第45 回 熊野古道・大辺路 周参見 - 串本  2005年11月18日


 大辺路3日目は、段築と枯木灘の眺望も美しい長井坂を
歩く。大辺路では、富田坂、仏坂とこの長井坂の3箇所だけ
が世界遺産に登録された。
特に長井坂は、町有林だったため杉の植林から免れ、落葉樹
である姥女樫が往時のまま茂り、地道に落葉のクッションが
敷き詰められた貴重な古道である。

 古道から国道に出ても枯木灘の雄大な景色が目を楽しませて
くれる。難点は周参見から、次の宿泊地である串本に日暮れまで
に到着することが難しいこと。




(街道マップ 「大辺路」 長井坂 周参見駅 〜 見老津駅(すさみ町) P8〜P9) (PDF)

 民宿で朝食を7時から食べ、8時にチェックアウトした。
コンビニはこの後、街道沿いには無いため、前日に飲み
ものと合わせて用意しなければならない。

周参見の街並みから国道42号線に合流。
すぐに枯木灘の景色が広がる。








 上段右の写真の場所で、水平線の見える景色が広がり、国道は左手に
カーブして入り江に沿ってまた右手にカーブする。(写真:左)
実は、このカーブの中央辺りのあるコンクリート工場の現場(君嶋組)の
中を入ったところに馬転坂がある。
 たしかにガードレールに手書きの看板があったが、まさかと思い、
そのまま街道マップにしたがって進んだ。
 写真:左の小高い丘を回り込むように国道は進み、鋭角に曲がった
後、白鳥隧道へと続く。






(写真:左)  (注:大辺路ではない)
白鳥隧道(右手)と、その手前の地道。
街道マップでは、左手の地道を進みトンネルの向こう側へ出る。
しかし、地道を進み、トンネルの反対側へ出たところで、「馬転坂」
の手書き看板を見つけてしまった。
 地元の人々の調査、普請で通れるようになった大辺路である。
てっきり先に進むものと思って、まさに馬も転ぶような険しい道を
歩いていくと、なんと写真上段右のあの入り江に出てしまった。
馬転坂は街道マップの白鳥トンネルの山側を細かく蛇行しながら
続いていたのだ。
 この回り道でいきなり35分ほどロスしてしまった。
実際に歩いた道を紹介するより、最新の大辺路情報として、以下は
街道ルートに沿った順序で紹介する。

 入り江の中程に、ガードレールを隔てて
君嶋組の採石場か、重機が並ぶ工事現場
がある。
その真ん中を進むと、手書きの「馬転坂」の
看板があり、急な石段が現れる。

 馬転坂の写真は、実際は反対方向から
後戻りしてきたかたちで撮影したものなので、
すべてのアングルは進行方向を撮影した
ものではなく、振り返った場合のものと見て
頂きたい。




工場?工事現場?
普通、ガードレールに
大辺路の道案内が
あったとしても、この
敷地内には入らない
だろう。








 大辺路の道標が
分かりやすく設置して
ある。










 草が刈ってあり、
道標があるので、迷わ
ないが、来年もこうして
きちんと残っている
だろうか。









 採石場の跡か、大きく
山が削り取られている。
しかし、視界は開け、
水平線が気持ちよい。












 開豁地から再び、羊歯
の生い茂る林へ入る。
道標がなければ、ちょっと
躊躇してしまうだろう。

右に左に道は曲がり
蛇行を繰り返した末に、
急な石段となる。





 この急な石段。
まさに馬転坂。

写真:右)
ここで、白鳥トンネル
をバイパスした旧道
の地道に繋がる道へ
出る。






 馬転坂を折りきると、目の前にフェンスのある下り坂が続き、
国道と合流する。

 街道マップには「このあたりはフェンスが張ってある」と
説明のあるところ。

 写真:下段左は、このフェンスのある坂道を下の国道側から
見上げたもの。
いずれにしても古道は、国道の開鑿前には切り立った断崖を避け、
山の斜面に沿って存在していたと思われる。


















 写真:左)
西浜バス停。
この手前で左へ曲がる。

『世界遺産 長井坂』
の説明板がある。

(9:00)






