第 64回 中山道  滋賀県犬上郡豊郷町 - 岐阜県不破郡関ヶ原町   2007年10月23日

 新大阪6:45発の米原行き新快速に乗車して、彦根駅で近江鉄道貴生川行きに乗り換え、豊郷に8:18に到着した。 今日のコースは国道から外れるので、駅前のパン屋さんで昼食を購入して出発した。 昨日の伊藤忠兵衛記念館までは100mほどの距離。
 伊藤忠兵衛生家から約100m先に伊藤長兵衛屋敷跡がある。丸紅の設立者。
(8:39)

八幡宮
豊郷町石畑
 石畑は愛知川宿と高宮宿の間の宿だった。

右)
豊郷小学校
1937年に伊藤忠兵衛商店がアメリカ人設計家に依頼して、校舎と講堂を寄贈した。
耐震性を理由に取り壊しが決まったが、住民の反対も強くニュースで見た人も多いだろう。
遠目には四角い箱型の鉄筋コンクリートの建物だが、戦前、萱葺屋根の家々から通学した児童の郷土への誇りはいかばかりであったろうか。
ぜひ保存してもらいたいものだ。
左)
出町。ベンチもある。

右)
立派な奥津城
左)
出町交差点から彦根市に入る。(9:08)

右)
中山道モニュメント
彦根市に入ると、葛籠(つづら)町、 法土(ほぜ)町を通る。
左)
四の井川を渡る。
 <高宮宿>
むちん橋 (9:28)
豊崎から50分かかった。
 町屋造りや虫籠窓の家屋が目立つ。
 円照寺
 宿場町の雰囲気
芭蕉も高宮宿で一泊していた。
 多賀大社 一の鳥居
(9:40)
右)
提灯屋
高宮宿は街道風情が濃く残っている。
町屋造りや虫籠窓の家屋も多く、今回の京街道−東海道−中山道(関ヶ原)の宿場の中では最も宿場の風情が残っている。
高宮神社
明治3年の大洪水では高宮宿も大きな被害に遭った。
 彦根に入ったら、街道沿いでひこにゃんグッズを買おうと期待していた。 ひこにゃんめも を買っておけばよかった。「とりあえず一匹」というのがただのメモ帳にもかかわらず購買意欲をそそられる。

この文房具屋さん以降には街道沿いにはひこにゃんグッズは無かった。

右)
高宮町大北 交差点。 (9:40)
高宮町から大堀町へ。
中山道はここから市道258・彦根環状線となる。

左)
常夜燈
手書きの標識には
「鳥居本宿 −>
 <−高宮の街 」

右)
湖国バス。一日一本!
どこでもそうだが、街道歩きではバスは当てにできない。
唯称寺
室町時代に、天台宗から浄土真宗へ変わった。
 石清水神社
犬上川を高宮橋で渡る。
手前のコンビニでコーヒー牛乳を買って小休止。
(10:07)
左)
道標
『金毘羅大権現 是ヨリ十(以下埋没) 』

右)
春日神社
左)
常夜燈
多賀大社道標
国道306号線を渡る。
向こうに見える高架は彦根インターチェンジ

右)
彦根インターチェンジを二本くぐり、新幹線に沿って北上する。 (10:26)
道幅は街道サイズ(幅5mほど)
右)
床山八幡宮
左)
新幹線の高架をくぐる。(10:35)
高架下の注意書きに「つららに注意」とあった。
新幹線が5分おきくらいに走る。
この先から彦根市小野町

右)
小町塚
小野小町の生地とする伝承があるが定かではない。
左)
新幹線の高架をくぐった先にある八幡神社の参道。
彦根市小町町
 <鳥居本宿>
朝鮮人街道の道標
『右 彦根道
 左 中山道』

(10:56)
右)
浄土真宗 専宗寺

鳥居本宿も宿場町の風情がよく残されている。
右)
途中、左手に近江鉄道本線 鳥居本駅が見える。
合羽所
右)
街道が右手に曲がる箇所に、赤玉神教丸本舗 有川製薬 がある。
(11:08)
赤玉神教丸本舗
今も販売している。
置き薬のなかに「赤玉」と呼んでいた赤い丸薬の腹薬があったが、あれだろうか。

鳥居本も宿場町の風情がよく残っている良い感じの街だった。
右)
中山道モニュメント
この先で国道8号線と合流し、矢倉川を渡ったのち登り坂になる。
国道との合流区間は100mほど。

(11:14)
左)
国道8号線との合流箇所。
京への上りの人には役立つ道標。

右)
右手の山側へ曲がる。 (11:17)
左)
カーブの途中で階段があるが、旧道かどうかは不明。勾配がきついのでたぶん違うと思う。
しかし、上ってみた。
思ったよりすぐにまた舗装道路に出る。

右)
神明神社。その隣に望湖堂があった。
望湖堂跡からの琵琶湖方面の様子。磨針峠。
琵琶湖は見えない。
中央の塔は、エレベーター会社のフジテックの実験塔。
結局、ここまでの中山道から琵琶湖はまったく見えなかった。
(11:29)
左)
浄土真宗 称名寺
神明神社からの下りの途中にある。

右)
分岐を左へ。 (11:37)
名神高速道路の西側を進む。
名神高速のトンネル脇のゆるい登り坂
小磨針峠
(11:48)
<番場宿>
(11:57)
左)
北野神社

