第41 回   下ツ道(中街道  近鉄大和西大寺駅 - JR畝傍/近鉄大和八木駅   2005年9月20日


 下ツ道は、藤原京から平城京へ遷都の際、藤原京の西端から
北へ新都の朱雀門に向かい一直線に伸びる道である。
近世には中街道とも呼ばれた。
藤原京からの遷都の際に、この他に東端から伸びる中ツ道、
(橘街道)があり、下ツ道はその約2km西に位置する。
上ツ道は、藤原京の南端の山田道が湾曲しながら北上する。
 条坊制によってきっちり区画整理された藤原京、平城京は
移転の際の道も、直進して整備されたらしく、その後荒廃した
とはいえ、現代でも地図で比較的容易に跡をたどることができる。

 平城宮跡には大極殿跡がふたつある。西の大極殿は第一次
朝堂院の跡で710年の遷都の時に造営されたものであり、現在
復元工事が進んでいる。

その東側にあるのは、聖武天皇が恭仁京から再び平城京遷都
した際に造営されたもので、こちらは基壇が草原の中に往時を
偲ばせている。
 下ツ道は第二次朝堂院・内裏の南端にある壬生門から、宮城
の南端にあった羅城門を抜け、畝傍山の東側を、藤原京の西域
を区切るように通っている。そして藤原京の南東端の見瀬より
以南では屈曲しながら紀路となる。
平城京の北側からは歌姫越から奈良盆地中央を北上し、山城
へ至る。

 平城京の当時の人口は10万人と云われるが、遷都後は人口も
急減し、建築物も多くが再利用のために移築され、都の跡は見る
影もなかったことだろう。

幅が約70mもあったとされる朱雀大路も、遷都後は田地化されたが、その名残は
近世に中街道として、かろうじて面影を留めている。 (写真は第一次内裏の朱雀門)

 今回、地図は昭文社の3万分の一のハンディ地図、「でか寺まっぷ 奈良 大和路」を使用。
街道を探すにも十分な詳細さであり、ファストフード、コンビニが記されているなど、使い勝手もよい。



















 当日は中秋も過ぎたとはいえ、最高気温30度を超す残暑と湿度
も高く、ウォーキングにはちょっと早すぎたかもしれない。
熱中症になりかけながら平城京から藤原京までを歩いた。

 近鉄・大和西大寺を8:25に出発。北口から東へ延びる道はその
まま平城京の北端に沿って続いている。








 二条町の交差点
の真ん中に地蔵堂
があった。
いきなり、奈良のすごさ
を感じる。

 そして平城宮の北西に
資料館がある。
駐車場は午前8:30から
午後5時まで。無料。




佐紀池にさしかかると
復元工事中の大極殿が
見える。その南には、すで
に朱雀門が姿を見せる。










 駐在所の前の信号の
ある交差点で、宮跡(みやと)
通りを直進すると下ツ道へ
繋がる。

みやと通りは幅が狭い対面
2車線の車道なので、平城宮
の中を平行して歩く。






右手に朱雀門が見え、シルク
ロード記念館の池を過ぎて、
二条大路南2の交差点を渡る。











三条大路3の交差点で、
暗越奈良街道と下ツ道(中街道)
が交差する。

 写真:左)下ツ道を南に
望む。

 写真:右)暗越奈良街道を東に
望む。

9:04



宮跡中学の東側を通る。
周囲には田園が点在し、
広く視界が開けている。
五位鷺の優雅な姿もある。

ここで一句、
「まほろばの稲田に舞うや
  五位の鷺」
「こうべ垂る 稲穂のそばに
  曼珠沙華」




柏木町で、奈良商業高校に
突き当たり、左に回り込む。

その後、柏木公園を南下する
と、佐保川に出る。
渡り橋を越えて、左へ曲がり
JR大和路線をくぐり、奈良
バイパスの高架下へ出る。






高架の終端の右側の側道を
行くと、杏町(からももちょう)
交差点へ出る。
史料には、「西九条町と観音
寺町との堺に羅城門がある」
とされており、このあたりを
さがすが、見あたらない。







共栄社化学の工場を右側、
佐保川との間を回り込み南下
する。
ニトリの大きなショッピング
センターの搬入門を左手に
見ながら進むと、奈良レース
の工場の南、佐保川に架かる
橋のたもとに草に覆われた
石碑を発見。





「平城京羅城門跡」の石碑
ここは、佐保川に接する、西(さい)九条町の南西端、下三橋町の
北西端に囲まれた地点。
佐保川は都の造営の際に人工的に掘削された川と云われるが、その
後の年月で川筋も変わっていると思われる。