 初めの分岐を右側の上りへ。













 JRきのくに線と平行
して進んだあと、杉林
の中へ道は入っていく。













街道マップでは、アス
ファルト道を進むことに
なっているが、地道へ
大辺路の道標が新たに
設けられていた。









写真:右)
一里塚松
街道マップの赤線の
ひとつ上の道がこの道。

これも地元の人々の
道普請によるものだろう。






 和深川の集落。
山間の集落ののどかな
道を歩く。
農作業をしているおじい
さんに「早いのう」と声を
掛けられる。






















 和深川王子神社
中辺路と違ってなにか
が足りない気がするのは
王子社(跡)が少ないこと。

ここは数少ない王子社の
ひとつ。





















 長井坂西登り口
の地図看板

この先で、川へ降り、
橋を渡る。
 (10:00)

橋の手前にスタンプと
記帳がある。





 いよいよ長井坂へさしかかった。
苔むした石畳も良い感じ。

 ただ狩猟期間に入っているので、
もっと目立つ色のものを身に付ければ
よかった。
昨年は熊の出没が各地で多く報告された
が、今年は聞かない。






 道の傾斜を見ても分かるように、山を回り込む
ように蛇行しつつ高度を上げていく。


 大辺路街道道標が500mごとにある。

山道は山の日の当たる斜面と日陰の斜面とで光線
の量が大きく異なる。
昨晩、民宿で一緒になったこの山で仕事にきている
人が言うには、14時ごろには暗くなって仕事になら
ないらしい。




















落葉樹林は葉を落として
いるので、道も明るい。
さらに地道は落ち葉の
クッションが続く。
長井坂は大辺路随一の
お薦めの古道である。


初めのView Point
へ到達。
枯木灘が美しい。
(10:24)






























 段築
古墳を作るのと同じ
手法で、赤土に粘土
を混ぜてたたき固めた
もの。江戸時代のもの
が実によく残っている。

はじめの段築は約20m
続く。

(10:35)































2つめの段築
(10:41)
 約5m


























枯木灘を一望できる
View Point
(10:47)

腰をかけるものもなく、
立ったままでパンを食べる。







 つがいの蝶が花の蜜
を吸っていた。
この先では、とんぼが
ステッキに止まり5秒ほど
にらめっこをするなど、
どうも昆虫までもが
人なつっこい。
「和歌山はいい」と、
ひとりごちながら歩く。



















道の明るさ、落ち葉
の様子が分かるだろうか。
実に気持ちのよい道。











 木々の間から見える
遠景のすばらしさもさる
ことながら、めまぐるしく
変化する光線の具合、
生育している植物の種類
など、実に変化に富ん
でいる。
 この美しさは日本独特
のものではないだろうか。
雄大だが、単調な自然
の風景が続く大陸型の
風景とは対極にあるもの
だろう。

















 見老津の町が見えて
きた。












 3つめの段築
約5m
(11:09)



































































(11:30)
県道に合流する。











『すさみ八景 長井坂』 の看板
その下に茶屋の壇石標。

 県道との合流点にある。










 県道は20mほどで
地道に分岐する。
緑のフェンスの切れ目
から大辺路は再開
する。

急な下り坂を下りる。







 給水塔か、
その脇を抜けて進む。

 高度もだいぶ下がって
いることが遠景で分かる。









(11:49)
長井坂東登口
すぐに見老津第2踏切が
あり、そこを曲がると、
見老津駅が見える。

長井坂西登り口には
駐車場はないが、東口には
車を止めるスペースがある。
長井坂自体は2時間ほどの
コースなので、ここを起点に
ハイキングコースとしても
いいと思う。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−(説明板より−−−)−−−−−−
長井坂 (国指定史跡)

