第 61回 暗越奈良街道 北浜・高麗橋 - 近鉄南生駒 2007年10月15日
河内はいたるところで秋祭りだった。 昨日の西高野街道に続き、本日は暗越奈良街道を高麗橋を起点に歩いた。西高野街道も暗越の大阪部分もあちこちの神社を中心とした秋祭りの真っ盛りだった。 この10月第2週の週末は河内での秋祭りが集中している。 暗越奈良街道は5年前に奈良側から歩いているが、今回は大阪側の起点から歩き、第22回の平城京跡までのルートと繋がる。 この日の天候は晴れ。最高気温は23度。歩いていると多少は暑いが、絶好のウォーキング日よりだった。 高麗橋元標を8:30に出発した。 |
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江戸時代の起点は玉造だが、明治になって高麗橋元標となった。 左) 高麗橋 高麗橋元標から東へ一筋、松屋町筋を南下する。 国道308号線の一つ北側の通りを左折して東行する。谷町筋までの300mほどのあいだ、熊野街道と重複する。 右) 上町1丁目 上町台地の名の通り、このあたりは高台になっている。 大阪女学院の南側を通る。 |
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左) JR玉造駅 高架をくぐり、南東へ一旦”U”字型に迂回して「玉津1」の交差点へ出る。 右) 玉津1 交差点 ここで6つの道が合流するが、国道308号線のひとつ北側の、玉造駅以前の道の延長線上にあたる道を進む。 |
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左) 中道4丁目 玉造戎神社、八坂神社 御祭礼 の幟がはためく。 右) その下に暗越奈良街道の道標。 「距高麗橋元標壱里」とある。 (9:38) ここまでほぼ1時間で4kmで歩いたことになる。里という単位は歩き旅には重宝する。 |
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左) 玉津橋を渡る。 右) 渡って20mほどの交差点を南下する。 |
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左) 東成区大今里のあたりは曲折して分かり肉のだが、平成の道標と、歩道の丸っこい敷石が目印となって東成警察署の南側までの約500mの区間、続いている。 右) 道が分岐している箇所を南側の道を行く。 |
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左) 東成署 建物は奥に引っ込んでいるが、パトカーが見えている。このカーブで南下した道は再び東へ向かう。 右) 今里筋の手前の様子。 街道は今里筋を横断するが、センターラインにガードが設けてあり、車は直進できないようになっている。うっかりしてここで左折していまい、25分ほど道を間違ってしまった。 |
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左) 今里筋を挟んだ南側の様子。 コンビニの入るビルに暗越奈良街道のりっぱな説明金属プレートが設けてある。 珍しいことに個人が寄贈したものだ。 右) 上の絵は 中村菱江神社 下の絵は高井田長栄寺 |
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左) 暗峠 右) 春日大社 |
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大今里4丁目の様子。 | ||
大今里4丁目。 このあたりは熊野太神宮の氏子らしい。 |
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左) 大今里4丁目の南側で再び国道308号線に合流する。 今里筋からここまでは700mほど。 右) その角に文化三年の銘のある笠灯篭型道標が一基ある。 『右 きしのだう くはんぜをん 志ぎさん 八尾久宝寺 道』 ここから平野川分水路を越え、新深江交差点の先までの約1km、国道を歩く。 |
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左) 文具では有名なコクヨの本社ビル 右) 布施柳通 の交差点で国道308号線はいつのまにか府道24号線となっているが、道なりの幅の広い道のひとつ北側の道(北東)を進む。 この信号から次の信号までの約500mを進んだのち、街道は五差路をまた北東方向の道をとる。 |
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左) 城東貨物線の高架下をくぐる。 高井田中 右) 高井田 (11:00) |
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左) 高井田。民家の先に『暗越奈良街道 高麗橋元標二里』の道標がある。 反対側には 『枚岡一里三十三丁』とある。 右) 西堤通。御厨天神社の氏子らしい。 |
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御厨の公民館と街道の説明板。 府道702号線の北側だと思っていた街道がこの地図では府道の南側、御厨栄町、御厨中を走っている。 図中の川は寝屋川。 |
