第55 回 大雲取越(おおくもとりごえ)  那智駅 - 熊野那智大社   2006年11月9日


 後鳥羽上皇に随行した藤原定家の日記には、中辺路を
経て、熊野本宮を参拝後、舟で熊野川を下り熊野速玉大社に
参拝した。その後、浜の宮から熊野那智大社へ向かった。
そこ本宮へは直線距離に近いものの、那智大社の後ろに聳える
山々を越える大雲取越、小雲取越の難路を雨天の中、一日で
戻っている。
今回の歩き旅では、那智・浜の宮から那智大社、大雲取越、
小雲取越、本宮大社、川舟下り、速玉大社を巡る計画を立てた。

左: 新大阪 9:02発 オーシャンアロー5号

写真下段(紀ノ川、有田川)


<計画編>
時期: 秋ならば10月中旬から12月初旬まで。
   このルートはウォーキングというより登山に近いので、
   暑い時期はやめた方がいい。
交通手段:
パックツアー、バス、JR、自動車を検討した。
パックツアーは計画ルートにうまく当てはまるものがなく、近いもの
でも個別手配した金額と大きな差はなかった。
バスは以前は新宮までの夜行バスがあったようだが、今は運行
していない。これがあれば一日をフルに活用できるので新宮から
那智大社へのルートを歩くこともできた。
大阪からのバスは白浜止まりである。


自家用車は時間の制約はないものの、所用時間と費用と疲労を
考えると一人だけならJRに軍配があがる。

候補1)
新大阪発 7:35 (スーパーくろしお1号) 紀伊勝浦着 11:36 
(勝浦から那智駅へはバス30分毎、乗り継ぎのJR普通は13:18)
候補2)
新大阪発 9:02 (オーシャンアロー5号) 紀伊勝浦 12:35
紀伊勝浦 13:07 (紀勢本線普通)  那智駅 13:11

これ以後の特急では那智大社へ歩いて、宿坊に17時までに入ること
は難しい。始発のくろしお1号は勝浦からの接続が悪いので、
次のオーシャンアロー5号に決めた。

ちなみに、紀伊勝浦駅〜那智駅 (14.7km/5時間)、那智駅〜熊野那智大社 (7.4km/2時間半)、
宿坊は夕食が17時と早いのでそれまでに入らなければならない。そこから逆算すると選択肢は少ない。
宿坊にしたのは、翌日の大雲取越の所要時間(6〜7時間)に余裕を見たためである。
もし、当日朝、勝浦の旅館からバスで那智大社へ行く場合は、勝浦駅発のバス(7:25、8:25、8:50)
(¥600/所要時間30分)へ乗るが、朝の慌ただしさ、コストを考えると宿坊の方をお薦めしたい。

2日目は、尊勝院・宿坊を早朝に出発する。大雲取越は「和歌山県街道ガイドマップ熊野古道」によると、
熊野那智大社〜小口(熊野川町) 補強距離 14.5km 標準歩行時間 5時間10分/標準所要時間 7時間
「熊野那智大社・青岸渡寺に参拝の後、妙法、大雲取の山麓に分け入るルートに挑む。
雲の中を行くがごとき厳しい坂道を越え熊野川町小口の里へ。」 と解説している。
小口自然の家も夕食は17時30分なので17時には入る必要があるが、この時期、16時ごろには薄暗くなるので
早めに入るように余裕を持つようにしたい。
小口での宿泊は、小口自然の家民宿百福が街道沿いにあり、ちょっと離れているがさつきもあり、このなかから
のチョイスとなる。 小口自然の家は清潔で適度に広い個室に、たき火で焼き芋をごちそうになるなど
思わぬ歓待に非常に好感のもてる宿だった。

3日目は、小口自然の家を出発し、小雲取越を歩いて昼前に請川バス停に到着。もし本宮参拝後間に合い、
なおかつ当日予約できれば川舟下りで新宮へ行く。

* それぞれの宿は一月前に予約したが、宿泊日が平日なので空いていた。3,4、5月、10,11月の休前日は
雲取越えのお客さんで賑わうので予約は早めにしたい。

帰りのJR:
新宮発 15:47 (スーパーくろしお32号)
      17:58 (オーシャンアロー5号) 大阪行き最終便
<交通関係リンク>
 えきから時刻表 JR時刻表
 熊野交通 バス時刻表
 川舟センター ネット予約。空きがあれば当日も可能

