第 19回 山の辺の道  天理 - 大神神社   2003年11月23日


 山野辺の道、山辺の道、山の辺の道など表記は一定していないが、
近世で街道として機能することなく、古代の道として歴史に埋もれて
いた道である。
 名前のとおり奈良盆地の東側の山麓をたどる道であり、縄文時代
以降の遺跡もコース上に多く、古代の集落を結んだ生活道であった。
そのため、葛城古道と同様、正確なコースは不明であり、現代では、
ハイキング道(東海自然歩道)として整備されている。
地図には、下記のリンクにあるようなハイキングマップを利用した。
 近鉄沿線ハイキングマップ 山野辺の道コース

山の辺の道は天理から三輪山あたりまでは、よく復元してあるが、
天理から北の方はよく分かっていない。
今回は天理を起点にして、古代史の舞台を歩いてみたい。



 近鉄天理線・天理駅を 10:05 に出発。
 上の写真は天理教の教団施設である。規模のすごさに驚く。
ちなみに、天理市は昭和29年4月1日、山辺郡の丹波市町、二階堂村、朝和村、
福住村、添上郡櫟本町、
磯城郡柳本町の3町3村の合併により発足した宗教都市
である。 豊田市、日立市という企業城下町はあるが、こうした一つの宗教で自治体
を作った例は少ないのではないか。
それだけに、駅前や商店街には天理教の半纏をまとった大人や学生が箒で清掃
しているなど、よそには見られない雰囲気のある、まとまった町、という印象がある。

 天理駅から山の辺の道へ向かうには、石上神社を目指す。
途中の道標に「右 布留」とある。
石上は、ふる(「古る」「降る」「触る」)にかかる枕詞であるように布留の地にある。







 石上(いそのかみ)神宮
大神(おおみわ)神社とならんで、最古の神社と云われ、記紀以前から古代国家の信仰の地であった。
物部氏の氏神を祭り、古代以来多くの武器が奉納され、古代国家の武器庫としての性格を持っていた。






















 物部氏は古代国家で軍事を世襲職としていた。
継体天皇朝に「筑紫の国造磐井の乱」を討って勢力を得、その後
蘇我氏と並び栄えたが、崇仏(論)争で負けてからからは衰えた。

神さびた雰囲気の中にも、日曜日ということもあり参詣者で賑わって
いた。

























 永久寺跡
ここも廃仏毀釈で廃寺となった。往時の規模の絵図からは、想像もつかないただの山となっている。
 明治初期には各地で多くの城も破却された。廃仏毀釈とともに、興味深い時代である。

内山永久寺跡にある芭蕉の句碑
「うち山や とざましらずの 花ざかり」

永久寺は院号を金剛乗院という平安末期に建立された真言宗の寺で
あった。
南北朝時代には、後醍醐天皇が一時入寺し、その跡は「萱の御所」と
呼ばれている。









写真:左)
このくらいの幅の道が
続く。

写真:右)
地元の人が売っている
柿、野菜。 熟した柿で
試食させてもらう。
























 夜都伎(やとぎ)神社

 落ち着いた境内に、紅葉が映えて
美しい。




























写真:左)
山の辺の道の進行
方向。
竜王山(585m)か。

写真:右)
奈良市越しに
信貴山方面を望む。








展望が開けてくると、奈良盆地の周囲の山々を「大和の青垣」と
呼ぶのが、風景のなかに実感できる。
ここ、山の辺の道は東側の低い山裾を通り、西向こうには生駒山
系が垣根をなすように連なる。

 写真では分かりづらいが、市街地に南北を一直線に結ぶ人工物
が白い線をなしていた。よく見ると、高架の道路である。
奈良に住む方には悪い気もするが、「大和の青垣」にコンクリート
の長大な人工物があっては台無しではないだろうか。
せめて、高架道路の側面を背景にとけ込むような色にしてはどうだろう。























