第 28回 東高野街道高野山町石道  橋本 - 慈尊院 − 金剛峰寺   2004年10月17日

  (コースの特長)
 左のグラフは町石道(ちょういしみち)と女人道を極楽
橋まで降りるコースの標高データである。
紀ノ川べりにある慈尊院(標高71m)から始まる町石道
は急な上りが7km地点まで続き、上り下りを繰り返し、
13km地点からはまた急な上りで19km地点が高野山
金剛峰寺にあたる。
 20km地点、標高約900mの頂点から、女人道は急な
下り(不動坂)となる。
 装備はこれまでの比較的平坦な街道道とは異なり土の
道が大半でしかもグラフに示すように急な勾配があるので
、ウォーキングシューズよりも、くるぶしまでカバーするトレッ
キングシューズが適している。
 町石道も世界遺産に登録された道なので、荒れた部分
もなくよく整備されている。 標識は名前の示すように町石
が一町(106m)ごとにあり、「頑張れ」と元気づけてくれる
が、ここは信仰の道でもあり、かつての参詣者は一つ一つ
に参りながら登っていったという。

* 南海電鉄 高野山町石道コース
* かつらぎ町観光協会 世界遺産高野参詣町石道

高野山町石道はじめ、熊野古道を歩く場合には最強の資料があり、ウェブサイトからもPDFファイルで
取得することができる。 わかりやすいオリジナルの地図で、歩く人のためにじつにうまく作られている。
ポイントごとの距離が欄外に、標高グラフと併せて設けてあり、徒歩旅行でのガイドブックとしても最高の
出来栄えである。 ぜひアクセスを! サイト中の和歌山県観光課へ入手可能な場所を
問い合わせたところ、一式(九冊)送って頂いた。 自分で確認した範囲では、高野山観光案内所には置いて無く、
紀伊路の九十九王寺の一つ、海南市の藤白神社では社務所でお守りや街道資料を分けていただく際に申し出れば
一式頂ける。 藤白神社宮司の吉田晶生さんは、この街道マップの監修をされた方で、向陽書房「熊野への道」の著者でも
ある。 藤白神社参詣の際、熊野街道「大阪編」の資料があったので分けて頂いた(¥600)ときの神職の方が吉田先生
だったと思うのだが、うかつにも後で気づいた。 ご著書も持参していたので、すばらしい資料のお礼を言って、本にサインを
お願いしたのに。。
熊野古道をこのマップで歩く人は藤白神社に参詣した際は、吉田先生にお礼を言いましょう。

 和歌山県の観光情報 「和歌山県街道マップ」 熊野古道・高野参詣道を歩く モデルプラン
 


 (東高野街道
 南海橋本駅に到着。6:56分から歩き始める。

まだ朝が早いせいか、まことちゃんのカレンダーは前日のまま。
しかし、この造形をよくできている。「ぐわし」と挨拶を返して出発。
駅前を西へ進むと、道路脇にちょっと古びた橋本スイミングスクール
の看板がある。なにげにみると、(旧姓前畑)とある。あのベルリン
オリンピックの「がんばれマエハタ!」の前畑秀子ではないか!
橋本のご出身であったのか。
まだご存命か、と考えながら進み、前回の高野街道の終点を
紀ノ川方面へ左に曲がる。





















往時は渡し船であったろうから、燈篭を
目印に紀ノ川を南へ渡る。
左へまがってすぐに二股に道が分かれている。
道標の位置からして左側の細い道が街道
ではないか。
紀ノ川北岸を東西に走る国道24号線は一部に
大和街道を包含する道であり、ここと高野街道
が交差する。

プロアトラスのプリントした地図では、このあたり
にもっとも近い橋は、橋本橋で、次の橋は学文路
に渡る岸上橋となる。




そこで橋本橋を渡る。
(7:05)
紀ノ川の広々とした景色
が気持ちよい。
川岸の街道は、長い間に
無くなったり移動している
ことがよくある。
川の姿を眺めると、川の3つ
の特長である、浸食・運搬・
堆積が思い出される。






ありました。渡し船用の燈籠。
伊勢街道でも見たが、ちょっと
大きな川だと、夜間用に
こうした燈篭が設けてあった。
今では、この土手の下にも
河原がひろがり、治水工事の
あとが想像できるが、往時は
この土手を下ると渡し船が
あったのだろう。
南岸の国道370号線を左折し、200mほどのガソリンスタンドで国道と
分かれ直進するのが街道である。
−−−−−−−−−−−−説明版より−−−−−−−−−−−−−

