第8回 京街道    門真 - 枚方宿  2003年2月10日

 淀川の堤防に沿って枚方宿を訪ねる。
 

 京街道 : 豊臣秀吉による淀川左岸の文禄堤の構築によって成立。 天正11年
(1583年)に大阪城、1588年に淀城、文禄三年(1594年)に伏見城が築かれると、
大坂と伏見とを結ぶ最短路としての京街道が、諸大名を動員した淀川東岸の築堤工事
に伴う堤防道として誕生した。
河内・摂津側では文禄堤とよばれ、のち国役堤として畿内諸国の農村の賦課によって
維持修復された。
 江戸時代にはいってからは幕府公用の主要道路となって守口宿・枚方宿・淀宿・
伏見宿の四つの宿駅が置かれた。
 古来東海道は大津から三条大橋に達する路線であったが、幕府は参勤交代などで
江戸と国元を往来する西国大名が、今日に入って朝廷と接するのときらい、また経済的地位が高まった大坂を
重視し、京街道を東海道として公認したのである。

 この街道は京都・伏見側からは大坂街道または河内路とよんだ。 起点は大坂城の京橋口の北の京橋で
あり、終点は京都の鳥羽口と伏見の京橋。   (参考文献:「大阪の街道」 神野清秀著 松籟社)


ということで京街道である。 実はすこし前に寝不足の状態で京街道を目指したことがあった。 
大坂モノレールの南摂津で降りたあと、東西の方向を間違えこのあたりで淀川と平行して流れる安威川の
しかも大阪方面へ歩いているという二重の間違いに1時間ほど気づかなかった。 睡眠不足は判断力が低下
する。当日はそれでマイカル茨木へ目的地を変えて映画を観て帰宅した。

 ということで、今度こその京街道である。今度は駅を降りてからの方角を確認
して、淀川を東岸へ渡った。 (午前10時30分にモノレール南摂津駅より開始)
 この日は2月にもかかわらず3月下旬の気温ということで、ようやく第7回の
つづきである。寒いと”のほほん”と街道を歩く気分にはならないのである。
それにしても春の訪れを感じさせるいい日だった。






橋の途中から淀川を写すと、あらためて大きさに驚く。













堤の風景。 空は広く、東西の山の間にひろびろとした空が展開している。 なかなかありそうで見ることは
すくない景色。 写真(中)には淀川を下る船が写っている。 かつての舟運の名残。なにを運んでいるのだ
ろう。










寝屋川市太間にて。 段蔵 (洪水に備えて三段に基礎の石垣を築きその上に建てる蔵)。見回してももう
この一軒しか残っていない。 そのすぐ北方に茨田堤(まんだのつつみ)の顕彰碑がある。
碑文:---------------------------------------------------------------------------
日本書紀に茨田堤の築造は仁徳天皇十一年とあり、これは河川堤として本邦最初のものである。
築造は難工事で、強頚継間、衣子断門の伝説がよくそれを語っている。
 当時淀川は水量も多く、平流れに広い土地を河道としていいたか、それを二流に分け、その間に
農地を確保したのが。茨田堤で、ひとつは現在とあまりかわなず西南流し、ひとつは南流して生駒山
の西辺で大和川と合していた。その分岐点がこの碑の建つあたりと考えられる。また土佐日記でいう
「わたの泊りの分れの所」もこの地点としてよいだろう。
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西岸を望む。 ラジコン飛行機が飛んでいたので、一服しながら眺める。(写真・左)
写真・右は大阪方面を振り返っての景色。

枚方大橋 東岸のようす
中心左よりに枚方パークの
観覧車が見える。
(写真・左)

写真・右は枚方市桜町
の銭湯 幸福温泉 とある。



枚方大橋、東岸で堤防沿いの道から桜町、堤町の旧街道へ入る。京阪枚方市駅を過ぎ
新町手前で川に突き当たるまでは府道13号線のひとつ南側の細い道が旧道。
桜町では旧道の現在は狭い住宅道路なので枚方大橋から先が分かりにくい。
誓願寺をから堤町へ入るとすぐに 鍵屋 資料館がある。











写真・中の説明文によると ----------------------------------------------------------------
枚方市指定文化財 「鍵屋」
 鍵屋は、天正年間(1573-1592)創業と伝えられ、江戸時代に大坂・伏見間を就航する客船
「三十石船」の船宿として栄えました。 「淀川三十石船唄」に「鍵屋浦には碇は要らぬ三味や太鼓で船止める」
と謡われ、淀川筋ではよくしられた名所でありました。
 現在の鍵屋主屋は、十九世紀初頭の建築とされ、枚方宿では街道と淀川が最も接近する堤町にあります。
表玄関を街道に開き、裏口は淀川に接しており、船の乗降に最適な構造となっていました。
 鍵屋主屋は枚方宿の面影を留める記帳な建物として、屋敷地は枚方宿と淀川との密接な関わりを示す史跡
として、枚方市指定文化財に指定されました。    枚方市教育委員会

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 展示物は丁寧にパネルにしてあり、展示物や見せ方も
工夫が凝らされている。
案内の人は歴史ボランティアの方がやっている。

左は鍵屋の模型
淀川から小船で直接屋敷に入れるようになっている。


模型は嵯峨美術短大の学生さんによる製作と聞いた。
下のものは紀州藩の参勤交代行列で枚方宿を再現
したもの。










































 母屋の説明を館の人に聞いたときに、屋根の傾斜が膨らんでいるのがこのあたりの建築の
特徴だと聞いた。 上のミニチュアはその屋根の勾配までも精密に再現してある。
このミニチュアは紀州藩の参勤交代の図が巻物として残っており、それをモデルとしている。


これは、文政13年(1830年)紀州藩の枚方止宿に際しての
夕食を復元したもの。

 (飯櫃)
 (ほうれん草のひたし) (たけのこ、わらび、くわい、ふきの煮物)
 (飯)   (はまぐり汁)            ( 焼き魚あんかけ )

というメニュー。 現代でも通用する献立。


















写真・左) 親切にあちこち説明していただいたボランティアのおじさん。
鍵屋の街道に面した表の戸板は、普通の袋扉ではなく、屋根裏に滑車を使ったシャッターのような
形式のもので珍しかった。 説明していただくまでは気づかないような細かなところまで解説していただいた。

すっかり鍵屋で時間をつぶしてしまった。 14時ちかくになっていたので、枚方駅前に昼飯を探し
に行くとする。











駅前に、ケンタッキーフライドチキンがあったので、そこで食事。終えて出たのは15時ごろだった。
本日の歩数は約24,500歩。




更新: 2021/5/25 リンク切れ修正