第2回 鳥羽街道 四条河原町 - 宇治平等院  2002年10月6日

画像をPCに保存しておいたのだけど、
ディレクトリごと消してしまったみたい (-_-;)

ということで、今回は画像はありません。
途中で、偶然にお祭りの神輿担ぎの様子を写したり、動画に収めたりしたのに・・・・。
やはり平等院を堤から、ただで見物したのがよくなかったのか・・・・。 それとも・・・・。


ということで、今回は文字だけです。

 午前9時過ぎに阪急京都線に乗り、電車の中でどの街道にするか地図と
資料で検討する。
とりあえず四条河原町で降りるとすれば、その近辺は鳥羽街道があるし、
残暑の残る季節に鴨川の川べりを歩くのも悪くない。
 駅を出ると四条大橋のたもとがすぐ。橋の西南角にはレトロなビルの中華
料理店「東華菜館」がある。
ここはエレベータが蛇腹式の扉になっていて珍しい。上の階には鴨川を
見下ろすビアガーデンもあり、ここで生ビールを分厚い皮の焼き餃子(一人前
がたしか800円くらい・でもボリュームあり)で喉にながし込むとそれは幸せな
気分になれる。 分厚い皮から熱い汁が口に広がる。

と、そんな記憶を再生しながらもくもくと橋を渡った。 八坂神社へ向かう
観光客、南座(歌舞伎)の前の人だかりを横目に川べりへ降りていく。
 観光地の喧騒もそこでは気にならず、水鳥がじっと流れに足をさしている様子
を葦の間に間に見る。
五条大橋のあたりには西岸に木造三階建ての大きな古い旅館があり、
なかなか魅力的な宿だった。
「鶴樹」という屋号。 (対岸から3,4枚撮影)
まだまだ川べりの道は続いていたが、工事中のフェンスがあり川端通りへ
あがる。
おそらく街道は東側の東大路通だと思うが、この川べりの道は「師団街道」
の標識があったのでそのまま鴨川東岸を南下した。
 師団街道とは調査不十分だが、明治期に京都の東南に師団が創設され、
そこへ通じる道という意味の通称ではないだろうか。

(*伏見区深草田谷町にある聖母女学院の煉瓦造校舎がかつての
第16師団司令部であり、明治41年にこの地に移転した。
京都駅から師団司令部までを当時としては珍しい2車線の車道を設けた
ことから師団街道と呼ばれるようになった。)

JR東海道線の高架がかかるあたりで鴨川から疎水の流れが分岐している。 
疎水にそって行くと、福稲上高松町で天堂の工場を左手に見る。そこは東側
に100mほどで紅葉で有名な東福寺のあるあたりであり、こんなところにワー
ルドワイドな企業があったとは、ちょっと意外だった。
下高松町を東に折れると京阪奈良線、鳥羽街道駅がある。 駅前の道を橋に
向かって行く途中に古いレンガ造りの小さな倉庫があり、鉄道史上最古の◎◎
(失念)という看板があった。
当然ここでも写真は撮った。

橋を渡り、深草一ノ坪で東へ折れ、伏見稲荷前の街道へ出る。これが伏見
街道だろう。曲がる前の道をそのまま行くと地図には師団街道とあり、深草
塚本町に警察学校がある。
おそらく敷地のまとまった広さからいって、そこが旧陸軍師団跡と考えられる。

伏見稲荷大社はさすがに大きい敷地で、このあたりは門前市の雰囲気を
まだ残している。
古い歴史を感じさせる家屋が点在し、伏見人形 の伝統ありげな店があった。
土人形で独特の風合いがあるが、博多人形のような華やかさはなく素朴な
味で、街道筋でかつては伏見のお土産としてその店も賑わったのだろう。

このあたりは地図で見ても間口の狭い京都のうなぎ床とよばれる敷地が多く、
歴史を物語っている。
桃山町丹下で、カーブを描く広い国道24号線と合流し、街道風情はなくなる。

