第 63回 中山道 滋賀県草津市 - 滋賀県犬上郡豊郷町  2007年10月22日

 本日は晴れ、最高気温22度とベストコンディションの日だった。
新大阪7:08発米原行き快速急行で7:58に草津駅に到着した。 50分の乗車時間で運賃も¥1,110と、和歌山方面へ行くときと比較して意外と近く手軽なのには驚いた。
資料は 学研M文庫「中山道を歩く」下巻 に全コースの25000分の1地図が付いているものをコンビニで144%拡大コピーしてA4サイズにしたものを用意した。この本は惜しいことに絶版になっているものの、Amazonなどから古本を入手することができる。 街道関連の本ではすぐれたものでも部数が出ないので、絶版になってしまうことが度々ある。街道風景をまとめたものはよく見掛けるものの、自分が歩くという実用的なものは希少で、見つけたら迷わず買っておいたほうがいい。
 それと、昭文社地図が範囲外となるので、PC版のプロアトラスから切り出してA4サイズに印刷したものも併用した。こちらはコンビニやレストランなどが表示されるので昼食をどうするかを判断するときに役立つし、カラーなので町名や駅が見やすい。
左)
光明寺
右)
伊砂砂(いささ)神社 (8:14)
左)
境内にある二宮金次郎像
勤勉の手本として全国の小学校にあったが多くは撤去されている。戦後の価値観の転換のなかで捨ててはいけないものもまでも捨てられていった。

右)
 東海道本線の高架下をくぐる。
草津線が分岐する手前の箇所。
左)
 線路脇の民家の隣の通路を行く。

右)
JR線の高架下をくぐる。
自転車は無理だが、徒歩なら屈まなくても通れる。
左)
笠川から栗東市へ入る。(8:29)

右)
八幡宮
左)
草津宿から守山宿まで1里半
県道2号線を北上する。

右)
標識のところを右へ行くと300mでJR栗東駅。
左)
綣 (へそ)

右)
大寶神社
左)
大寶神社本殿

右)
奉納殿から秋空を撮す。
この先の神社も含めて、近江の神社には規模が小さな集落にも奉納殿があることが多いと感じた。
琵琶湖に注ぐ水系の豊富さと平野部の多さから歴史的にも豊かな土地であったことが推測される。

左)
参道。中山道から200mほど奥まったところにある。
右)
大寶神社の中山道に面したところが公園になっており、芭蕉の句碑がある。
「へそむらの まだ麦青し 春のくれ」

公園にはベンチとトイレがある。

守山市へ二町町から入る。 (8:58)
左)
焔魔堂


右)
焔魔堂町交差点
この先は今宿町
今宿町
今宿一里塚

<守山宿> (9:18)
橋を渡ると守山宿。
左)
 東門院

右)
 東門院の少し先で分岐する箇所に道標がある。
中山道は右へ行く。
写真右上の角にある道標
 守山宿では中山道は県道2号線にあたる。
街灯には「中山道 守山宿」の駒形表示がついている。この先の宿場にも同様の表示がある。

右)
 稲妻形屋敷割りの説明板
不審者を見つけやすい防犯上の意味と、市がたっていた商業的意味が並記してある。たしか家屋を道に対して斜めにするのは大八車を横付けしても往来を妨げないという意味ではなかったろうか。
左)
 天満宮

右)
西藤小児科の前の道標。
「すぐいしべ道」。いしべ道は伊勢への街道で、この道標から中山道を東へ向かう道。
左)
中山道に面した 旅館 石秀
素泊まり3、500円。 「京立ちの守山泊まり」と云われた守山宿で、街道に面したよさそうな旅館。
宿場町の中の街道沿いに面したこうした旅館はなかなか少ない。20km〜30kmごとにこうした旅館があれば、本気で江戸まで歩き旅をするのだがなぁ。
高札場跡を過ぎて、吉見町へ入る。
左)
 県道11号線と交差する。交差点南西角にセブンイレブンがあり、ここでいなり寿司とパンを買った。
草津宿、守山宿は現代でも規模が比較的大きい町だが、この先の宿場には食堂は期待できない。大きな国道が側を通っていればチェーン店も出ているものの、念のためにコンビニで用意した。
(結局、道の駅の食堂で昼食は食べた)
右)
 野洲川を渡る。 (9:44)
左)
 野洲川橋。長い。
右)
 橋から南側を望む。
近江富士とも呼ばれる三上山。
名神高速を通るときにも目に付くが、三上山は円錐形の形がよく整っている。
左)
 野洲皮橋から北側を望む。