 一名長柄坂とも呼ばれ、これより和深川に至る延長、4,5キロメートルの大辺路街道の峠道である。
 古道の両端は急坂で、特に見老津側は険峻で距離も長いが、中間は腐葉土の重なる平坦道で歩き
やすい。
 全体的に古道としてはきわめて保存状態が良い上に、左側に望む眺望は果てしない大洋に広がり、
まことに景色が良い。
 山の斜面に生い茂るこの地特有の馬目樫(うまめがし)は、特に冬季は厳しい西からの季節風に吹き
付けられ、山肌にへばりつき葉の落ちた枝も多く、あたかも枯木の様で、前面の海の「枯木灘」なる名称
の由来も納得できるものである。
 この道が古道として保存状態が良い理由は、昭和四十年(1965)頃まで道に沿って電柱が立っており、
その保守上毎年下草刈りをしていたことと、この一帯が見老津地区の区有林であるため、植林化せずに
雑木林で残されたによると考えられる。
 この上り口付近で昔合戦があったと、真偽のほどは別として、この地方の古書「安宅一乱記」に記載さ
れている。
 亨禄三年(1530)十二月二十日、新宮の領主堀之内安房太郎の軍勢二百五十人が、周参見の地を
奪い取ろうと長井坂を攻め上がってきた。迎え撃つ周参見太郎の軍勢五百余人が山中から矢を射かけ、
槍をしごいてつきかかったため、新宮勢はなだれを打って打ち破られたと書いている。

 また、この先の口和深の旧家には、この古道にちなんだ古歌にちなんだ古歌三首が伝えられている。

     和深山世に古道をふみたがえ、まよひつたよう身をいかにせん
                                              源 俊頼
     和深山岩間に根ざすそなれ松、わりなくてのみ老やはてなし
                                              藤原清輔
     身のうさを思ふ涙は和深山、なげきにかかる時雨なりけり
                                              西行法師

 源 俊頼(1055−1128)は平安後期院政時代の代表的歌人。
白川院が十二回熊野参りをしているので、おそらく俊頼も同行したと思われる。
 藤原清輔(1104−77)は朝廷の新任を得て多くの歌集・歌学集を執筆するなど、平安後期の代表的歌人。
 西行法師(1117−90)は平安末期の歌人。もとは武士であったが、無常を感じて出家し、全国を行脚し
ながら和歌を作った。

 この上り道の途中には、「茶屋の段」があり、今は衛星電話アンテナが建っており、そこには江戸時代の
道標がある。また昔「弁当掛け松」があったといわれ、それにかかわるエピソードもある。古道の平坦部
には「段築」などもあるが、これらに関することは、和深川の上り口の案内板に記載されている。
 平坦部の終点近くの、左辺下方に下る道は国道四十二号線の道の駅「イノブータンランド」に至る道である。
 それを下りずにさらに進むと、右辺下方に向かって和深川に達する下り道である。
 なお、「長井坂」「長柄坂」の二つの呼び名があるが、本来は同一のものである。
形容詞「長い」の語尾が、この地方の訛で、「長え」となったものであって、もちろん「柄」は後世の当て字である。
                                                     すさみ町教育委員会
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 周参見の民宿から、見老津駅までの歩行データ
20,227歩、(しっかり歩行:13,000歩)
616Kcal (42.2g)、 15.17km


 見老津駅前から段差のある歩道が続き、見老津の港のあたりで
白線を引いた歩道となるが、幅は比較的広く特に危険は感じない。
江須崎の根本で、「日本童謡の園」、「エビとカニの水族館」へ国道
から分かれる道がある。
大辺路は、その手前の国道を直進する方向に、集落の方へ道を
進む。




 (12:23)












 江須崎の集落。














1kmほど国道をバイパス
したが、西津浦で再び
合流する。
(12:38)

柵のある歩道がある。







 江住中学校の前で、
左手の道へ入る。
3分ほどで集落を抜け、
また国道に合流。










 江住駅前
(12:49)

段差のある歩道あり。










 江住の集落から平見
のバス停までは歩道が
無く、歩道が30cmと
危険な箇所がある。
約2km。

明光バス
平見バス停 (13:14)
午後からの串本行き
時刻表
  12:53
  15:23
  17:08

 里野海水浴場
(13:30)
海水浴の監視所に
座り、波の音を聞きながら
前日買ったパンを食べる。

 道を挟んだ正面に
ペンションがあり、自販機
もある。
15分休憩。


















 串本町に入る。
(13:56)

おおむね広めの歩道
だが、一部狭いところ
もある。









交通量はさほど多くない。
自動車もあまり速度を
上げて走らないうえ、
見通しがいいので、
危険は感じなかった。








 和深手前の西地で
国道を離れる。
(14:16)











