第24 回 伊賀街道  加茂(恭仁) - 伊賀上野   2004年6月5日


 前回に続き伊賀街道を歩く。街道は木津川に沿うようにして
東西に延びるが、鉄道駅の都合上、加茂から歩き始め、恭仁
大橋を渡って伊賀街道に戻る。

 このエリアを収録した地図は手元にないので、パソコン版の
プロアトラスWで該当エリアを事前に印刷して使用した。

乗り継ぎの駅で弁当とお茶を購入(計550円)。
 JR加茂駅へは8:15分に到着。
加茂の町並みを通って、木津川方面へ向かう。

途中、「春日若宮社」で本日の無事を祈って参拝。
古い家並みがよく残っている風情のある町並みが美しい。

 (上の写真は伊賀上野の平野部に広がる田園風景。田植えのすぐあとのみずみずしい稲穂の列が美しい。)




























左: 恭仁大橋から見た、北西の恭仁京方面  
右: 同、東の木津川上流方面。街道はしばらく川沿いへ進む。

 橋を渡り、国道163号線と平行する土手道を進み、200m
ほどで合流するとすぐにコンビニのある辻にでる。
道路脇の道標:
 右 笠置 上野街道
 左 和束 信楽街道

 その辻には国道の南側で集落へ再び入る道があり、旧道の
可能性がある。幅1.5mほどの道を進むと神社があり、国道
と同じ方向に伸びているので、どんどん先へ進むと、集落が途
絶えて、竹林へ入っていった。
 200mほど倒れた竹を除けながら進むと、竹林が唐突に終わり
背の高い草に一面覆われた場所に出た。
10mほどそのまま進むと、なんとそこは木津川の川辺だった。
これで旧道ではないことは分かったが、さっそくの無駄足でもとの
国道へ戻る。





















集落へ続く細道と、その先の竹林。 旧道ではなかった。





 国道へ戻る。 さっきの回り道は写真の右手の鬱蒼と
した竹林。
 対面2車線の国道には歩道はなく、しかも道幅は大型
トラックの幅いっぱいといったところ。
そこにきて大型トラックが道幅いっぱいを使って走って
くる。 交通量も多い。
ここから笠置までは、十分注意する。

 前回は、夕方に恭仁で終了したが、あのまま笠置まで
歩いていたら、夜間にこの危険なエリアを歩くことになって
いた。
ドライバーからの視界が悪くなる夕方以降にこの道を歩く
のはとても危険であり、止めた方がいい。



 加茂町銭司(ぜす)
 ところどころ集落があるところだけに歩道があらわれるが、
集落がとぎれると、トラックがすれすれに走る危険な道に戻る。













 木津川沿いの遊泳場。(銭司キャンプ場)
国道の両側に駐車場があり、車を置いて川遊びができる。
入場料100円で、水、トイレが使える。駐車場代は別途。

9:30頃にここを通過。
 そこを過ぎると、川ぞに蛇行する国道のもっとも危険な区間
が続く。 下の写真のようにガードレールとの間の路側帯も
ほとんどなく、カーブも多いのでドライバーからの見通しも悪
く、車に警戒しながら歩く。
トラック往来も多いので、対面通行で重なると歩行者を避け
られないので、こちらが横向きに退避したことも2,3度あった。
川の湾曲部に「駒返岩」と地図にあるが確かめる余裕もない。




















 蛇行する木津川の北岸を街道は、国道と重なって進む。
道の形状からして、旧道は切り崩す前の崖の上の小道
のような部分も多かったのではないだろうか。

 その険しさに比べると、すぐそばを舟で通行する、水上
交通も結構一般的だったのではないかと感じた。
笠置山に籠もった後醍醐天皇一行は木津川を舟行した
のではないだろうか。

 現代の国道、鉄道網からすると笠置は京都から遠い
印象があるが、当時使われていた交通手段を基に考え
ると、現代とはまた違った距離感を当時の人は持っていた
と考えられる。



 木屋の集落を9:45頃通過する。

 道標
 右: 和束
 前: 笠置 上(野)
 左: 奈良 @
 道路工事の時に石垣のそばへ移動された形跡があり、セメント
で固定されているが、下の部分が埋まっている。

