第 22回 清瀧街道/伊賀街道 生駒−加茂    2004年5月30日

 前回は清瀧街道を奈良県北田原町を越え、磐船街道と交差するところで、最寄り駅「近鉄東生駒」
まで下った。 今回はそこからバスで北上し、清瀧街道の続きを歩く。
清瀧街道は京街道と交差し木津川の北岸を通る伊賀街道に繋がる。
 東生駒駅の西側にある国道168号線をほぼ磐船街道に沿って北上する69番「ひかりが丘」行きで
「イモ山」バス停で下車する。ただし、バスは1時間に2本程度と数が少ない。
この日はスタートが遅く、「イモ山」バス停から清瀧街道を歩き始めたのは13:35だった。

 しばらくは国道163号線に沿って東進する。
高山町に入り、県道7号線と交差する。
富雄川を渡ると田植えを終えたばかりの田園が広がる。




 田園風景が途絶えるころには、歩道も無くなり、
写真のような白線とガードレールの間が狭い。
トラック、ダンプカーなど大型車の往来が激しく、
国道163号線は産業道路といえるだろう。

すぐ横を大型車が通ると風圧で体が揺れるくらいだ。
騒音も相当なので、音楽を聴きながらやってくる車
に合わせてガードレールに身を寄せる。

 ほんとうに危険なので、十分気をつけながら歩きたい。







 「奈良先端科学技術大学院大学」の校舎を北側に見て
さらに東進する。

ここを過ぎると、高山町から生駒市(鹿畑町)となる。
境界から100mほどで旧道が北側に分岐している。
 旧道は250mほど続き、国道を交差して南側にさらに
200mほど残っている。

 これから先の部分でも人家がないエリアでは国道に歩道
が設けられていない。 町と町の往来には徒歩、自転車の
利用はどうやら想定されていないようだ。




 鹿畑町、国道北側
 の旧道














 向こうに見える信号を渡ると、また旧道に入る。

 鹿畑口交差点で、再び国道と合流するまで、街道と国道の
間に水田が広がる。
田んぼを見るとなぜか気が和むのは日本人の原風景だからだ
ろうか。











田植えの終わったばかりの
整然と並ぶ稲の緑が美しい。













 国道と合流する。
北側に歩道がある。 両国橋を渡るまでこの区間は安心して歩ける。

 バス停から200mほどで両国橋を越え、京都府精華町にはいる。












 両国橋から100mほどで清瀧街道が国道163号と分岐する。
左手、直進の道が旧道。 また合流するまでのあいだ約1km
続く。
 (写真左下) 分岐点にある石碑。
「宝塔 世界@@」飾りの鳩も付いており、新しいもの。

 (写真右下) 葺屋をトタンで覆っているが、寄棟の小妻の部分に
「水」と屋号が彫られている。
 地図には街道北側に少し離れて、極楽寺、東谷神社がある。
近隣の町にベッドタウンが作られているが、もともとは農業で成り立ち、
寺社が地域コミュニティの核となるような伝統的な地域であることが推測
される。



















 京都府精華町柘榴
の町並み。














 乾谷で国道と合流後、府道52号線と交差する。
その後500mほどで山田に入るが、国道163号線は山田川を
池谷橋で渡る。
 実は、そのあたりから、京街道(奈良街道)が南下する木津川
南岸、国道24号線「泉大橋」までの間、清瀧街道がたどれない。
このまま山田川北岸を通ると、木津川だけを渡ることができる。
 池谷橋の地点で川を渡ったとすると、その先で鹿川を渡り
京へ行く場合は、さらに木津川を渡ることになる。
木津川はこの先大きく”U”の字に曲がっており、川辺の様相も
長年の間で大きく変わっていることも想像される。
当然、増水時には”U”の字になった木津川の南岸一帯は水没
したこともたびたびあり、町並みや街道の様子が一変することも
十分に考えられる。。




 国道163号線は相楽(さがなか)、木津町で凹状に不自然に曲
がっている。
 後日、地図をじっくり眺めていると、国道163号線の凹状の底部
がそのまま西へ延びたものが清瀧街道ではないかという気がする。
なぜなら延長線上、相楽の京奈和自動車道東側に西宮神社、宝泉寺
が道を挟んで位置していおり、他にそれらしい街道沿いの寺社の並び
が見あたらない。
 当日は、それに気づかず、川をできるだけ跨がないルートとして、池谷橋
手前の分岐を北側、山田川北岸の旧道らしき道を歩いてみた。





 左の写真はその道沿いにあった常夜燈。 他には特に古い家もなく、歩いた結果、どうもこの道は
清瀧街道ではなさそうである。
しかし、山田川東岸、木津川南岸のあたり、木津町役場の北北西300mの地点に「和泉式部墓」と
地図にあり、そのあたりを通る道に河越場の痕跡がないだろうか。

京奈和自動車道、山田川ICの下をくぐり、近鉄京都線「山田川駅」南を抜ける。
途中、寄り道してショッピングセンター「アルプラザ」で昼飯にした。
 山田川北岸を通り、JR学研都市線の南側にある清水橋で対岸の相楽へ渡る。
鹿川、井関川が合流する手前でJR線を木津川の方へ抜けもっとも川よりの道を
歩く。