 羅城門跡のすぐ東で鋭角的に曲がる道を下ると、城門風にデザイン
された水門があり、佐保川の堤防に沿って南下する。
ここから大和郡山市となる。

ここで一句、「佐保川の 夏草の間(ま)に 羅城門」



写真:左)水門


写真:右)佐保川の
堤防を南に望む。









堤の東側は、郡山平和北団地の戸建て住宅がつづき、
大木に祠があり、そのそばに歌碑があった。

『佐保川の清き河原に鳴く千鳥
     河鹿と二つ忘れかねつ』  よみ人不詳

この日も千鳥が2,3羽舞っていた。
佐保橋のたもとで突き当たり、東へ曲がるとすぐに、Aコープがある。
そこで生茶500mlを百円で購入し、南下する。
角の標識には、平城京羅城門跡/郡山城跡(西向き)
賣太神社/稗田環濠及び集落(南向き)とある。













































−−−−−−− 御由緒 −−−−−−−−−−−−−−−−−

賣太神社御由緒

社格 延喜式官幣社

御祭神 主斎神 稗田阿礼命
    副斎神 猿田彦神
    副斎神 天鈿女命

  稗田阿礼
この稗田の地は太古の昔より朝廷に奉仕した猿女君稗田氏一族の
居住地であって天武天皇の舎人稗田阿礼はこの一族として出仕していたのであす。
 天皇は阿礼が記憶力理解力共に抜群で学芸諸術の才にも秀でていた
のをお褒めになって御自ら精選になった歴代天皇の御事績と建国以来
の歴史・神話・伝説・歌謡を直接お授けになった。
 この誦習った事柄を三十有余年後の元明天皇が太朝臣安萬呂に記録させられた書物
が古事記である。之はわが国最古の文学書で、古代人の生活習慣・思想が書かれ祖先
の考え方や生き方を偲ぶのに貴重な書物である。
今日阿礼さまの広大無辺のご霊徳を偲び学問の神、知恵の神として信仰が厚い
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

環濠集落の中を西へ行き、環濠の端で南へ
曲がる。
今日、初めての道標を発見する。
 
「すぐ大峯山上  こうや
裏面には「すぐ京」とある。








中城(なかじょう)町で
11:00を過ぎる。
写真:左)西側を望む
遮るものもほとんどない。










伊豆七条町の北側で、国道
25号線に突き当たり、左へ
回り込み南進する。











高瀬川を越えて南進するが、
西名阪自動車道の郡山IC
付近で昼食を取ることにした。

伊豆七条町の集落は古い
街並みが残る。

マップにある王将をあてに
していたら、斎場に変わって
いた。




和食「越前」名物500円天丼
を食べる。
11:40〜12:05まで休憩。

再び集落の中を通って下ツ道
へ戻る。








牛頭神社
掲示板のポスターで、
「なくそうため池事故
たもとうきれいな環境」
というのが奈良を感じさせる。
大阪の雑踏から生駒山を
隔てるだけで、穀倉地帯
が広がる。
奈良の人には申し訳ないが、
都市開発で、奈良らしい風景
を失わないでもらいたいものだ。
南六条町で天理市へ入る。



八条町を南から湾曲しながら
高架道路が作られていた。
農地が広がる平野部で、こうした
高架道路は、「奈良の青垣」
と呼ばれた古くからの景観に
傷を付けるものだと思うが、
はたして農地に、高架道路の
バイパスが必要なのだろうか。

奈良は、観光地化した京都にも
ない、歴史の重みがあり、現代
にもそれが引き継がれている。
その希少価値を大切にしたい。


近鉄天理線「二階堂」駅の西側
を南北に通る、県道193号線と
下ツ道が重なる。
中町(なかちょう)から家並み
が続き、二階堂をすぎると
さらに古い街並みがいい雰囲気
を醸し出している。








二階堂駅の踏切を越える。
県道193号線の西側が
二階堂北菅田町、東側が
二階堂上ノ荘町






































二階堂北菅田町の郵便局
が見える。
これも街道の証。
家構えや、虫籠窓、通りに
面した格子窓など、街道沿い
の家並みの雰囲気がよく
残っている地域だ。






二階小学校の北側、北池の脇に出る。
小学校のそばの通学路とはいえ、さして広くもない
車のまばらな道に高架橋は必要だろうか。

義勇奉公出碑
歩兵として出征された三人の方のお名前が
刻まれてある。







 すぐに奈良プラザホテル
のビルが目に付く。
それに併設して、奈良健康
ランドがある。

大和川の手前の地蔵堂で
一服する。
 13:03






庵治町(おうじちょう)
の集落で道はゆるやかに蛇行
しながら南進する。
本日初めての常夜燈。
「太神宮」とある。









 常夜燈傍の四角く彫り抜かれた石柱。
「神」しか確認できない。
 下ツ道(中街道)は、宗教の道としては、
京、奈良から吉野へ向かう道だが、伊勢へ
向かう横大路などと違い、生活・産業道路と
しての性格が強かったのではないか。

道標、常夜燈の数の違いは歴然としており、
数少ない常夜燈、道標も「講」が建てたもの
であった。
すると、近世、こうした道路の整備は庶民の
信仰心に支えられるところが大きかったことが
分かる。