 笠置から1.5km手前にコンビニ(サンクス)と地元の野菜販売店
が軒を連ねている道の駅風の場所。トイレもある。
 ここで空になったペットボトルのお茶を交換する。




















 10:20、笠置到着。 左端に笠置橋、川向こうには旅館街があり、
柳生街道の回で入ったカササギ温泉がある。 前回は、このカササギ
温泉を締めの目玉として考えていたが、道路が危ないので街道歩きで
ここを終点に設定するのはまずいことが分かった。













左) 三神宮 の鳥居と常夜燈
よく見ると大神宮ではなく、三神宮。
お宮の名称だった。


右) 
史跡名勝天然記念物保存法に依り
昭和七年 文部大臣@定

 川の向こうは笠置山










 笠置橋
 橋向こうの山を越えたところが柳生の里。
柳生街道の回では、柳生から笠置への道の急峻さが印象に残る。




下)  笠置トンネル
 街道はその手前(写真で右へ道が付いている)を曲がり、小山を
迂回するようにして峠越えをする。






















 坂道を上りだして間もないところに、地蔵、道祖神が
祀ってある。

 街道らしい道幅の道が急勾配で続く。
峠を越えるまでの集落内に、新しい石燈篭がいくつも設置して
ある。































 集落がとぎれると山道が急勾配に続き息切れしつつ上る。
郵便の集配バイクが苦しそうに追い越していった。
路傍に地蔵が祀ってある。

 国道から分かれて500mほどで峠にたどり着く。
あとはおおむね下り坂か、多少の上りり下りがある程度。
ひとまずホッとする。
 五輪の塔のそばに水道があり、そこで手を洗い一息つく。
「峠の茶屋」と云うが、歩きの旅では、上りの苦しさと喉の渇きを
我慢しつつ登り切ったところで水分をホッとする、そのありがたみ
がよく分かる。 今は茶屋はなく、水道水だけ。





































 峠を越えるとそこからは下り坂で、沿道には集落が続く。
笠置町下有市の集落の様子。 常夜燈が旅人を迎える。
人里に入るとホッとする。
写真にある向こうの山裾にまで下りながら集落は続く。

 写真・左) 右に分かれる急な下り坂があるが、街道は
左側のアスファルト道を進む。

 写真・下) ジグザグの下り坂を降り、橋を渡ると
鳥居があり巨木を祀ってある。
このあたりが集落の中心部。






















 上有市の集落。
「木津川横断ハイキングコース」の看板。
国道の歩道のない過酷な道と比べて、とてものんびり
した雰囲気の集落を歩く。
国道163号線は集落の南側、川沿いに一段低いところを
通っている。
たまに通る車は地元のものでゆっくり走っている。

 このあたりで11時を過ぎる。(加茂駅から3時間後)







 街道から一段低いところに建つ家屋。
日陰で見にくいが楕円形の虫籠窓と黒壁が美しい。














 家屋の2階に、街道から直接出入りできるように橋を
渡してある家があった。
それほど古い家ではなく、造作から昭和のものと思われる。
以前、大工さんから聞いたが、木造建築はこうした増改築が
簡単で、部屋を増築したりするうちにこういう複雑な構造に
なったりする。

なんだか懐かしい雰囲気のある家だった。







 街道の際に建つ鳥居。今は街道脇から平行に階段を上るように
なっているが、どうも不自然な気がする。
おそらくもとは街道から直接上っていたものが、道路を整備した際
に間際まで削られて横に階段を付けられたものだろう。

 鳥居のすぐそばに常夜燈があり、水が供えられている。
その後ろは斜面でなにもない。
破格の扱いを受けている常夜燈か、あるいはなにか因縁があるの
だろうか。







 街道は田んぼ脇の農道のような道となる。
田植えすぐの稲と、空の色を映した水面のコントラストが美しい。

 上有市の集落もはずれに近づき、風情のある街道もまもなく
国道に合流する。












 国道と合流してすぐに地図にない神社があった。
「國津神社」

写真左の鳥居を過ぎ、右側にまた鳥居がありそこから境内へ
入る。

 祭神、縁起を記した説明版はないので、まったくの地元の
ための神社であるらしい。
























奉納殿があり、本殿はその奥。なかなか本格的な神社である。
さらに奉納殿の左手には「参篭舎」があった。
 祭りなどの神事の際に、氏子達が籠もり潔斎する場所だが、
若い衆だけで夜を徹して過ごしたりするいわゆる青年宿のような
場所ではないだろうか。