300mほど集落を過ぎた
ところで国道に合流し、
すぐに分岐し下る。
国道の下をくぐり、和深駅
の方へ進む。

写真:右)
和深駅前の道を左へ
曲がる。





写真;左)和深駅
駅舎の向こうに線路、
そのすぐ向こうは海。
駅前の道を左手に
下っていくと、「大辺路」
の道標がある。
下りきったところで左折。
右は高架下を抜けて海
へ出るが。大辺路は
その反対方向。
橋を渡って道なりに進む。



 カーブのところに地図
の看板がある。
その先の登り坂を進み、
JR線路を右手見ながら
陸橋を渡る。
(写真:下段)
 和深から田子の浦までの
『熊野古道 大辺路in串本』
の地図。
この区間は、1時間10分
とある。




 道標を頼りに、町道
の下をくぐり、集落を
抜ける。
 新田平見のあたり。

国道42号線はこの辺り、
和深隧道を通っている。







 船津漁港に出る。













写真:左)
 線路をくぐり、すぐ国道を
くぐる。


写真:右)
道なりにカーブしながら
進み、再び国道の下を
くぐる。





写真:左)
またカーブしながら、
再び国道に海側から
出るが、すぐ横断して
直進。

写真:右)
直進後、カーブの中程に
細い地道がある。
大辺路の道標がある。
これを左に入っていく。



 竹林を進むと人家に
出る。
そこを左へ曲がる。

写真:下段)
また地道になり、石畳が残る街道風情のある道と
なるが、最近下草を刈った
もののようで、刈った跡が
ないと道に迷ってしまう。

































国道に合流し4分ほど
進むと、左手に階段が
あり、ここからまた分
かれる。










 九九平見の住宅街を
何度か鍵型に曲がり進む。













 線路の山側の小道
に出る。











 安指川を渡り、鉄道の
下をくぐる。

 くぐって川を海側へ進む
と、国道へ出る。
左手の上り坂ではなく、
国道を進む。







写真:左)
 安指漁港
歩道は十分な広さがある。

写真:右)
国道は丘を開鑿し直進
している。
標識は、「JR田子駅」
(15:26)





 大辺路は田子駅の裏側
を通るが、日暮れまであと
一時間半。
どうせ開鑿されたところ
なので、国道を直進した。

田子から先2,3kmの
歩道の幅は狭い。






写真:左)
 田子バス停の手前で
国道を迂回するように
曲がる。
国道のカーブしている場所
でまた合流する。

写真:右)
富山隧道(写真右奥)
の手前で「大辺路」の
道標が。
陽が傾きかけてきたが、
道標があればしょうがない。山側へ曲がる。

 曲がってすぐに
造船所があり、その奥に
用水路のトンネルがある。
かまわず進む。

写真;下段)
小川を渡り石段を上がると
説明板がある。
そして石畳。これなら廻り
道する価値があるという
ものだが、この後が大変。

















 石畳は意外によく保存されており
いい雰囲気。

写真:下段)
気をよくして進んでいたら、なんと
民家の裏庭に出てしまった。
ちょっと迷ったが、物乾し場を通って
直進した。




















 家の前はアスファルト道で、途中、分岐している箇所もあったが、
これ以上道に迷っていてはとうてい串本の市街地までたどり着けない。
今日は、串本に宿をあえて予約して来なかったが、2,3候補は調べて
ある。
歩きながら、串本に泊まり、さらに先を目指すか、それとも串本から
自宅に帰るか、考えながら歩く。

 結局、この道は富山隧道の手前、(五段上、右の写真)に出てしまった。
(15:57)
これで20分ロスしてしまった。日暮れまであと一時間あまり。
迷わずトンネルとくぐる。
山越と比べてなんと早いことか。


 田子の浦の
ドライブイン。
素泊まり¥3,600
の施設もある。










写真:左)
歌碑





写真:右)
田子の浦の先から、みやた
橋までの1kmほどが歩道
も狭く、危ない箇所。



みやた橋バス停の手前、
神社のさらに手前で、
歩道が復活。

日はかなり斜めになって
おり、半島の陰に入ると
薄暗くなり始めていいる。







 振り返ると、まさに
夕焼け。(16:25)