萱生(かよう)町
環濠集落














 西山塚古墳














写真:左)
太神宮燈篭
側に東海自然歩道
「山の辺の道」道標

写真:右)
五社神社









写真:左)
念仏寺

写真:右)
燈篭山古墳



























写真:左)
柿本人麻呂 歌碑


道は複雑に曲がるが
標識が整備されており、
迷うことはない。









長岳寺の隣にある、
トレイル青垣
トイレ、シャワー、無料
休憩所には、お茶(無料)
もあり、この近辺の歴史
資料コーナーもある。
ここで昼食にする。

(13:00)







長岳寺
真言宗。弘法大師の開基と伝えられ、往時
には本堂・不動堂・鐘楼など20坊あったと
伝えられるが、廃仏毀釈によって衰退した。

トレイル青垣からすこし戻り、長岳寺を参詣。
紅葉がよく映える庭が美しい。






























長岳寺からトレイル青垣
へもどり道をくだる。

すぐに崇神天皇陵の
巨大な前方後円墳の
環濠があらわれ、道は
壕に沿って山側へたどる。









 崇神天皇陵
(天理市柳本町)
皇統10代。
大和時代、北陸・東海
・西海・丹波に四道将軍
を派遣、国内の統治基盤
を整えたことから実質的
な初代天皇という仮説
もある。








西を望む。
田の向こうには街並み
が広がり、向こうには
山々が垣根のように
取り囲む。
まさに、大和の青垣。









景行天皇陵
皇統12代。
皇后播磨稲日大郎と
の間に生まれた日本
武尊に熊襲や蝦夷を
鎮定させたと伝えらる。
四世紀前半の大和
朝廷の国土統一過程
の天皇。







穴師のあたり。

地蔵と太神宮常夜燈













 遠景が美しい。
京都と違い、高層ビル
がじゃまをすることなく
往時を偲ばせる。












 桧原神社
鳥居が特長的。
柱にしめ縄が渡してある。
鳥居の古い形式を踏襲しているのかも
しれない。











































大神神社 摂社

−−説明板より−−−−−−−−−−−
活日(いくひ)神社
崇神天皇の八年大神の掌酒(さかひと)として
奉仕せられた杜氏の租神たる高橋活日命を祀り
一夜酒の神とも称えます。
全国で唯一の杜氏の租神であります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−












 大神(おおみわ)神社
御祭神は大物主神。最古の神社のひとつ。ご神体は背後の三輪山
(467m)なので神殿をもたない古い神社形式。
記紀には、祭神の大物主命についての記述がある。
崇神天皇の世に、疫病が蔓延したとき、神意を伺ったところ、夢に
大物主神が現れ、それは自分の祟りであるという。
そして、子孫である意富多多泥古(おおたたねこ)に祭祀させれば
祟りは止む、と告げた。
 意富多多泥古は、大物主命が活玉依毘売(いくたまよりびめ)に
産ませた櫛御方命(くしみかたのみこと)の子孫である。
容姿美しい活玉依毘売のもとに、さらに容姿の美しい男が夜な夜な
通っているうちに孕んだ。



親は、その男を突き止めるために、輪に巻いた麻糸に針を付け、男
の衣の裾に刺しておけという。
翌朝、麻糸は三輪(3巻)だけのこして鉤穴を通っていた。
辿っていくと、三輪山の神の社で終わっていたという。













 井沢元彦の指摘で、「大国主命は出雲大社に幽閉された祀り方が
されている」という説がある。根拠は、大国主命が横向きに祀られ、
天照系の祭神が牢番のような配置にある。さらに、結界を表すしめ縄
が逆向きで、これは出てこられないようにする意味ではないか、
というものである。

左のしめ縄型鳥居は、境内から写したものである。
縄の撚り方は左綯いと普通のものだが、参道から拝殿方向に向かって
みると、反対の右綯いであり、出雲大社と同じ撚り方になる。
大物主命は大国主命の和魂(にぎみたま)ではあるが、やはり出雲系
の神ということで、結界に封じられていると解釈できるのではないだろうか。







16:25
 JR三輪駅で
本日はおしまい。











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