 いずれにしても、この國津神社は伝統とともに、地域の生活に
根ざしている様子が伝わる。
有市の人たちの伝統を大切にする気持ちがすばらしい。
こうした風景が各地で廃れずに、これからも残り続けて欲しい。





 街道は国道に重なる。
「上野まで20km」の標識。

 写真左手にはJR関西本線の
線路が伸びる。
 道路から柵もないので、線路へ
入り撮影する。
 街道を歩いていると、思い出した
ように2両連結のディーゼル車が通る。
地図だけで見ると、この線は「関西」
であり「本線」である。
路線名との格差がおもしろい。




 「お食事」の看板のすぐ右手に見慣れない黒いものが。
イノシシ?の毛皮が干してあった。














 北大河原でJR線の高架をくぐる。
カーブの先は木津川であり、無いに等しい狭い歩道を
歩く。
 川には沈下橋が架かっている。
見るからに川遊びにぴったりの場所。

ちょうど昼時なので河原で弁当にしようと思ったが、
橋の場所から100m以上通り過ぎた後で戻らなくては
ならず、迷ったが駅で休憩することに決めた。
























 JR大河原駅
ほとんど使われている形跡のない引き込み線のホーム
に腰掛けて、弁当休憩にする。

 15分ほど休憩し、先を急ぐ。

 写真・左下)道路脇に、立派なやましろホールが突然
出現した。
 写真・右下)南山城村役場の向こうで橋を渡る。






















 写真・左)
 橋を渡り左へ。

 写真・右)
 すぐに道が分かれ
ているが、街道は
右側の直進の道。









写真・左)
 珍しい階段。


本郷の集落の様子。
蔵がある家や、
虫籠窓のある家屋が
残っており、街道情緒
がある。
国道は旧道の南側を
通っている。





写真・左)
本郷の集落の終わりで
国道と合流し、50mほど
戻った場所に橋がある。
旧道はこの橋を渡る。
(12:42)










 街道沿いの石碑
 「天照皇大神宮」とある。














 アスファルトの舗装道路が続くが、車も人も出会わない。
草むらから例の長い奴が飛び出してきそうな雰囲気に、道の
真ん中を歩く。
プロアトラスW3の印刷した地図を参照するが、この道は記載
されていない。JR線の大河原駅と月ヶ瀬駅間の南側を歩く。
緩やかな上り下りを繰り返しながら徐々に高くなっていく。

 途中に茶畑があり、風を送る風車があちらこちらに見える。









 東海自然歩道の
標識

分岐するが、標識に
沿って進む。


 (13:16)








 お茶葉を焙煎する
家屋。
香ばしいにおいが漂う。

 きれいに刈り込まれ
た茶畑









 東海自然歩道の
標識

 道は大きく蛇行して
下っていく。











 JR月ヶ瀬駅。 ホームは見えるが駅舎は目立たないところにある。
 (13:44)

 ここを過ぎたところの自動販売機でお茶を買う。
冷たい飲み物がありがたい。

100m程で神社参道があった。
津島神社、六所神社 と二つの神社名が刻印されている。
合祀されたのだろう。
道中の無事を祈り参拝する。
社務所は無人だが、よく手入れのされたすがすがしい神社。





















 
御祭神が六所神社、津島神社と分けて記されている。

津島神社を出てまもなく人家が途絶え、水田脇の小道を
歩くと、三重県との県境へ出る。 (13:57)




























