第54 回 京街道  枚方 - 山科   2006年11月4日


 枚方宿からの続きを歩く。予想最高気温21度、快晴。
阪急高槻駅から京阪バス1,1Aに乗り、枚方公園口で
降りる。(¥250)

8:50から続きをスタート。

 バス停を降りると淀川の開けた景色が左手に広がる。
土手のバス道左手に 郵便屋の渡し の石碑がある。




















 鍵屋資料館を
過ぎる。











----説明板より-------------------
 旧枚方宿 問屋役人
    木南真右衛門家 屋号 田葉粉屋

 東海道枚方宿泥町村の木南家は楠木一族の後裔と考えられる。
江戸時代初期から庄屋と問屋役人を兼ねていた。幕末期には
農業経営を発展させ、金融業も営んでいた。
 また、くらわんか船の茶船鑑札を所持し、宿駅と村の運営に
大きな影響力を行使した。
 本建物は明治期と推定される。長い間口に出格子と虫籠窓が
連なる伝統的な構成をもつ表屋造りで、広い敷地内には四棟の
土蔵を配している大規模な町屋である。
                  平成三年 宿場町枚方を考える会
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左:
枚方宿本陣跡は
左折する。


右:
浄念寺




































 枚方市三矢町
私鉄駅の近くにもかかわらず
宿場町の風情がよく残っている。










左:
本陣跡 進行方向に向かって
の撮影


右:
左手にある本陣跡。
公園の入り口の
説明板は下の写真。





























































 京街道は三矢町から岡本町に入る。

左:
常夜燈

右:
VIVREの南側を通る。枚方宿の石碑
がある。宗左の辻へは、この先の道路
を渡る。かつては枚方宿の遊女がここ
まで見送ったらしく「送りましょうか、送ら
れましょうか、せめて宗左の辻までも」
という俗謡が残されているらしい。


左:
枚方市駅前の
道を横断した
向うに宗左の辻
がある。
京街道は左へ。
磐船街道へは
右へ行く。



















-----説明板より---------------
  旧枚方宿 問屋役人
      小野平右衛門家 屋号 八幡屋

 東海道枚方宿岡新町村の小野家は、江戸中期より村年寄と
問屋役人を兼ね、村と宿駅の運営に影響力を行使した。
 当家には、正徳六年(1716)建築の古図と鬼瓦を存するが、
現在の建物は幕末期と推定される。
 本建物は、街道に面した広い間口で、表門口には揚見世と
下げ戸が現存し、曾て醤油業を兼ねていた町屋の遺構を残し
ている。
 尚、近年の主屋改修において、明治一八年六月の淀川洪水
による軒先浸水時の鮒がミイラとなって屋根裏から発見された。
              平成三年 宿場町枚方を考える会
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----- 説明板より--------------
東見附
 東見附は天野川に接する枚方宿の東端で、道の両側に
柵で囲われた松が植えられていました。「河内名所図会」
(享和元年-1801)には、淀、伏見方向に向かう
大名行列が天野川の橋に差しかかり、見送りに出た宿役人
が東見附で待ち受ける光景が描かれています。
 元文2年(1737)の「岡新町村明細帳」によると、
天野川には長さ17間、幅3間1尺の板橋が架かっていて、
岡・岡新町両村が共同管理していましたが、修繕・架替の
費用は幕府が負担していました。
 紀伊徳川家は、参勤交代の際枚方宿に宿泊しましたが、
天野川渡河にあたっては、既設橋の上流に専用の仮橋を
架けさせました。
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左:
府道13号線の
(かささぎ)橋を
渡り、すぐに右折、
さらに左折して
東見附からの
延長の道を北
へ向けて行く。

右:
天野川町



左:
昭文社の地図には
ない道。
旧道は京坂線路を
右手に見ながら、
日野橋を渡り、
磯島北町で府道
13号線に合流
する。

右:
その合流箇所


左:
写真右上の箇所
に、折れた道標。
最近のものだが、
それでも痛ましい。

右:
御殿山駅の手前
(9:34)





三栗(めぐり)
交差点の先、
農道の標識の道
が旧道。
(9:42)

13号線の西側を
膨らむように曲がり
出口を直進して
13号線を渡る。




左:
湾曲した街道は
この交差点で府道
13号線を渡り、
東へ進む。
この道も昭文社
の地図には記載が
なかった。

右:
枚方三栗郵便局
(9:48)