番場宿にはかつての宿場を思わせるような建物はほとんど残っていなかった。
旧観の保存状態からいうと、中山道というくくりではなく、宿場ごとに傾向が違う。
左)
史跡 蓮花寺

右)
宿場のはずれの交差点に番場宿碑がある。
(12:18)
左)
かつての番場宿。
道の折れ曲がり方は、上段右の写真の箇所。
今もおなじ道の形である。

右)
山裾のカーブの箇所で腰をかけて昼食とする。
デザートのアップルパイ。
「ちかん注意の看板」がふたつも目の前にある。
その向こうは名神高速道路。
15分の昼食休憩。
米原市に入る。
左)
米原ジャンクションの高架をくぐる。
その手前に、久禮(くれ)の一里塚がある。
江戸へ約百十七里(459.5km)、
京三条へ約十九里(74.6km)
高架をくぐってすぐに右折し、息郷郵便局を通るのだが、一本先の道へ間違ってしまった。
(12:46)
右)
国道21号線に合流する。 (13:15)
左)
丹生川を渡る。

右)
国道21号線から醒井宿への分岐点
(13:20)
<醒井宿>(さめがい)
(13:26)
居醒橋
地蔵川
左)
十王水
宿場を流れる清流には、白い小さな花を咲かせる梅花藻が生え、そこにトゲウオ科のハリヨという魚が棲む。
左)
醒井資料館
無人だが、郵便局で入場料を支払う。
郵便局は見あたらなかったので、見学せずに素通りする。
トイレが併設されている。
この醒井の清水が飲めると期待していたが、結局飲ませてくれる店は無かった。
唯一、和菓子屋で醒井の清水を使った饅頭が売っていた。
醒井宿の東側
(13:43)
右)
八幡神社
左)
醒井宿内の街道は、国道21号線の南側に平行しているが、ここで500mほど国道に合流する。

右)
トラックの通行が多い。ローソンの先にはホテル街が続く。
左)
ここから旧道は左側の道に分岐する。
左)
ホテル街の裏、川沿いにある松並木。
(14:07)

右)
 山裾に沿って進む道となる。緩い登り坂で、自転車に乗った外人のカップルと会釈をしてすれ違う。
右)
 湖国バス 梓河内バス停
左)
番の面遺跡
縄文時代中期末(約4,000年前)の竪穴式住居跡が発掘された。
左)
白山神社 参道鳥居

右)
写真:左) の右手家屋の手前にある道標。
『従是明星山薬師道
 やくしへのみち』  
<柏原宿>
(14:38)
左)
柏原一里塚跡
左)
なかいか橋 を渡る

右)
郷宿跡
右)
日枝神社
左)
柏原宿歴史館

右)
八幡神社前 交差点
左)
照手姫地蔵堂
小栗判官の物語。湯の山温泉の壺湯を思い出す。
寝物語の里
近江と美濃の国境はこの碑の東十メートルあまりにある細い溝だった。国境の番所や旅籠で寝ながら話しができたことから寝物語の里の名がついたと言われる。

右)
国境の溝。
美濃の国に入る。
(15:22)
左)
芭蕉句碑

右)
句碑の先で東海道本線の踏切を渡り、さらに国道を横断する。
<今須宿>
(15:26)
岐阜県関ヶ原町
 今須宿 本陣・脇本陣跡
 今は写真:左 のような民家となっている。
左)
国道21号線に合流して100m程で北側に分岐する。

右)
国道から北側へ分岐する旧道。
 今須峠
左)
 東海道本線の南側を平行に進む。

右)
 山中で左側の道へ分岐する。
右)
新幹線の高架をくぐる。
黒血川
写真:左は中山道から左手を撮影。
北側に向かう川沿いの道。
壬申の乱での大海人軍と大友軍がぶつかった場所。 関ヶ原も近い。
中山道はまた国道21号線に合流し、50mほどでまた南へ分岐する。
左)
 合流箇所。

右)
分かりにくいが、ガードレールの切れ目の下り坂が中山道。
右)
不破関のあたり。
このあたりで道を間違え早く国道へ出てしまった。
(16:15)
左)
不破関資料館。
右)
本当はここから出てくるはずだった。
ここで国道21号線に合流する。
<関ヶ原宿>
(16:30)
対面二車線の国道は街道サイズの幅より広いが、大型トラックがひっきりなしに往来する。
宿場町風情どころではなかった。
岐阜まで31km
 JR関ヶ原駅に到着 (16:40)
日没は17時半ごろ。だいぶ陽が傾いている。
関ヶ原から新大阪までの運賃は¥2,210。
関ヶ原16:52発、米原で新快速赤穂行きに乗り換え、1時間46分後の18:38に新大阪到着。
これまで滋賀県や、ましてや関ヶ原は遠いと思っていたが意外に近かった。

中山道に手を出してしまったが、名古屋から先は安い海外旅行くらいの費用がかかるので今は計画していない。
 草津からの東海道を伊勢街道へと繋がるコースを検討したい。

歩行データ: 50,216歩/47,053歩(しっかり歩行) 1,590Kcal 消費脂肪 122.5g 36.2km


更新日: 2007年 11月 6日