橋本市指定文化財
旧高野街道 三軒茶屋大常夜燈籠

 高野街道は京都・大坂・堺から河内長野を経て高野山へ向かう道で、
古くは九度山町の慈尊院から町石道を登った。その後、御幸辻から南下
して谷内川(橋本川)河口付近から紀の川を渡って当地に至り、学文路
から高野山へ登っていく道がひらかれた。
この道は町石道に比べ距離も短くなったことから、室町時代後期には
高野参詣はもっぱらこの道が用いられれるようになった。
天正15年(1587)応其上人(おうご)は紀の川に橋本の地名の
由来となる長さ130間の橋を架けたが、紀の川の増水により3年後
に流出し、橋に代わって舟による横渡が行われるようになった。
この紀の川南岸渡場に建つのがこの大常夜燈籠で、後に北岸にも同様
のものが建ち、この間で長く「無銭横渡」が行われた。
元は石燈籠2基が相対して建てられていたが、近年の周辺土地区画整理
に伴う道路拡幅のため東側の1基が北へ約5メートル移された。
この石燈籠には宝暦2年(1752)の建立銘とともに「高野山興山寺領」
の銘が刻まれ、紀の川を渡って高野山領に踏み入れた旅人たちの感慨が
偲ばれる。

橋本市教育委員会





















橋本市指定文化財 史跡 旧高野街道 六地蔵(第一)

 江戸時代の後半、高野参詣の旅人の安全を祈念して、
橋本市清水から高野町桜茶屋までの間に、六体の地蔵
菩薩像が建立されたといわれる。記録もなく、現存する
仏像の銘文も判読困難で、確証はないが、長い間にわ
たって高野街道六地蔵の第一地蔵として人々から大切
にまつられてきました。
 ここは最初の地蔵が建立された場所といわれ、西行
法師の旧跡とも伝えられる。
堂内には現在、木造地蔵菩薩像が安置されています。
  (橋本市教育委員会)




街道沿いの古い街並みは
橋本市清水から学文路中学
の前を過ぎ、南馬場の中程
で再び国道370号線と合流
する。

合流箇所に境界石がある。








橋本市指定文化財
史跡 興山寺領御国領境界標石

 境界石は建立年代が詳かでないが、江戸
時代の初期と考えられる。
 碑の一面に「定杭、是ヨリ北興山寺領」
他面に「是ヨリ御国領」と刻まれています。
 里人の伝えによると、南馬場と学文路の
堺を流れる小川の河口に石橋があり、その
北詰高野街道側に建っていたという。
 紀州徳川藩領と高野山の国境を示す貴重
な遺物であるが、移転されているのがおし
まれる。
(橋本市教育委員会)



500mほど国道を歩き、はじめの信号(学文路小側)を直進する細い道が
街道。
300mほどで再び国道に面し、斜めに横断して再び街道へ入るとまもなく
学文路郵便局がある。
古くからある郵便局、農協は明治期に街道沿いに設置されたときの名残で
ここでも街道ルートの貴重な目印となる。

郵便局を過ぎるとすぐに国道と合流し、まもなく南海「学文路」駅前を通る。
九度山駅の手前までは、左手の高台に線路が伸びる国道沿いも道を歩く。
途中の九度山町内にローソンがあるので、補給はここでも可能。






















九度山駅手前で線路がカーブするあたりの
道を九度山郵便局へ向かう道へ、右折する。

九度山郵便局は学文路駅から35分ほどに
位置する。
このあたりも街道風景の残る街並みが続く。











いよいよ慈尊院に到着。
(8:56)
橋本から2時間の道程
だった。



























 慈尊院
 慈尊院は高野山創建時に、表玄関としてまた高野山の庶務を司る政所として、
さらに冬季避寒修行の場として建立された。
弘法大師の御母公が善通寺より、我が子の開いた山を見たいと高齢を押して
参詣された。
その後、御母公入寂なされた時に大師は、母公が弥勒菩薩におなりになった霊夢
により、廟堂を建立して、御自作の弥勒仏と御母公の御霊を安置された。
慈尊とは、弥勤菩薩の別名で、これより慈尊院と公称している。

