第 25回 東高野街道  京都府八幡市 石清水八幡宮 - 交野市星田   2004年9月5日


 東高野街道はその名の通り、京都から高野山への参詣の道であり、
また、河内国を、生駒山系の東側を南北に縦断する生活の道でもあった。
 今回、史料としては、「歴史の道調査報告書」高野街道が図書館に
あったので事前の調査は、付録の地図を携帯する文庫版の地図へコース
を書き写すくらいで済み、とても順調だった。
 この歴史の道調査報告書は、各都道府県の教育委員会等で、以前、
全国的な調査が行われたときに編纂されたもので、惜しむらくは市販されて
おらず、大阪府の担当部署へ問い合わせても在庫は既に無いということだった。
このシリーズの再版、市販を切に希望するものである。

 この調査報告書の東高野街道の箇所の要約はつぎのとおりである。

 −−−  東高野街道 −−−−−−−−−−−−−−−−−−
明治9年の太政官達60号で、道路の種類及び等級が定められた。
これにもとづいて、大阪府は府内道路を国道、仮定県道、県道に
三分類し、道路制を建てた。
東高野街道は一等縦貫線として、国道二九号線、能勢街道とともに
三本の一つに掲げられている。
 江戸時代には河内国絵図や諸文書に、高野海道、高野街道、高野道
と書かれている。この道は京都と高野を結ぶ道であり、貝原益軒の
『南遊紀行』、『河内志』にもある。


 南北に長いので、地域によっては京街道とも呼ばれた。
またそのため、途中で交差、分岐する街道が多いこともこの街道の
特長である。

春日街道(枚方市、春日と枚方を結ぶ道と交差)
磐船街道(交野市、私市と枚方を結ぶ道と交差)
山根街道(私部を通って、洞ヶ峠の少し東側で京都府へ抜ける
     街道と分岐)
清瀧街道(四条畷市、中野のところで交差)
中垣内街道(大東市、中垣内のところで交差)
暗峠越大和街道(東大阪市、箱殿町のところで交差)
十三街道(八尾市、楽音寺のところで交差)
立石街道(八尾市、服部川のところで交差)
信貴道(八尾市、教興寺のところで交差)
八尾街道(恩智神社鳥居前のところで交差)
亀瀬越大和街道(柏原市の、大和川を渡るところで交差)
長尾街道(藤井寺市、国府のところで交差)
古市街道(大阪街道)(羽曳野市、誉田八幡宮のところで合流)
竹内街道(羽曳野市、古市蓑の辻のところで交差)
富田林街道(富田林寺内町で交差)
巡礼街道(寺内町北側で葛井寺へ行く道を分岐)
巡礼街道(河内長野市、槇尾山施福寺からきた道と合流)

これらの街道との交差点、分岐には多くの場合石の道標が建てられ
ているが、そのほとんどが江戸時代後期のものである。
一里塚は完備していたらしいが、幕府が管理する道ではなく、また
村が責任をもって管理する道でもなかったため、馬継ぎをする
道でもなく、宿場もなかった。
しかし、この沿道に領地を持つ大名の奉行や代官等の役人が巡見
のために通行することもあり、そのときは特別に掃除をしたり、人馬継立
をする村もあった。

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 ここから和歌山県手前までの街道は左上の略図、1,2,3,4,7番の
25000分の1地図を使用する。
高野街道地図 1
 高野街道地図 2
 
高野街道地図 3
 
高野街道地図 4
 高野街道地図 5
 高野街道地図 6
 高野街道地図 7


 大阪府・歴史街道ウォーキングマップ「東高野街道」

 さて、京都府八幡(やわた)市の石清水八幡宮は、高野詣の際に出立の場と
なった場所であり、ここを起点に大阪府を南へ縦断し、高野山へ向かう。
第1日目は、木津川南岸にある、京阪電鉄八幡市駅を11:55にスタート
した。

 まずは、石清水八幡宮へ参拝する。
全国にあまたある八幡宮の中でも格式の高い社であり、現在では厄よけ
の神様としても有名。
時間の都合もあり、男山の山裾の拝殿より参拝する。



















 東高野街道は男山の山裾を東側から
回り込み南下するが、ますは近所にある
飛行神社へ寄り道する。
八幡市駅の東側の橋を渡り住宅街を
行くと見つかった。
 参拝して、絵馬をいただく。
飛行神社からまた駅前方向へ東高野街道
へ戻る。