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府道702号線は御厨栄町交差点で府道15号線に変わっているが、街道はその一本木川の道で新御厨北大橋を渡る。 (11:31) |
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左) 橋を渡ったあたりは手持ちの地図と道路が合わなくなっている。右手の道を進み、500mほどで府道15号線に合流する。 右) 「意岐部小学校前」の歩道橋下を過ぎる。 |
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近畿自動車道の高架をくぐる。 食事をするところがこの先どうもなさそうだったので、不本意にもマクドで昼食をとった。 20分休憩 左) 500mほど行ったガソリンスタンドの先で街道は南側に緩く弧を描いて菱江の交差点に続く。 右) その区間の様子。祭礼の山車のための紅白の布ガードがあちこちに巻かれている。 菱屋東2丁目 |
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上段右の写真中にある道標。 | ||
左) 八劔神社。参拝しようとしたら本殿に氏子が参集して直会(なおらい)をやっていたので遠慮した。 右) 菱江交差点。 ここで街道は交差点の北東の道から入り300mほどでまた府道15号線に戻る。 |
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菱江1丁目のおかげ燈篭。 どうせ府道に戻るとはいえ、手を抜かずに回り道をすると街道の歴史に触れることができる。 慶応3年、ここ菱江村でも神宮大麻が11月下旬に降ってきて、翌月には幟、三味線、笛、太鼓をそろえて「ええじゃないか」と囃し踊ったと記されている。 準備期間をおいてやっているところにリアルさを感じるとともに、「ええじゃないか」がようやくここでしっくりときた。 |
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左) 府道15号線に再び合流する。 道路の向こう、左側の建物は河内署。 右) これから登る山が近づいてきた。 道路の反対側の白青赤の看板は「円天市場」とある。世間を騒がせた商売はこんなところに店を出していたのか。 |
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花園ラグビー場の北側の広い道路を横断した先の陸橋で街道は北東の道を約100m進んだのち、英田北小学校の東隣を北上し、小学校の北側の道を東へ曲がる。 |
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松原1丁目 松原宿があったところで、藁葺きの家が東大阪市内にあったというのは驚きだった。 「枚岡神社秋季大祭」の幟があちこちに立っている。 |
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英田北小学校の北側を東へ行ったとこの辻。この日は月曜で現在12:50。 山車に乗っているのはどう見ても小中学生の髪を赤や銀のラメに染めた子ども。 やっぱり河内は祭りにかける意気込みが違う。和泉のだんじりに負けないくらいの意気込みが伝わってくる。 伝統行事に奇抜な髪型やビミョーなファッションをアレンジするセンスはいかがなものかとも思ったが、江戸時代の河内の子どもを今、ここに連れてきて馴染ませたら同じような格好をするんじゃないかと思った。昔はやろうにもこうした飾りモノが無かっただけで、あれば当時でも既にやっていたのではないかと、妙に納得してしまった。 |
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左) 御神燈の列が続く。 水走(みずはい)の町 左) 水走橋を渡る。 ここでは大津神社の幟が立っている。 かつての村々で秋祭りを競い合うようにやっていた名残りだろうか。 これだけ氏子がしっかり組織されていれば、河内では神社の神職もやりやすいに違いない。 |
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左) 大阪外環状線・国道170号線をまたぐ陸橋を渡る。 右) 宝町を過ぎ、「箱殿東」の交差。 東向きに撮影しているが、ここは大阪を南北に貫く東高野街道との合流点でもある。 (13:12) 街道は茶色のビルの南側を生駒山に向かって行く。 |
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「箱殿東」交差点から 左) 北向き 右) 南向き にそれぞれ東高野街道を撮影したもの。 |
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左) いつのまにか復活した国道308号線を登る。 右) このお堂には見覚えがある。 奈良側から暗峠を越えたときに見た。 当時は気づかなかったが、大阪側から登ってくると、このあたりでも意外にも標高が高い。 |