御香宮を右手に見ながら歩くが、出店があったり警備員が出ていたりでどう
やらお祭りらしい。
御香宮は「安産の神様」と看板にあり、用が無いのでお参りせずに先を急ぐ。

宇治川の手前は観月橋という。なんとも雰囲気のある橋の名前であり、この
あたりはすっかり団地に
占められているが、橋のたもとで宇治川を前に月を愛でるなんて、往時を偲ばせる。
宇治川はこのあたりで川幅が100m以上もあり、観月橋から川まで下を覗くと
ちょっと怖いくらいの高さである。
向島本丸町の国道の高架脇の側道で、祭りの神輿の一行に出会う。
ちょうど行き合わせたところで休憩にあたるのか、掛け声とともに神輿を担ぎ、
回し、お祭り気分がいっぱい。
しかも神輿の後ろからは馬にのった衣冠束帯姿の神主さんが続く。
これは御香宮の祭礼ということだった。 当然、ここでデジカメで写真のみならず
動画も記録した。

国道24号線を南下するが、向島ニュータウンが広がり、どうも街道の気配が
まったくない。
地図で見ても見当がつかず、帰ろうかと思いニュータウンを京阪向島駅へ
向かった。半ばまで来たところで団地の公園で休憩し、地図を開いた。
街道からは外れるが、宇治平等院がこの先にあり、京から向かう人もおそらく
このあたりの道を通ったろうからと、突然、目的地を宇治平等院へ変更した。
そうときまれば歩くのみ。
国道24号線の周りの様子が旧街道とはとても思えなかったので、そのまま
線路脇の道を南下する。

(詳細な地図で後日見ると、国道24号線はこのあたりで大和街道とあり、さら
に先の大川原で奈良街道となったり、また大和街道となったりと表示されて
いるので、おおかたこのあたりでは街道と重なっている様子)

午後2時を回りそろそろ腹ごしらえと、線路沿線のベーカリーショップでカレー
パンとシュークリームを買う。
公園が見当たらないため歩きながら食べる。 デザート付き、ごちそうさん。

徳州会病院を過ぎ、老ノ木の交差点を東へ行く。地図を見ると手前に小椋
神社がある。
京は太古には全体が湖であり、南の小椋池はその名残であるのは有名だが、
今は整地されて広大な小椋池の
姿はない。 もともと大きな池のあったところであったし、このあたりまで来る
と完全に京のはずれであるから、深草のあたりあような門前町や街道町の
ような風景が無くてもおかしくない。もともと人があまり住んでいなかった
土地だったのだろう。

道なりに進むと大きな工場があった。ユニチカだ。そこを過ぎるといよいよ
観光地 宇治の雰囲気が看板から読み取れる。 古い家並みの残る道を
案内する看板に誘われ府道15号線を南へ曲がる。
古い家並みの一角に銭湯を発見! ややっ行軍の末の風呂屋。それっ、
銭湯開始!と突撃するが、「本日閉店」。
気を取り直し宇治茶のお店でグリーンティーをいただく。 店のおばさんが
ガラスのコップを籐のお盆で「ごゆっくり」と言って差し出してくれた。100円也。
他に客もいないのでゆっくりできそうだが、乾いた喉は冷たいグリーンティーを
一息で飲み干してしまい、所在ないので、「ごうちそうさん」と店に入って2分
もしないうちに出てしまった。
 観光地の雰囲気に旅行者の気分を味わいながら宇治川の川べりを歩く。
平等院は学生のころ、滋賀県側大津から宇治川に沿ってドライブで来たこと
があるが、途中が山間の川沿いの道だったので、ずいぶん田舎に来たという
印象があったが、鳥羽街道沿いに来た今日は田舎という印象はあまりない。
同じ目的地でもたどる道が違うと、印象も異なるものだと漫然と思いながら
川べりの土手道を歩くと、垣根の向こうに10円玉の裏でおなじみの平等院が
見えた。 拝観料をケチって入らなかったのだが、土手から見るのが正解だった。

 中州を前に土手に座ってしばしの休憩。 前回ここを訪れたときに一緒に
いた人を思い起こしていた。
どこを一緒に歩いたのだったろうか、小雨が降っていたような、まだ肌寒さ
が残る季節だったような気がすると、ふた昔も前のおぼろになった古い
記憶をたどる。 途中の深草にも思い出がある。別の人だが、夏の日に
その人の実家の近くである深草に愛車のサバンナRX−7で迎えに行った
のが短い付き合いの始まりだった。 ばったりと偶然の邂逅をすることもなく
今日は通り過ぎた。
 一服しながら、川の流れを眺めながら、そうした『よどみにうかぶ泡沫
(うたかた)』を思い返していた。 日も傾いてきたので、京阪宇治駅から
電車に乗って夕餉の団欒の待つ我が家へ帰る。
『かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし』・・・か。




更新: 2021/5/25 リンク切れ修正