右)
 野洲川橋北詰 交差点。
右は県道504号線。中山道は直進する。
左)
JR東海道本線の高架をくぐる。

右)
野洲の街並み
左)
 蓮照寺

右)
 行畑の交差点、北東角に「背くらべ地蔵」が新しいお堂を始めちょっと休憩できるようなスペースにしつらえてある。
 背くらべ地蔵
ちゃんと計っていないが、130cmくらいの身長だろうか。 子どもを連れた旅人の、ほのぼのした情景が浮かぶお地蔵さん。

前にはベンチが2脚あるのでちょっと一休みできる。ただし屋根は無い。
左)
行事神社

右)
 その先で二手に道が分かれるが、右側の道が中山道。 左側の道は家康が上洛の際に使う専用の道であり、また将軍の代替わりのときに朝鮮からの使節が使う道であったことから朝鮮人街道と云われる道が鳥居本宿まで続いている。
左)
 野洲小学校前の五差路。
写真の左手が小学校で、歩道の角に「中山道 野洲」と彫られた新しい常夜燈型の道標がある。
ちょっと分かりづらいが、それまでの道の延長線上にある道を進む。

右)
 新幹線の高架下をくぐる。ここもまたちょっと迷うかもしれないが、それまでの延長線上に近い道を進む。
藁葺き造り酒屋
左)
 小篠原。稲荷神社参道の鳥居。
神社は国道8号線の東側にある。

右)
 小篠原の分岐箇所。中山道は道なりに左手を進む。 右の道は国道8号線に通じる。
左)
 「銅鐸博物館、銅鐸出土の地 0.7km」
の標識。

中山道沿いにある 桜生(さくらばさま)史跡公園
(10:36)
道の左手にこんもりと盛り上がっているのが、甲山(かぶとやま)古墳。直径30mの円墳。
ちょっと街道をはずれて古墳のそばで小休止。
目前には新幹線の高架が見え、5分おきくらいにすばらしいスピードで通り過ぎていく。
古墳を降りていくと、資料館らしき建物が公園に併設されている。駐車場もあるが、今日は月曜日なので入り口にはチェーンがかけられている。
左)
子安地蔵堂
左)
家棟川を渡る。
右)
その写真の左手、住宅の間の土手の上にある常夜燈。 川を挟んで篠原神社の杜が見える。
左)
 小堤で国道8号線に合流し、1kmほど進むと西池の前で北側に再び分岐する。
(10:59)

右)
 国道8号線
結構、大型車両も含めて交通量が多い。
狭いながらも段のついた歩道がある。
左)
 西池の東側での追分。
道路標識は 「道の駅 竜王かがみの里 2km」
(11:09)

右)
右手の石柱は篠原神社の道標。

左)
旧道に分岐して500mほどの大篠原で再び国道8号線に合流する。

右)
歩道のついた右側を歩いていくと、右側に200mほど続くの集落がある。
写真右手の標識は、「平宗盛胴塚」とある。
左)
 源義経元服の池

右)
その道路を隔てた対面にある 道の駅 竜王かがみの里 (11:33)
左)
 カツ丼 ¥650 をレストランのテラスで食べる。ボリュームたっぷり。
約45分の休憩の後に出発。

右)
鏡神社 (12:15)

左)
旧道は右の道へ分岐し、国道8号線の南側を300mほどで再び国道に合流する。
民家が並んでいるが虫籠窓があるような古い家屋はとくになく、かつての旅籠跡の標識がすこしあるくらいだった。
左)
善光寺川を渡る。(12:25)