左:
三栗2丁目で踏切
を渡り、黄金野
(こがねの)1丁目
に入る。
(9:51)

右:
黄金野1丁目
神社の参道。
道標2基
鳥居は無い。


享和元年の常夜燈2基

『御神燈』 京都 講中
       大阪 講中

「大坂」ではなく「大阪」としているのは
商人は「坂」を下り坂に繋がるとして
江戸時代から「阪」の字の方を使った
という実例。









左:
さかいまいけ公園

右:
京坂牧野駅南側
で穂谷川の土手
に上がる。







橋を渡り、京坂
牧野駅の北側で
線路を越える。


その後、右に線路
を見ながら進む。







上島町で船橋川
の土手に上がる。

右:
お地蔵さんと
八幡宮の道標
(10:16)







土手道を左折し、
府道13号線の橋
を渡り、ふたたび
右折し対岸の
街道の延長線上
の道をたどる。

右:橋から見た
船橋川





左:
対岸の土手道から
左折したところ。
樋ノ上1丁目

右:
800mほどで
府道13号線と
合流する。



















楠葉駅の方へ
右折し2つめの
道を街道は行く。
(10:34)

楠葉駅前で、
ちょっと早めの
昼食休憩にした。
マクドにて。





(11:05)




右:
道標
「右八幡宮
 二十二丁」





左:
町楠葉二丁目

右:
久親恩寺
(11:18)








楠葉砲台跡
(11:20)
幕末、外国船
から京都を守る
ために据えられ
た幕府側の砲台。
鳥羽伏見の戦いでは、ここを小浜藩
が守り、対岸から
官軍に内応した
津藩が砲撃して
きた。



台場から淀川を
鋏み山崎方面の
山が見える。

今の京都競馬場
あたりの激戦地
から潰走する幕府
軍で混乱を極めた
という。
左:
久修園院
ここを過ぎると
京都府八幡市。

八幡市 栗ヶ谷
橋本黄金川

「橋本の渡し」
で栄えた町。
戦前の建物だろうか
旅館の造りの家が
並ぶ通り。






左:
通りは突き当たり
で左右に道が分
かれる。

右:
左方向。
柳谷の道標
川を挟んで橋本
の渡しがあった
あたり。
淀川の対岸には
水無瀬神宮がある。

水無瀬神宮といえば大山崎の油座が
有名で、室町時代に荏胡麻油の全国
専売権を握っていた。

突き当たりを右へ曲がる。
京坂・橋本駅の手前で左折する場所。
道標:
「左 八まん いせ」

道標を左へ曲がり、直進する。




写真:下左
大谷川を渡ってすぐ右折。
直進すると府道13号線の土手道へ
上がるが、平行する一本手前の道を
たどる。











文政五年の
常夜燈
(11:39)









楠の木
このあたりから
御幸橋北詰まで
渡しがあった。
するとさっきの
道標は移設されて
いるのではないだ
ろうか。






迂回路として、
府道13号線と
御幸橋を渡る。

左:
右手に見える
石清水八幡宮
右:
御幸橋
明治18年、勅使
が八幡宮へ向かう
のに際して作られた
ときの命名。

橋からの撮影。
渡しがあったころの
あたりの様子。
木津川が流れる。
対岸に見えるのは
中州で、その向こう
は宇治川が流れる。







左:
木津川下流方向
まだ宇治川と合流
していない。

右:
2本目の御幸橋
宇治川に架かる。
架け替えられた旧
橋脚が残っている。




左:
宇治川
上の写真と比べて
水の色、

右:
資料で街道と
されるあたり。
道はない。
横切る高架は
京滋バイパス



左:
迂回路として、
府道13号線を
進み、

右:
京坂電車の車庫
手前を右折し、
線路の高架下
をくぐる。
ここから伏見区淀



伏見区淀 美豆町


右:
涼森神社の杜









左:
円通寺












左:
西岸寺



伏見区淀 美豆町









警備員が道路を
渡るとき親切に
誘導してくれるが、
あちらこちらに
立っている。
不思議に思って
いたら、競馬場の
関係だと気づいた。





左:
京坂淀駅南側
高架工事中。
このあたりもまた
道の様子が様変
わりするのだろう。

右:
駅の北側を進む。
納所(のうそ)交差点
鋭角に曲がり、市道
204号線を行く。


左:
淀小橋跡の碑
秀吉時代の淀城
は東北東の方角。

街道は線路の北側
に沿って進む。







JRAの北側、今は駐車場になっている
あたりが、戊辰戦争の激戦地。
慶応4年(1968)1月、大坂から進軍
した幕府歩兵、会津、桑名の藩兵と、
薩長の軍勢とがここで激突した。
 このあと慶喜は大阪城を出て海路
江戸へ逃げ帰り、新政府軍へ恭順の
意を表した。

