来たことがなかった。 人の少ない紅葉の時期は穴場ではないだろうか。

右) かなりの台数が駐車できる無料駐車場。
春のシーズンには早めに来て、ここに駐車すればいい。 (15:07)
 この駐車場は下千本に位置する。
渋滞の無いし下見は徒歩に限る。ただし時間がすごくかかるが・・・。
この写真を見た方は、意外と紅葉が多いのに驚かれるのではないだろうか。
期待以上の紅葉を見物できた。
 大橋
 南朝の山城としての空堀に架かる橋。
左) ケーブル乗り場。
このロープウェイは昭和3年開業の、現役としては日本最古のもの。
近鉄吉野駅とを結ぶ。
 (15:22)

右) 黒門が見えてきた。
 (15:24)
食べ物で吉野といえば、葛餅。
観光客も少なく、店も早じまいしそうな雰囲気なので、ここで小休止を兼ねて葛餅を食べに立ち寄る。
葛餅 ¥600 急須でお茶も付く。
黒蜜に抹茶砂糖がまぶしてある。食感はワラビ餅に近いがもう少し歯ごたえがある。
(15:30)
銅鳥居(かねのとりい)
雨上がりの参道は黄昏が迫るなか、旅館や土産物屋の灯りがともり、しっとりとした旅情をいやがおうにも感じさせる。
はじめての吉野散策だが、これほどの風情を感じられるとは想像もしていなかった。

左)柿の葉寿司(7個¥800)とくずきり(¥420)
をこの寿司屋で買う。店のおばさんが端数をおまけしてくれた。
おお、テレビでしか見たことがないあの蔵王堂。
世界遺産、熊野参詣道のもう一つのルートである、熊野奥駈道の起点。
街道Walkerといえども、このルートは修験道の行者が歩く道であり、とても手が出せない道である。
 金峰山寺 蔵王堂
 (リンク先にはライブカメラもある)
天正20年(1592)の再建

右) 蔵王堂の正面の4本の桜
 元弘3年(1333)後醍醐天皇の第二皇子、大塔宮(おおとうのみや)護良(もりなが)親王が北条幕府軍の大軍に攻められたときに蔵王堂を本陣とした。落城に際して最後の酒宴を開いたところ。


左)菅笠、法衣はもちろんホラ貝も売っている修験道の装備一式が揃う専門店。
右) 吉水(よしみず)神社の参道へ続く鳥居
左) 右へ行くと後醍醐天皇陵

湯元で、日帰り入浴のできる旅館もある。
これで風呂にでも入れば完全に旅行気分となるが、日暮れも近く、交通の便のこともあるので、ここで折り返して戻ることにする。 (16:08)

左) ちょうどケーブルの時間に間に合う。
片道 ¥350
 8時20分始発、 毎時20分、50分発。
 最終のみ17時40分

約5分で近鉄吉野駅に到着。
17:38分発のあべの橋行き急行に乗る。
 本日のおみやげ:
くずきり、 柿葉寿司、
五條市で買った蜜柑、と饅頭


 本日の歩行データ
46,183歩 (37,070歩:しっかり歩行)、1,467Kcal、 消費脂肪 108g、 歩行距離 33.3km

以前から気になってはいたものの、吉野は初めて訪れた場所だった。 この日は月曜日で人も少なく、しっとりと落ち着いた
旅情を思わず満喫できた。 日帰り入浴できる旅館もあるなど、日帰り旅行の行き先としても申し分ない。


更新日: 2021/5/25