右)
橋を渡ってすぐに左手(北側)へ分岐し、西横関の集落の中を通る。
写真右手の常夜燈は(村社)若宮神社のもの。
国道から北側へ湾曲した旧道部分の3分の2くらいのところで日野川を渡るのだが、現在は橋もなく、徒渡りを考えたが、竹藪に阻まれで川べりに近づけなかった。
迂回して日野川に架かる横関橋から北側を見ると右の写真のように徒渡りは無理のようだ。
(12:36)
旧道へは再び横関橋を左折して東横関の集落内を1.2kmほど通るが、西横関には古い家屋はほとんどなかったので、パスして国道を歩いた。
 橋を渡ると近江八幡市に入る。
左)
国道8号線の旧道でない部分。このあたりで昼食にするというものよいかも。


右)
馬淵町交差点手前に八幡神社が北側にある。
 八幡神社
鳥居のそばに高札場跡の碑もある。
中山道沿いには八幡神社が目立つように思う。
手前の鏡宿のあたりでは平氏の残党が終焉を迎えた場所もあるのだが、以後、武士の世では源氏の流れを汲むことが主流となったことの影響だろうか。
 八幡さんは武士の守護神なのだが、こうした規模の大きい忠魂碑は中山道のこれまでのルートでは初めて出会った。
 

 やはり奉納殿があり、奥に本殿がある。
桧皮葺の屋根と、柱の朱色がよく合っている美しい本殿。
13:00に真淵町から橋を渡り千僧供町へ入る。
右)
千僧供町で旧道は右の道へ分かれ、300mほどで直角に左折し、六枚橋交差点で国道8号線と合流する。
左)
六枚橋交差点で右折する(北東方向)。

右)
国道8号線
標識は 「敦賀83km 彦根 25km」
左)
西宿町 交差点を右(国道の南側)へ分かれる。
(13:26)

<武佐宿>
 伊庭貞剛 邸

左)
街道の北側にある若宮神社への参道

右)
近江鉄道八日市線・武佐駅 手前の踏切。
踏切を渡ると直角に右折する。
武佐駅 (13:34)
無人駅だが、改札の手前にトイレがある。

武佐駅 時刻表
中山道は幹線道を譲ったとはいえ、近江の経済的な豊かさは保たれている。紀ノ川沿いの和歌山本線よりも運行本数が多いのではないだろう。
右)
松平周防守陣屋跡
左)
写真右下に道標。

右)
本陣跡
左)
西生来町

右)
市道208号線と直交する交差点に新しい常夜燈型道標があり、各地との距離が刻んである。
  いせ 約120km
  京都 約48km
  東京 約460km
「中山道六拾七番宿場 武佐宿」

ここから蒲生郡安土町へ入る。
左)
木造洋館

右)
武佐宿場本陣跡
左)
廣済寺
中央に「明治天皇御聖跡」の石碑。
各宿場ごとに明治帝の休憩・宿泊を聖跡として記念する石碑がある。別の宿場で側面を見ると戦況が悪化しつつある昭和19年に文部省によって建てられたもの。その前年12月には第一回学徒出陣、19年3月には学徒勤労動員の通年実施が閣議決定され、8月には女子挺身勤労令が公布される。
そういった時代背景に建てられたもの。

右)
「忠霊塔を仰ぎて
国護る み霊に落花 しきるなり」
武佐神社
西生来町
泡子地蔵が街道を横切る水路側にある。
泡子地蔵
休憩に立ち寄った旅の僧に恋をした娘が、その飲み残しの茶を飲むと、子どもを孕んだ。
3年後にその僧が現れたときに事情を話すと、僧は息をその子に吹きかけたとたんに泡となって消えた。という伝承である。
 現代ではとても通用しない言い訳だが、当時の人の僧に対する超人的な力への信用が厚かったことの証左だろう。
左)
蒲生郡安土町に入る。