 現代に限らず通常は、行政が道路の整備をするものだが、幕藩体制は、
人や物の行き来を、全国的に発達させるというより、その反対の方向を
指向していたのではないだろうか。
農本主義の時代の方が長かったことが根拠だが、経済圏の非拡大を指向
する行政と、拡大を目指す商人の経済活動の対比が想像されて興味深い。

 それにしても平地である。奈良盆地なので当たり前だが、目立つ起伏は
まったくなく、これなら大八車で農作物を運ぶには十分な道路である。

 街道脇の石碑 「日露戦争記念碑」 明治38年12月と祠、道を挟んで
忠魂碑、「吉来虎吉氏、北口万次郎氏」と刻まれた石碑。
この集落から日露戦争に出征された方の戦没記念碑か。
















そこからほどなく墓地があり、
一角に大東亜戦争の戦没者
の方の奥津城が並ぶ。
裏を見ると、みな昭和32年に
建てられたものである。
GHQによる占領が終わって
5年目、従軍した兵士が肩身
の狭い重いをするような洗脳
工作の時代を過ぎ、ほとぼり
の醒めたころに、村を挙げて
作ることになったのではない
だろうか。


 唐古で、磯城郡 田原本町へ入る。
道標2基発見。


























唐古の途中から鍵
にかけて道路に意匠
が施す工事が進んで
いた。

軒がくるりと跳ね上がっ
た塔が興味深い意匠
が施された土器が発掘
された。

田原本町観光協会
桃太郎の発祥の地?


阪手(さかて)で、寺川に
突き当たり、安養寺橋を右手
に見ながら土手道を南進。

次に車道と交差するところで
左に曲がり国道24号線に
合流する。

写真:左)碁盤店
珍しい。




13:55に国道に合流。
橿原まで6kmの標識。

国道は交通量も多く、
沿道には店が並ぶ。
スタートが早ければ、この
あたりで遅めの昼食を
摂るのもいいかもしれない。

写真:右)千代でかがり川を
越えると、まもなく橿原市
 14:44


十市(とおいち)町で橿原市
へ入る。
耳成山が左手に見える。
葛本町を過ぎ、山之坊町で
国道は西へ曲がるが、その
途中の新賀町交差点で左に
伸びる道へ曲がり、南進する。







新賀町と北八木町の間で
近鉄大阪線を過ぎる。












 北八木町の様子。
南西の今井町は今井寺内町
として、古い街並みがよく
残されて有名だが、このあたり
も充分雰囲気がある。
小学生の下校時刻で、黄色い
帽子に制服の小学生とすれ
違う。ほほえましい風景。






八木町との堺で、横大路と
交差するが、横大路は桜井市
で初瀬街道となり、伊勢へ
続く。
芭蕉の句
「草臥(くたびれ)て宿かる
        比や藤の花」







 札の辻
写真:左)北側から
写真:右)南東方向

 八木町はこの街道が交差
する札の辻を中心に発達した。
中世から八木市が開かれ、
南大和の物資の集散地として
繁栄し、興福寺に附属した
「八木仲買座」や「鳥餅座」など
多くの座が結成されていた。
江戸時代には高札場になって
いた。

 札の辻
写真:左)横大路の西側
写真:右)横大路の東側

 現代の札の辻には、かつて
の産業道路の交差点という
にぎわいを彷彿させるものは
なく、丸い郵便ポストがある
のみである。
説明板でもなければ、見落と
してしまうような、さりげなさ
だった。


15:20を過ぎ、陽もだいぶ傾いてきた。横大路に出たことで、とりあえず藤原京の北辺には
到達したことになる。30度を超える真夏日のウォーキングで軽い脱水症状なのか、頭痛も
するし、途中の国道にあった看板に「日本一のスーパー銭湯 あすかの湯 (耳成山南 国道
165沿い)」へ立ち寄ることにした。
ここまでの歩行データは、大和西大寺からは 34,221歩
オムロンのリセットできない万歩計での当日の合計は、 35,250歩、(しっかり歩行:25,841歩)
26.43km、1060Kcal、消費脂肪分66.6g であった。


 横大路を東へ600mほどで国道165号線に出る。
交差点からは耳成山が見える。あすかの湯は見あたらない。
あっさりとあきらめて、醍醐町の交差点をJR畝傍駅方面へ
引き返す。
途中、春日神社に参拝。
鐘突堂、お堂のある神仏習合の残る神社。
神社にお参りすると清々しい気持ちになる。

 あすかの湯
 (耳成山の南東方向、醍醐西の交差点を東へ500mほど
にあったことが帰宅後判明。このコースを歩かれる方は
ぜひここで旅の汗を流してください。

















 JR畝傍駅へ立ち寄るが
本数が少ないので、近鉄で
帰宅することにした。
ちょうど特急が来たので
ゆったりと帰ることにする。
洗面所のペーパーおしぼり
で汗をぬぐいつつ、コーヒー
牛乳を飲む、贅沢な一時。

 八木駅までの本日の合計
歩数は、38,667歩でした。



2009年1月14日 三条大路で交差するのは暗越奈良街道の間違いでした。訂正いたします。

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