*和歌山のJR線、バス路線は本数が少ない。路線バスはさらに高いため大阪の感覚からすると使いづらい。
 古道歩きには余裕をもった時間と、ポイントを押さえた乗り継ぎの計画を事前に立てておかないと、ひとつ
 乗り遅れがあるだけで大きく計画が変わってしまう。 
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11月6日(木) 晴れ、気温は17℃/23℃
喫煙車自由席3号車の進行方向右側(海が見える)に席を取る。
紀ノ川、有田川、日高川を渡り、車窓からを見ていると一昨年
歩いた紀伊路の風景に出会う。
海岸線に沿った線路は大辺路に近づいたり離れたりしながら
串本を過ぎた。

左: 串本、橋杭岩






新大阪駅で買った駅弁 ¥350
コストパフォーマンスがよく、満足。

紀伊勝浦駅に、12:34 到着。つぎの普通車乗り継ぎまで30分
ほど時間がある。勝浦の町を散策することにした。

 駅からは5分ほどで勝浦漁港へ出る。
漁港に面した場所に足湯(無料)があり、その前からはホテル
浦島の威容が半島に聳えている。
足湯の右手に進むと、魚市場があるがこの時間にはマグロは
すでにない。 飲食店には冷凍ものではない「生まぐろ丼」を
メニューに掲げる店もあるが駅弁を食って間もないし、夕食は
早いしで、見送った。 

無料の足湯

イルカ型の船で
浦島へ渡る。



13:07
紀伊勝浦駅発に
乗り那智駅へ。




5分で到着。那智駅前、丹敷の湯(にしき)

いよいよ今回の街道歩きが始まる。しかし、雲行きが
怪しく雨がぱらぱらと降ってきた。
線路の地下道をくぐって、浜の宮、那智海水浴場の砂浜に出てみる。




熊野古道街道マップ P8,9 (那智駅〜熊野那智大社) 参照
(歩行距離:7.4km、標準歩行時間2時間15分)



 駅前の道を渡る
と浜の宮大神社
が見える。
(13:22)










<説明版より>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
浜の宮王子社跡
 藤原宗忠の日記、『中右記』天仁二年(1109)十月二十七日に、
「浜宮王子」とみえ、白砂の補陀洛浜からこの王子に参拝した宗忠は、
南の海に向かう地形がたいへんすばらしいと記しています。『平家物
語』には、平維盛がここから入水したと記されているように、補陀洛
浄土(観音の浄土)に渡海する場所でした。
那智参詣曼荼羅には、浜の宮王子の景観とともに、この補陀洛渡海
の様子が描かれています。また、浜の宮王子では、岩代王子(南部
町)と同様に「連書」の風習がありました。


連書とは、熊野参詣に
随行した人々が、官位・姓名と参詣の回数を板に書いて社殿に
打ち付けることです。応永三十四年(1427)の足利義満の側室
・北野殿の参詣では、十月一日に「はまの宮」に奉幣し、神楽を
奉納したのち、帯や本結(紐)を投げると、神子女(巫女)たちが、
争って拾った様子を、先達をつとめたと、僧実意が記しています。
三所権現あるいは渚宮と呼ばれていましたが、現在は熊野三所
大神社と称しています。
なお、隣の補陀洛山寺は、千手堂あるいは補陀洛寺と呼ばれ、
本来はこの王子社と一体のものでした。
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左:
補陀洛山寺
駐車場から県道
46号線へ出る。
(13:27)

右:
マップに「医院の
看板が目印」
とある箇所。
右の道を行く。
(13:29)


左:
川関橋の手前で
県道に合流後、
また分岐。右へ。
マップに「那智勝浦
線の看板が目印」
とある箇所(13:34)

200mほどでまた県道
と合流する。




左:
マップ2つめの
拡大図の箇所
右折する。
(13:47)


右:
道標から見た進行
方向




左:
200mほどで、左折。
(13:48)

右:
すぐに橋があり、渡って
右折。







川沿いに30m
ほど進み、石垣の途切れる
箇所、森の手前で左折。

山道の方向へ入っていく。
(13:50)









