第27 回 東高野街道 羽曳野市古市 - 和歌山県橋本市 2004年9月18日
今回も歴史の道調査報告書「高野街道」を元に事前に、昭文社文庫判近畿圏(3万分の一)
に街道ルートを記入したものを用いて実際に街道を確認する。
高野街道地図 1 (参考)
高野街道地図 2 (参考)
高野街道地図 3 (参考)
高野街道地図 4
高野街道地図 7
高野街道地図 5 (参考)
高野街道地図 6 (参考)
8:14 近鉄南大阪線・古市駅より開始。
駅の階段を下りてすぐの踏切道が竹内街道。
東へあるき、羽曳野市商工会館で南下する。
羽曳野市古市を南進。
高麗橋を渡る。
古市5丁目の城山交差点で国道
170号線といったん合流するが、
(写真:左)そこから約50mほどの
二股に分かれる道で、左手の方へ
進む。
地図で見ると170号線は東西に
2本、併走しているが、ここでは
東側の道を言う。
古市6丁目のあたり
『左 ふじ井寺大坂
右 誉田道明寺京』
古市
二上山の方角の景色
『太神宮』基部に『講中』
と刻まれた常夜燈
東阪田を過ぎると富田林市へ
入る。
木戸山町で、茶色のマンション
の手前をを右手に、国道170号
線へ合流する。
写真:左)
富田林市中野町3丁目の交差点で
また東高野街道は国道から分
かれる。
街道は道なりに真っ直ぐに行く。
9:13
(歩行1時間目)
写真:左)
若松町の分岐は分かりにくい。
分岐点と郵便局を結ぶ線を街道
と比定して歩く。
そのまま富田林町、妙慶寺まで
弓なりの道となる。
富田林町は古い趣を残す家並み
が多く残っている。
辻の高札場跡か、道標に
『町中 くわへきせる ひなわ火
無用』 の注意書き。
キセルは一服ごとに煙草を詰
め替え火を付けるのだが、歩
きながらこの作業をするなんて
とても器用だったらしい。
日本の道100選というの
は初めて知ったが、この
富田林町の家並みは価値
がある。
街道は鍵型に町内を曲がり
ながら富田林高校の南西
へまわり込むように進む。
甲田で街道コースを見失ってしまい、
近鉄長野線・川西駅の北側
を目指して修正する。
写真:右) 川西駅
高架下をくぐり、線路の西側を
平行に南へ進む。
富田林市新家2丁目
公園で小休止。
10:20
(歩行2時間目)
錦織中
錦織南1丁目で、国道170号線
に合流するが、150mほどで西側
の大きく湾曲した約500mほどが
東高野街道。
汐の宮温泉病院の間の石川の蛇行
が江戸時代の方が大きかった名残
である。
しかし、入る道が分からなかったので
国道を進んだ。
国道に戻るとすぐに一里塚跡がある。
もう一方の対の一里塚は所在が分か
らなかった。ここで河内長野市へ入る。
−− 史蹟 東高野街道錦織一里塚 説明板 −−−−−−−−−−−−
一里塚は一般に方五間(約九メートル四方)の塚で、街道の里程のめやすとして
設けられていた。塚にはふつう榎か松が植えられ、そのこかげは旅人のよい休み処
ともなった。
この塚は街道の両側に各一基築かれていたもので、もと西塚の頂きには一本松が
あった。 西塚は辺長約九メートル、高約二メートルの方形堆土の残部が見られる。
西塚の上と南側とには石造宝筺印塔が建てられているが、塚上のものは承応二年
(1653)、南側のものは宝永六年(1709)建立の紀年があって、塚の築造はそれ
以前であることを証している。
東高野街道の一里塚として、不完全ながらも一対を残しているのは、大阪府下に
おける唯一の例である。なお、この付近の旧街道は石川沿いに南下し、西塚の東
から南側をめぐって西行するものと、そこで南して坂になってくだるものとに分岐して
いたようである。 大阪府・富田林市教育委員会
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一里塚の場所から踏み切りを渡り、
向野町までの約1.5kmは
国道の西側を平行している。
11:20 (歩行3時間目)
国道を行き、古野町で右折し南海
高野線・河内長野駅の北側で線路
を跨ぐ。
『明治33年 三笑橋』
写真:左)
このあたりで、西高野街道、中高野街道が2km
手前で合流した街道と合流する。
河内長野駅北北西100mほど
の地点。
狭いアーケードを通ると、駅前に出る。
駅前の交差点を南西方向
の古い家屋の方へ進む。
喜多町の烏帽子形八幡神社
で昼食休憩にする。
12:34 (歩行4時間目)
ここで弁当を食べた。
参拝して、約25分後に出発。
三日市町で、南海高野線
の西側を平行して通る。
南海高野線・三日市駅前を線路
を左手に見ながら進む。
片添町
安政四年の道標
『高野山女人道 八里』
写真:左)
新町橋の交差点から250mほどで
一度右の脇道へ入り、美加の台駅
の西を回り込む。
石仏寺で国道371号線に合流。
この後は、紀見峠まで国道を歩く。
写真:左)
直進すると新バイパス道路で、
街道は天見の方へ右折する。
人家もだんだん少なくなる。
14:17 (歩行6時間目)
山裾の国道を進む。
写真:右)
左手には集落と、南海線の
線路、トンネルが見える。
15:14 (歩行7時間目)
写真:左)
直進するとトンネル。
紀見峠は右側の道へ入る。
だんだん勾配がついてくる。
写真:右)
標高がだんだん上がってきた。
街道からの遠景。
写真:左)
紀見峠到着。 標高290m。
ここからは下り坂。
15:42
ここからは和歌山県橋本市
写真:右)
歴史街道の道標
おお!文字通り、紀見峠!
紀伊国が見えてきた。
写真:左)
橋本市柱本、紀見トンネルを出て
きた国道371を交差する。
陸橋を渡りホームセンターの裏
の道が高野街道。
さらに国道を横切り、紀見ヶ丘入口
の道を行く。
この旧道は再び国道の西側になる。
1km少しで、また
国道に合流する。
写真:中)
マクドナルドが
国道との合流地点。
写真:下段)
宮の前の橋谷大橋の下で、国道から右手へ分かれる。
のどかな集落の様子。
刈り入れを終えた稲束と、曼珠沙華が
秋空に映える。
御幸辻
小原田
写真:左)
17:59 南海高野線・橋本駅
西側の高架下に到着。
今回はここまで。
くぐってすぐの道を左へ曲がり
駅へ向かう。
写真:右)
夕暮れの橋本駅前商店街
南海高野線・橋本駅
18:08
橋本といえば古くからの町であり、なんとなく銭湯が
ありそうな雰囲気。
夕方は涼しくなったが、日中はまだ暑く汗もたくさん
かいた。さっぱりして帰りたいと、駅で聞いたところ、
近所に銭湯はない、ということだった。
まことちゃんの足下のカレンダーはいたずらされた
のか、意味不明の日付。今日は9月18日ですから。
数分後の特急電車を奮発する。
本日の歩行データ
46,875歩、 1,863.4Kcal
休憩を除き、だいたい9時間くらい歩いた。
次はいよいよ高野山町石道へとつづく。
更新 2021/5/25 リンク切れ修正