(13:05)




線路脇に沿って
進むと踏切が
ある。旧道はもっと
手前だったらしい
が鉄道敷設で道
が変わった。

堤防沿いの道を
行く。





左:
国道1号線、
宇治川橋北詰。
街道は横断する
のだが、交通量
の多さと車の速度
が速くて横断でき
ない。
あきらめて北側へ
迂回することにした。
横大路交差点を
右折する。
(13:30)

府道188号線
を東行し、横大路
下三栖で、水路
を横断し、東町へ
はいる。

肥後橋を渡り、
中書島駅の北側
で左折して京橋
を渡る。




京橋の東に、
三十石船の乗り場
がある。

右:
出て行く三十石舟
京橋から西方向を
撮影。
(14:08)





伏見の町中の
街道ルートについて
は二つの資料で
異なっている。
江戸時代には、
伏見の町は水運
で栄えた港町だった
ので、町割りが
できていた。
街道ルートからは
一筋離れるかも
しれないが寺田屋
前を通ってみた。
(14:10)

左:
寺田屋東の筋を
北へ向かう。

右:
次の東西の道を
右折すると。
黄桜のかっぱ
カントリーがある。
船宿といい、酒造
の家並みといい、
幕末の雰囲気が
残っているエリア。

黄桜を過ぎた次の角を北へ曲がり、北へ向かう。
伏見区役所(写真:左)を右手に見ながら突き当たりの
伏見文化センターまで北進する。

(14:22)










資料「京街道」は
伏見の町から東へ
向かう。
枚方文化観光
協会編
「東海道57次
イラストマップ」
によるルートを
たどることにする。
(枚方鍵屋資料館
にて入手)


伏見区東町













左:伏見文化センター、駐輪場角に
ある道標。もとの場所からは移設された
らしい。

ここで東へ曲がり次の筋を北へ曲がる。









左:
次の交差点で
北東角に本成寺
がある。
ここを東へ曲がる。

二つめの筋、
両替町を左折し
北上。

右:近鉄高架を
くぐる。
(14:45)

撞木(しゅもく)町廓入り口
両替町の南北の通り、西側の道路両脇
に立っていた。 (14:51)

写真:下
欣浄寺(ごんじょうじ)
平安時代、小野小町のもとに百夜通うと
誓ったが百日目に急逝したという深草少将
の邸宅跡と云われる。
 伏見大仏は江戸中期の作と云われ、
木造大仏としては最大。
拝観には予約が必要。






深草少将の邸宅
跡と云われる
欣浄寺











左:
伏見墨染郵便局
がある通りを右折
する。

右:
まもなく、右手に
墨染寺が見える。






左:
墨染橋を渡り、

右:
京坂墨染駅の南側
の踏切を渡り、次の
道を北へ曲がる。







藤森神社の手前
で東へ曲がる。












京都教育大の正門
を過ぎ、JR藤の森
駅手前で左折し、
(写真:左)北へ
進む。


深草大亀谷






JR線を跨ぐ橋を
渡り、左折。
(15:12)


深草大亀谷








府道35号線に出て、右折し東行する。
30mほどで北側に迂回する旧道が
ある。

右:
旧道への分岐手前にある
深草毘沙門天 道標
(15:21)







旧道は500m
ほどで府道13号線
に再び合流する。










名神高速の南側
に接して東行する。
旧道は高速道
のため消滅。











途中で、山科区
に入る。

右:
勧修寺の南側を
通り、東側を北へ
道標のある門の
箇所で東へ曲がる。





左:
山科川を勧修橋で渡る。
(16:00)
イラストマップには、東海道が三条と
分岐する追分を過ぎ、逢坂山を越えて
大津までのルートが案内してある。
残り8kmあるが、京都地下鉄東西線
小野駅を過ぎると、街道沿いには駅は
無い。日も傾いてきたので今日は
ここまで。
(16:08)




(歩行データ)
42,197歩/36,454歩(しっかり歩行)、 1,245Kcal/90.6g(消費脂肪) 29.6km



更新:2006/11/12

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