マップには「緩やかな登り坂」
とある箇所。
10分ほどの山道を歩く。










尼将軍供養塔
(14:01)

右手に供養塔(北条政子)が
一段高く祀ってある。
直進せず、供養塔の前で左へ
曲がる。
道なりに進むと霊園があり、
標識にしたがって進むと、
アスファルト道の下り坂に出る。




荷坂の五地蔵
(14:09)

坂を下りきるとまもなく
平敦盛を祀った地蔵が
右手に見えてくる。








人里に降りて、生活道路を
歩く。県道46号線はこの道の
左向こうを平行して走っている。

小学生の下校時間帯。
田んぼには実り始めた稲穂が
ついている。先月、奈良では
すでに稲刈りが終わるころ
だったが、二期作だろうか。





市野々王子
(14:17)











 −−− 説明板より−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 
  市野々王子

 天仁2年(1109)に熊野に参詣した藤原宗忠は、10月27日、浜の宮王子の後、那智鳥居政所を経て、
小川を数回渡り、この「一野王子社」に奉幣しています。ついで、承元4年(1210)に後鳥羽上皇の後宮・
修明門院に随行した藤原頼資は、5月4日に「一乃野」王子に参拝しています。那智参詣曼荼羅には、
井関と二瀬(にのせ)橋の間に、小社を描いていますが、これが市野々王子であろうと推定されています。
累計的な図像ですが、中世末〜近世初頭の王子社の形態を知る上で参考になります。近世には、那智山
の末社となり、若女一王子社あるいは市野々王子と呼ばれています。この王子社は元からここにあったと
いう説と、百メートルほど上の文明の岡と呼ばれる所に旧社地があり、江戸時代に当地に移されたという説
があります。明治時代に那智山の支配から離れて、王子神社となり、文明の岡にあった金比羅神社を合祀し、
現在に至っています。
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 参拝して先に進む。














−− 説明板より  −−−  お杉社−−−−−−−−−−−−−−

お杉社には、天照大神と御子の忍穂耳尊(おしほみのみこと)(瓊瓊杵尊
(ににぎのみこと)の父)と葺不合尊(ふきあえずのみこと)(神武天皇の父)の
三神が祀られていました。
 神話で天照大神から瓊瓊杵尊が八坂瓊玉(やさかにのたま)、八咫鏡
(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)の三種の神器を賜った話で知られる
神々です。藤原宗忠が中右記(1109)に「一時王子に参り奉幣」と記されている
九十九王子の一つで、今は東方百メートルの社に移されていますが、旧暦
九月七日お杉屋を建て、お旅所としてお祀りしていました。
 境内には天照大神がお姿を現されたという影向石があります。
                               那智勝浦町教育委員会
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県道と合流する。(14:39)
県道を渡るとすぐに大門坂の
入り口がある。

浜の宮、補陀洛山寺から
入り口まで、ちょうど1時間
10分だった。







青々とした稲穂。

鳥居の手前に蜜柑の無人販売
4個で100円。甘くおいしい。










鳥居をくぐり、丹塗りの橋を渡る
と平安衣装を着て記念撮影の
できる店がある。
木曜日なので大門坂を徒歩で
登る人はいなかった。









写真ではスケール感が伝わらないが、樹齢800年
の夫婦杉の巨大さにいきなり圧倒される。












<説明版より>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
多富気王子跡

 熊野参詣中辺路にある最後の王子社です。おそらく樹や峠の神仏に
「手向け」をした場所で、それがいつしか王子と呼ばれるようになったと
思われます。ただし、王子の名は中世の記録には登場せず、江戸時代
の地誌類にみられます。『熊野道中記』には、「那智山坂ノ内壱待ち程
上がり、右ノ方」と記されています。また『紀南郷補記』では若一王子、
『紀伊続風土記』では児宮(ちごのみや)と呼んでいますが、『熊野巡覧
記』には、若一王子と児宮の両方の名をあげています。江戸時代には
社殿がありましたが、明治十年に熊野夫須美神社(現、熊野那智大社)
の境内に移され、跡地だけとなりました。
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大門坂

















大門坂を登りきると
土産物屋の並ぶ
通りにです。
観光バスの駐車場
もあり、人が急に
多くなる。
(15:16)