写真:右)駅前の橋と京阪電車
放生川となっているが、地図では大谷川
街道は大谷川に沿って南進するが、飛行
神社へはこの橋を渡る。




































大谷川沿い
東高野街道
の道標が古
い道標の傍
にある。










山ノ井戸


男山の東裾にある、
秦勝寺。

松花堂跡の碑がある。









 秦勝寺を過ぎ南進するが、八幡小学校の
西でひとつ東の道へ入り南進する。



新しい道標には「松花堂」への方向を案内して
いる。

 観光パンフレット・地図(八幡市役所)
八幡町時代の古い写真(八幡市役所)



























八幡市立図書館
の傍の道標

『正平渋園殿
     古戦場』






 男山の南端、府道との交差を右折し、
すぐの「神原」交差点で再び南進する。

 『 巡検道
  左 宇治近道 』

男山を右手に見ながら南進。









 正法寺の門前を過ぎる。




































































 松花堂資料館

 松花堂
 松花堂弁当の由来(京都吉兆)

 松花堂公園の北端で迂回するように右の
道へ入り、すぐにまた右折し南進すると、
月夜田(つくよだ)の交差点が左に見える。
交差点を南進する。
 交差点にある昭和2年の道標
 『左 奈良街道
  右 高野街道』

























 男山吉井と道を
接するあたりの住宅街
にあるエスポワールで
でランチ(¥1,570)
にする。
(12:18)










 吉井バス停のすぐ先で、男山吉井の南境
に沿うように住宅街を上がり、福禄谷へ向かう。

 洞ヶ峠。 峠といっても上り下りともにゆるやか。
八幡国際霊園の南境で右折し、枚方市へ入る。












高野道という分かりやすい
地名を直進し、2車線の
車道に突き当たると、西へ
150mほどの日世コーンの
倉庫手前の道へ入る。










 道は細くなり、古い住宅
を抜けるように進む。

写真:右)通行禁止の
看板に注目。
こんなとことにも「2ちゃん
語」が?

招提田近
(しょうだいたぢか)の町並。






 「東高野街道」の道標がある。














 −−−−−− 旧東高野街道(出屋敷) 説明板より −−−−−
 高野山参詣のために整備された街道であるが、その歴史は古く平安
時代の官道である南海道に遡る。南海道は、律令国家体制の崩壊とと
もに機能を失墜しつつあったが、高野聖の台頭を機に碑がちの高野街道
として再び重要視され、平安時代後期から室町時代の末頃まで貴族に
よる高野詣での頻繁な往来で賑わった。以後も慶長6(1601)年に京街道
が整備されるまで、山城と河内を結ぶ幹線道であった。
 その道程は、山城と河内の国境の洞ヶ峠から現在の枚方市域を縦断し、
生駒山地西麓を南下、さらに石川沿いを遡り河内長野で堺を起点とする
西高野街道と合し、紀見峠を越え橋本を経て高野山に至る。
 本市域では、洞ヶ峠から高野道・招提新大池・出屋敷・山呂大池・交野
市郡津を経由して茄子作を通過するが、出屋敷は家並みとともにかつて
の面影を今に留めており、旧街道に臨む多田家の生垣には、人々の往来
を偲ぶように道標がひっそり佇んでいる。    枚方市教育委員会
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 枚方市招提の、
船橋川の手前で、
国道1号線に合流し、
約1km国道を歩く。
 田口山の途中の、
オートバックスを過ぎた
あたりで、左側の道へ
分岐し、府道144号線
に合したら、出屋敷の
方へ右折する。





 ふたたび国道1号線
へ出るが、出屋敷の
交差点で「く」の字型に
出屋敷元町の中心を
通る。

出屋敷の古い街並み
の中を歩く。













円融寺を過ぎたところで、
府道18号線に合流する。

























 四辻の交差点を過ぎる
ころから雲行きが怪しく
なり、春日西町のコーナン
で雷雨の雨宿りをする。

その先で交野市へ入る。










府道7号線と18号線が交差する、出鼻橋で、
左側の小道へ進み、交野市郡津(こうづ)の
中を約1km通り、京坂交野線の線路手前で
再び18号線に合流し、京阪線を越える。

そこから200mほどの新天の川橋交差点で、
国道168号線と重なる磐船街道と交差する。
さらに50mほど先の大野川を渡ってすぐの
茄子作東町で、府道より離れ、左折して細い道
を行く。







一里塚跡

枚方市茄子作南町と
交野市私部西の接する
あたりで府道20号線に
合流し、星田北5丁目
の日本タイロット工業
のあたりで農道へ入り、
星田北6丁目の中を抜け
JR星田駅東50mほど
のところに出る。






一里塚跡













 JR星田駅 
 16:34到着。
 まだ夏の気候で、雷雨にも見舞われたが、昼からのスタートで、
実質3時間半程度のウォーキングだった。
 23,292歩








東高野街道 つづく


更新: 2021/5/25 リンク切れ修正