左)標識の下に明治19年の刻印がある
国境石がある。
ここから、阿山郡島ヶ原村。

右) 県境から5分ほどでJR線路と交差する。

 このまま300mほどで国道に合流する。
地図では、いったんJR線のトンネルの上を越え
線路が再び見えた場所で旧道へ分かれるが、
それらしい場所には、ガードレールが遮断する
ように設置してあった。 (写真左下)
季節がら草むらが怪しい(朽縄くちなわ)ので
素直に国道を歩く。
























 九山橋近くの三叉路。
ガードレール沿いに歩いていたら、「あれっ」道が側溝で
遮断されている。 振り返って撮影した。
道路を造った時に失敗してやり直したものだろうか。
JAFの投稿写真に出てきそうな図。











 三叉路からすぐに九山橋があり、渡ってすぐ、国道を直進せず、
右側に回り込むように曲がった川辺の道を行く。

(鉄柵のある橋でなく、ガードレールがある方の道が街道)












 行者堂趾

 この道が旧本陣へ続く。

































 大和街道の標識。
大和からは伊賀街道、伊賀からは
大和街道と呼ばれた。
道に固有の名称を付けず、行く先を呼び
習わすために、多くの街道でこのような
ことがある。











本町の街並み

島ヶ原郵便局。
古い町の郵便局は
明治期に街道沿い
に設けられたので、
街道を探るときに
有力な手がかりになる。







 木津川に架かる橋を渡り東岸へ向かう。
 (14:47)














 橋を渡り、茶屋出を抜け、東明で山側へ登る細い道があった。
地図には庭尻と記されている。
伊賀街道がこのまま川に沿っていたのか、それとも庭尻経由で山越え
したのか分からなかった。 川の流れの変遷を地形から想像して、
このまま山越えでない道を街道と判断した。
 しかし、後で知ったところでは、これは間違いで、山越えのコースが
伊賀街道だった。

 しばらく間違った道を進み、長田で国道163号線に合流する。
合流地点に「大和街道」の標識が出ている。






平尾交差点手前を
右側の細い道へ折れ、
上野長田簡易郵便局
のある寺内町の方へ
行く。











 上野の平野が広がる。
田植え後も青々しい田園
が広がる。













 木津川を長田橋で渡る。
道なりに進むと、鍵屋の辻
へ出る。













写真左) 鍵屋の辻近くにある道標。
  左 月ヶ瀬
  右 奈良大坂

その側に昭和36年の大洪水のときの浸水記録
がある。木津川の氾濫でここまで水位が上がった
という記録。

写真右) 鍵屋の辻の前にある道標
  みぎいせミち
  施主 當町中 世話人
  ひだりならミち (裏面)









鍵屋の辻公園
(16:30)

伊賀越資料館
¥200
休館日
(12/29−1/1)
街道史料は無い。
荒木又右衛門の
決闘の史料のみ。






 数馬茶屋
アイスグリーンティー
菓子付きで¥360

池を眺めながら一服。

茶屋の裏にトイレあり。









 茶屋で銭湯がないか聞いたところ、5分もしないところにある、という
ことで突撃した銭湯。
近鉄伊賀線の踏切の見える国道25号線を渡り、幸坂町にある。
向島交差点の北東側。

ペットボトル3本分の汗をかいたので、ここで汗を流す。
風呂上がりにお約束のコーヒー牛乳を堪能する。

(17:27)

18時過ぎに風呂を出る。





 向島町、西町、中町
と続く街道。














 上野文化センターのレトロな風格。















商店街には古い家屋
がよく保存されている。

街頭には俳句の短冊が。
さすが芭蕉の町。











 芭蕉と並んで有名なのが忍者。
芭蕉も諜報の任を帯びた忍者という説も
ある。

 通りは片原町の上野天神宮、菅原神社に
突き当たる。


























 鐘楼がある。
伊賀街道沿いには
明治の神仏分離令
を生き延びた鐘楼が
よく残っている。











 菅原神社の北側
の道をわずかに行くと
近鉄広小路駅がある。
伊賀街道と垂直に交わる
路線だ。
 (18:43)
ここから伊賀線に乗り
伊賀神戸で乗り換える。

ここまでの万歩計の
メーターは
  43,127歩 (32km)





− 第29回 伊賀街道へつづく −