街道の北側に安土城址があるはずだが、写真の山の後ろ側で見えないのかもしれない。

右)西老蘇(おいそ)の街並み



東光寺
 鎌若宮神社 (14:17)
 老蘇郵便局を越えて、東老蘇へ入る。
 轟地蔵跡
 奥石神社をすぎると、国道8号線に合流し、右折する。

右)
国道8号線と新幹線の高架。
高架の手前の歩道を歩いたが、向側の小道も歩けそうな雰囲気だった。
2,300m先で中山道は高架の北側へ抜ける。
左)
新幹線の高架をくぐって100mほどで国道8号線から分岐する。

右)
東老蘇から東近江市 五個荘(ごかしょう) 清水鼻へ入る。
右)
清水鼻の名水  (14:57)
井戸水が石甕に流れている。
「水に手をいれないように」と注意書きがあり、洗面器とコップが置いてあった。 飲みたかったが、甕の底には藻も生えており躊躇してしまった。
ペットボトルにコップで水を入れておけばよかったと後で気づく。
左)
てんびんの里 近江商人像

右)
五個荘町
よく手入れされた萱葺屋根。
左)
右上の写真の屋根と秋空。

右)
また萱葺屋根の家を発見。
消防法の規制や、吹き替えの困難さから絶滅しつつある萱葺屋根だが、五個荘ではよく保存されている家屋が残っている。
 大郡神社 への参道
 (15:12)
 明治天皇北町屋御小休所 の石碑と
その敷地に屋根付きの休憩所が設けられている。
右)
『左 いせ ひの 八日市
 右 京道』 の道標
左)
古い西洋建築の民家

右)
五個荘の街道絵図の看板
左)
上右の写真で街道が川を渡り、南へ曲がっている箇所。 東近江市五個荘支部(旧五個荘町役場)を左手に過ぎて二つめの橋を渡る。

右)
まもなくまた小公園があり、ここで小休止した。
「旧中山道ぽけっとぱーく」
(15:32)
左)
近江鉄道本線の踏切を越える。

右)
御幸橋南詰め 常夜燈
愛知(えち)川を御幸橋で渡り、そのまま国道8号線を約500m進む。

御幸橋を渡ると愛知郡愛知川町
(15:49)
左)
愛知川
御幸橋の右手に見える近江鉄道の鉄橋。

右)
愛知川の様子。
周りの景色は変わっても川床や山の輪郭は昔のままだ。
<愛知川宿>
左)
ここで街道は国道8号線から右手に分かれる。
(16:04)
左)
和菓子屋のショーケースにあった砂糖菓子
八幡神社と常夜燈の下に「高札場跡」の碑。
左)
洋館。銀行の建物か。

愛知川宿には虫籠窓のあるような古い家屋は見あたらなかった。
 河脇神社
沓掛(くつかけ)に入る。

右)
石部神社
左)
うたつめ橋を渡ると、豊郷町に入る。

右)
豊郷町は 江州音頭の発祥地だった。
豊郷町
右)
伊藤忠兵衛の生家  (16:55)
伊藤忠商事、丸紅の創始者・初代伊藤忠兵衛の100回忌を記念して、初代忠兵衛が暮らし、二代目忠兵衛が生まれたここ豊郷本家を整備、記念館として一般公開している。
入館料/無料 開館時間/10:00〜16:00
 開館日/火・木・土曜日
伊勢街道・松阪の三井家といい、中山道沿いの豊郷といい、現在の総合商社を造り上げたのはかつての経済・物流の道であった街道と無縁ではなかった。
できれば高宮宿まで行きたかったのだが、日没まであと30分とぎりぎり間に合いそうになく、翌日へ回すことにして、今日は豊郷町から帰路につく。

左)
近江鉄道 豊郷駅
右)
二両編成のワンマンカー。 (17:13)
左手の高架は新幹線。
彦根駅でJR線に簡単に乗り換えられる。
新大阪駅まで1時間半かからなかった。
(運賃: ¥400 + ¥1,890)

 歩行データ
休憩を除いて約8時間の歩行。 50,438歩/46,313歩(しっかり歩行)
1,603Kcal、消費脂肪 115.6g 36.3km


翌日へ続く 
64) 中山道 豊郷 − 関ヶ原 (36km)


更新日: 2021年5月24日 リンク切れの修正