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近鉄奈良線額田駅と枚岡駅の間くらい。 ガードをくぐると枚岡神社の参詣道で、秋祭りのために、月曜の昼間というのに若者を含む大勢の参拝客がいた。 (13:24) ここまで途中20分程度の昼食休憩を含めて5時間かかった。 |
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枚岡神社境内 祭りというのは見る方よりやる方が何倍もおもしろいだろうと思う。 伝統的に、血湧き肉躍るイベントなのだろう。こういう地域共同体がしっかりしたところで代々生活する人々が羨ましい。 |
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左) 枚岡神社拝殿 右) 折角高度をとったので、元の道を通らずに境内の途中から街道へ抜ける道を行く。 途中の出店で遊ぶ元気のいい小学生たち。 |
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左) 北側の参道から大阪平野を臨む。 右) 暗越奈良街道に出た。(13:47) すでに結構な高さだ。 |
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左) この急斜面を登る。 冬は道路も凍結するだろうが、どうやって生活しているのだろう。ただし、夜景は絶景であることは間違いない。 右) 勧成院。日蓮宗の寺で、芭蕉の句碑がある。 『菊の香に くらがり登る 節句かな』 |
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左) 休憩所がある。 ただし木々に遮られて大阪の景色はほとんど見えない。 |
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左) 途中、右手にトイレを発見。 5年前にはなかったが、小さめのしゃれた個人宅風。手前には車2,3台ぶんの駐車スペースもある。 ちょっとお金かけすぎじゃ・・・。 右) さらに高度が上がっている。 息もあがっている。 |
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左) 凍結時の用心のための温度計がカーブにある。ちょっと下では21度だったが、ここでは17度だった。 右) 弘法の井戸 生水なので飲まないようにと注意書きがあるが、手を浸すとひんやりして気持ちいい。 |
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登り坂も多少緩くなってきた。 | ||
左) 秋らしい筋雲が峠に近いことを教えてくれる。 右) この歩道風の道が実は国道308号線。 暗峠へ続く。 生協の2トントラックがここを上っていった。 |
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ついに峠に到着。(14:37) 枚岡神社から約1時間かかった。 |
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月曜日にもかかわらず峠の茶屋 すえひろ が開いていた。ここで小休止。 アイスコーヒー¥350、和歌山から送ってきたという柿、4個入り ¥200。 井戸水だという水がたいそうおいしく、何杯もお代わりした。 |
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奈良側の峠の喫茶店も今日は開いていた。 (14:56) これから奈良側を下る。 棚田の揺れる稲穂を期待していたが、既に刈り取りを終えていた。 |
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大阪側から上ってくると、暗峠の奈良県側は勾配がまだ緩い。 気分もゆったりしてくる。 |
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というわけで、コスモスを撮してみたりもする。 | ||
脱穀した、籾殻を焼く煙がたなびく。 | ||
家が見え始めた。(15:27) 民家の柿の木と秋空。 |
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この辺りまで来ると道は緩い坂となる。 | ||
左) 生駒南小学校の前を通る。 右) 竜田川の橋の手前。 このさらに手前にある交差点のところに、業務スーパーができていた。 |
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左) 5年前、ここでお得な弁当を買ったのだが、無くなっていた。残念。 そのかわりに、この向かいにパン屋ができていた。 右) 近鉄生駒線・南生駒駅 (15:51) 峠からはこちらも約1時間だった。 |
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本日の歩行データ 35,650歩/27,463歩(しっかり歩行) 1,146Kcal/消費脂肪 74.3g 歩行距離: 25.7km |
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続きのルート: 22) 暗越奈良街道 南生駒−平城宮趾 (11km) 2004/04/02 |
更新日: 2007年 10月16 日