大門坂を登るのに
30分かかった。
予約した宿坊に入る
には少し早いので
ここで小休止。



















晴れ間も見えてきた。


標高は約400m。
大門坂から一気に300mの
登り坂。








左:
「那智山熊野権現」の扁額の
かかった鳥居。
観光客はまず、補陀洛山寺に
まず向かっていたが、こちらは
まず神社の方から参拝。

右:手水鉢の向こうに下界の
景色が垣間見える。





左:
二つめの大鳥居への階段を
登る途中、振り返って。
標高以上に高さを感じる。


右:
「熊野那智大社」の扁額






清浄な空気に、清浄な空間。
朱色が鮮やかに映える。












左:
境内より一の鳥居の方向

右:
拝殿、札授与所









左:
御札などを4000円分頂く。

右:
境内右手から青岸渡寺へ
入り、参拝する。
境内を滝の方へ行くと、ご神体
である滝の姿が拝める。






 宿坊の場所を尋ねると、さっきの滝の見える場所
のすぐ下にある、とのこと。
迂回して階段を下りる。 (15:53)

 宿坊 尊勝院 二食¥8,000
の看板も出ている。

 史蹟に泊まれるだけでもうれしいが、この値段も
うれしい。





−−−−説明板より −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
和歌山県指定文化財
史蹟 中世行幸啓御宿泊所跡尊勝院

 この尊勝院は那智山の開山裸形上人像と尊勝院仏頂如来像を安置し、
かつては飛滝権現(現那智滝)を管理していた那智山執行職が代々にわたり
住居した僧坊であったと云われ、中世以降天皇皇族貴紳の熊野詣の宿泊所
にあてられていたことで有名である。またここには那智山の秘説を載せた書が
「尊勝院文書」として残っている。
 現在の建物は江戸初期の再建と思われ桧皮葺唐破風の四脚門は熊野三山
では珍しい建築である。  熊野信仰を知るうえに貴重な史蹟である。
      和歌山県教育委員会  那智勝浦教育委員会 那智山青岸渡寺
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 宿坊に荷物を置き、17時からの夕食までにまだ
すこし間があるので瀧を見に行く。
五重塔を過ぎ、坂道を下り、10分ほどで到着。

飛瀧神社。瀧はご神体である。日本一の多雨地帯である
尾鷲に繋がる熊野の山々に降り注いだ天の恵みが、
川となって山裾を縫い、絶壁から瀧となって力強く岩を
叩く。
滝といえば、海外ではナイアガラが思い浮かぶが、
こうした水の造形にさえ、自然への畏敬の念を感じ、
神格化する。 現代の日本人でも何ごとか、畏怖の念
を感じることができるのが興味深い。
この自然を畏敬する感覚は、一神教徒には分からない
のではないだろうか。拝観料を払い先へ進む。
瀧の水は、延命水として杯に汲んで飲める。
水の躍動的な力を間近に見ると、杯に汲んだ水にも
その自然の力が籠もっているような気がする。

 尊勝院に帰る(17:08) 庭から部屋を写す。

すぐに風呂に入り汗を流すと、まもなく夕食の膳が運ばれてきた。
「ビールは飲みますか?」と聞かれ、缶ビールをお願いすると、
「おまけでいいわ」とごちそうになった。
ネットでの下調べでは朝5時からの勤行があるらしいが、お誘いもなかった
のが残念やらホッとするやら。
宿データ:
 ゆかた有り。ドライヤーは共同洗面所にあり。タオル無し。風呂は男女別。
トイレは男女共有。 六畳間、テレビ有り。
翌日の弁当は追加で¥400。
 食事は精進料理風だが、たいへんおいしかった。ゴマ豆腐も香ばしく、
一品一品賞味しながら完食した。

歩行データ: オムロン万歩計
18,645歩/8,100歩 (しっかり歩行)
589Kcal/消費脂肪 35.2g 13.05km

ソフトバンクの携帯電話は、那智山から大雲取越、小口、小雲取越まで
ずっと圏外で使用できなかった。唯一目覚ましとして役立った。
21時には床に入り休む。
この日の宿泊は私と沖縄からの女性2人組だけで、彼女らも明日は大雲取越
を歩くという。下調べではなんだか険しい坂道が続く、熊野古道最大の難所の
ようだが、実際はどうなのか、期待しながら寝入った。





翌日に続く。


更新日: 2006/11/26

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