写真:右)
おもしろい標識発見。
『いねむりパーキング』
ドライバーがハンドルを
握って寝ているイラスト。
この場合、背景は黄色に
したほうが・・・、
など考えている場合では
ない。


写真:左)
夕日に映える田の崎
(16:33)


写真:右)
振り返ると陽が沈んでいた。
(16:52)

田並の町を越える。




 旧道は、田並隧道を迂回
する山道へ入っていくが、
日没は必至であり、危険
なため、あっさりとトンネル
をくぐることにした。

疲労と焦りにせいか、
夕暮れの光量不足か、
写真もぶれている。
(16:58)





秋の陽のつるべ落とし。
夕闇迫る。
有田にて。
(17:15)

後ろを振り向くと残照。
串本駅は、この最寄りの
紀伊有田から一駅で
5,6kmというところ。
旧道はもちろん、国道で
さえもこの暗さでは歩く
には危険と判断。

 特急の最終便は串本を18:46。歩いてぎりぎり、もし間に合わなければ
泊まりは確実。しかし、携帯していたデジカメはメイン機が昼過ぎにバッテリー
が無くなり、予備機もバッテリーが無くなりかけている。
そこで、串本での宿泊は止めにして帰宅することにした。
 iPodShuffle用のUSB充電器は持ってきたのに、デジカメのバッテリー
充電器を忘れてしまったのが災いした。

とっぷりと日が暮れた有田の待ちを駅へ歩き、
JR紀伊有田 17:48発で串本へ向かうことにした。

写真:JR紀伊有田駅 ここも無人駅



二両編成のワンマンカー
に乗り、7分後、串本駅に
着いた。

出発まで間があり、みやげ
物屋で駅弁を探すが、
売っていないという。
弁当はオークワで皆買って
いるらしい。
またもオークワのお世話に
なる。
去年食べたマグロステーキ
弁当を食べたかった。



 結局オークワで焼き鳥と、ビールを買ったが、車内販売では、
いなり寿司しか無かったので、焼き鳥で一杯やりながらの車中
となった。
 本日の歩行データ:
 54,486歩 (しっかり歩行:43,280歩)
 1,638Kcal (118.3g) 40.86km








 喫煙車両に乗ったが、電車の中で煙草をふかせるなんて、
今時、希少価値がある。
子供のころ、国鉄の電車にはどれも灰皿があって、大人が
煙をくゆらせていたものだ。

 ただ、窓も開かず気密性が高いのに空調が特に強力でも
なく、たえず煙いので、自分が薫製になったような気が
しないでもない。





(このコースのまとめ) 計画段階でも大辺路を4日ですべて踏破することは難しい。
3日目は周参見の民宿を8時に出発したが、馬転坂、長井坂、そして和深の大辺路を
歩くとして、もっと早く出発するべきだった。
30分早く出発して、馬転坂で道を後戻りすることもなく行けたとしても、串本手前の田並
の山道の終わりから串本市街の手前で日暮れになる見込みであり、ぎりぎり串本の宿に
辿り着くことになる、時間的にタイトなコースとなる。

 さらに、串本までは行けたとしても4日目に那智まで辿り着かねばならず、さらにタイム
リミットとして最終の特急電車(紀伊勝浦で18:18発のオーシャンアロー36号)への乗り継ぎ
には18:09の那智発(普通)となる。

 次回、もし続きをチャレンジすることがあれば、紀伊有田からになるが、古座あたりで宿を
取り、紀伊勝浦あたりまで歩き、宿泊の翌日に那智大社へ参詣するコースになると思う。
いずれにしても、大辺路はJRきのくに線と平行している割には列車の本数が少ないので、
不便である。

 当初、国道42号線の多くを歩くにあたり、歩道の有無や、車両の交通量からみてはたして
歩ける道なのかという疑問もあったが、串本まで歩いての感想は、「歩ける」という結論だ。
見老津から先は街道マップに掲載されていないが、以外と大辺路が再現されているところ
も多く、国道であってもその7割くらいは段差のある歩道か、十分な広さのある歩道が設けて
あり、多少危険なのは田子と田並の間の1kmほどの区間だけであった。
しかも、思ったほど車はスピードを出していないので気をつけて歩けばなんとかなるという実感
を得られた。 こうしたことは実際に歩いて確かめないと分からない。


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