 かつての倉庫だろうか、造り酒屋の蔵のような古い建物がブロック塀に
囲まれて川縁の道に面して建っている。


 そこから50mほど行くと、常夜燈、鳥居、地蔵堂が 旅館「川喜」とおぼしき
建物の西角にあった。

 地図には旅館名が記されているが、看板は見あたらない。
明かりがついており、営業していると思われるが、もしかしたら京都の
「柊屋」のような高級旅館なのかもしれない。
 伊勢詣りのときの宮川の渡しでもあったが、川船にとっての灯台として大きめ
の常夜燈が川縁に置かれることから、木津川との位置関係、常夜燈の大きさ
から言って、ここが木津川の南岸の渡し場であると推測する。
























 














写真では前を通る道路が十字路になっている様子が分かるだろうか。
北側(川の方向)へ向かうアスファルト道路は川の南岸を通る道へ繋がるが
地図にはその道は点線でしるしてあり、往時にはこのあたりから地面が下がっ
てゆき砂浜になっていたと想像する。

 地図では、この常夜燈に面した南北の道を北にのばすと、府道70号線に
つながり、そこには西福寺、山城町郵便局、廻照寺が道沿いにある。
 郵便制度は、明治初めに全国規模で策定され、当時の郵便局は主要な
交通路であった(旧)街道沿いに設けられていたので、古い郵便局は街道を
探すときに寺社と並ぶ手がかりとなる。

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 清瀧街道としてはここで京街道(奈良街道)と交差するこの場所で終わりで、まだ時間
も少しあったので、伊賀街道歩きを前提として少しでも距離を稼ぐことにした。
 その前にまずは、和泉式部の墓を訪ねる。


 渡し場から一本東側の道を
南下するとすぐに寺が見える。
 地図には「和泉式部墓」とある
ので、跡地と伝える簡単な石碑
を想像していたが、お寺だった。
 しかし、無住の様子で、地元の
方々の手で保存されている様子。

鐘楼も立派なものだが、ブリキ板
で二階部分は囲われており、一階
は物置のようになっている。




 和泉式部は藤原道長の子、中宮章子に紫式部らとともに仕え、
王朝時代随一の女流歌人だった。 和泉式部日記など古文の時間
でおなじみの人である。
 ネットで検索してみたら、伊丹市や各地に和泉式部の墓があるらしい。
 「和泉式部の墓」











 そこから泉大橋へ向けてJR線を左手に見ながら東進すると、
夕方も迫ったせいか、郷愁を誘うギザギザ屋根の工場があった。
昭和の風情が漂う。













 泉大橋を渡る。
















(写真左)南岸から山城町側を臨む


(写真右)北岸よりから木津町側を
臨む

川の形は変わっているはずだが、
渡し船がかつて行き交った場所。







 橋を渡り150mほどの初めの信号機、上狛4の交差点を東へ国道163号線
が東進する。 伊賀街道もこの道に重なる。

 歩道はこの先の山城郷土資料館まで続き、そこからは歩道無しの
危ない道路になる。











 東行して1.5kmほどの
ところに「山城郷土資料館」
がある。
9:00−16:30までの開館
だが、既に17時近くになって
おり、入館はあきらめる。










(写真左)
 木津川が氾濫すると、バーが横
にスライドされ、通行止めになる。

 車道脇の白線内は30cmほどの
幅しかなく、大型車は道幅いっぱい
近くを走る。










 資料館から1.5kmほどで加茂町へ入り、そこから700mほどで旧道が
山側に分岐している。 蛇行しながら2kmほど行くと、恭仁小学校が伊賀
街道北側にある。
 この裏手に国分寺跡があり、それはまた以前には恭仁京として都が置か
れていたところだ。
平城京から恭仁京の順で遷都したが、二つの宮趾の距離は徒歩、渡し船で
およそ5時間くらいと推定する。

 このあたりは緩やかな山に囲まれ、南側に木津川が流れる。
川の近くということで、稲作にとっても適した土地であり、古代よりここを地盤
とした豪族があったことだろう。




 「恭仁京」

 既に18時を廻っていたが、笠置まではここから8kmの距離がある。
朝に出発していたら、笠置まで歩き、そこでまたわかさぎ温泉「笠置いこいの館」
でゆったり天然温泉に入り、雉子飯を食べるという楽しみがあった。
雨も降り出したので、最寄りのJR加茂より帰ることにした。

 田植えの最中のみずみずしい稲の列を眺めながら、恭仁大橋へ向かう。
そのうちに小雨もあがった。







 恭仁大橋上から恭仁京の方角を撮影。
夕日が、かつての都を裾野に抱えるその山際に沈んでいく。














 恭仁大橋はかなり長い。
渡るとすぐに加茂の落ち着いた町並みが続き、15分ほどで駅へ着く。
18:45に加茂を後にした。

この日の歩行数 23,495歩。

次回の伊賀街道は加茂から始める









更新: 2021/5/25 リンク切れ修正