天文九年(1540)紀ノ川の氾濫により諸堂の大半は流されたが、残った堂塔を
縮小移転し、現在に至る。

 ここから高野山へは参詣路として、ハイキングコースとしても有名であり、地図
には、次のものを使う。





 南海そう快 ハイキングMAP (1)高野山町石道コース (南海主要駅で入手)
 1.九度山駅〜上古沢駅


慈尊院の多宝塔の先に
鳥居があり、この手前を
右折すると町石道の始ま
りで、まっすぐ石段を登る
と丹生官省符神社に出る。
(にうかんしょうぶ)

参拝の後、石段を下り、
鳥居の下を左に曲がると
すぐに一番目の町石がある。






 (9:21)に一番目の町石を過ぎる。
慈尊院から根本大塔まで、一気に歩く場合、
約20km、6時間半のコースとなる。
上古沢駅で2度に分けて登るコースもあるが、
この辺りまで来ると、往復の交通費もかなり高い。
ここは一気に登ってしまう。

町石第一番目(180町石)
1町は60間(約118m)あり、だいたい等間隔に
根本大塔までこの町石が並んでいる。





















(9:46)
町石道はいつしか
柿畑の中を通り、
柿や蜜柑の橙色と
秋空のコントラストが
美しい。

道沿いに紀ノ川、橋本方面
を眼下に眺める。










(9:57)
展望台
166町石の先

橋本方面が一望できる。
この3時間の道程を俯瞰
しながら一服する。









 密柑山は続く。
無人販売所があり、一袋で
柿、蜜柑ともに100円。
このコースを上るときには
事前に百円玉を用意しておく。
小銭がないために買えずに
後悔した。

















葛城方面が右手に見える。
(10:23)
町石道 約1時間後















 左:150町石
(10:31)




















 (10:54)
六本杉の分岐点
町石道は左へ。

136町石














(11:18)
古峠
峠そばの124町石
を過ぎたあたりに
展望台がある。











 2.上古沢駅〜壇上伽藍



展望台
(11:20)
町石道 2時間後












 (11:27)
二ツ鳥居

急な下り坂の途中から
右手に芝生で整地され
たゴルフ場が見える。
町石道にゴルフ場、
「いかがなものか・・」








地蔵堂を越え杉林に
再び入っていく。
 (11:43)
















 (0:20)
町石道 3時間後

90町石

86町石のあたりが笠木峠
ここまでで、25,714歩
(橋本起点)











74町石

このように細い山道も
ある。
雨の後は避けたい。










 (13:23)
町石道 4時間後
手すりの道の先は金網
の柵があり、その下を
国道370号線が通り、
矢立に出る。










 山道を降りるとすぐの
国道沿いにトイレがある。
その近くに矢立茶屋が
あり、車でも立ち寄れる。

町石道は矢立茶屋の左側
の道を登っていく。

ここまでで29、465歩







左:故陸軍伍長と兵長の
神道式のお墓


右:袈裟掛石














46町石
町石道 4時間後














39町石から37町石まで
は国道沿い。

















28町石を過ぎたことろ
で木橋を渡る。
(14:46)
















12町石
町石道 5時間後
(15:20))
このあたりから急な登り坂
が続く。
大門まであと少し。













出ました。大門。
朱塗りの巨大な門を
仁王様が守る。
(15:27)

10月17日のこの場所
での気温は16.2度。
肌寒い。








重畳と連なる山々の景色
が美しい。

大門前の案内所で一服。
中で「今日は泊まりですか」
と聞かれた。
宿坊に泊まるという選択枝
も有る。
大門をくぐり高野町の町中
へ入っていく。






山中に見慣れた町石が
アスファルトと家並みの
間にあると、ちょっと違和感
を感じてしまう。

酒饅頭をおみやげに買い
求める。
小学生の女の子が店を
手伝っていた。
偉い!






















(15:56)
ついに到着! 1町石
金堂、根本大塔がある
壇上伽藍。
そこから先の町石は、
奥の院側の町石として
1町石から始まる。












金剛峰寺
(16:19)
16時をまわると堂内
の見学はできないので
外から拝観。

高野山観光協会へ寄り、
歴史街道のスタンプを押す。
前のバス停から高野山駅
行きへ乗る。






17時、ケーブルカーで下山。















バス停での万歩計のカウントは 36,767歩 (1,416.6Kcal)
おおよそ30kmと、9時間歩いた割には少ないが、勾配があり、
街道歩きというより登山に近い。
ペットボトルは500mlを5本消費した。

ここからは高野山大学の裏手より、熊野古道「小辺路」へと続く。







更新: 2025/5/25 リンク切れ修正