第11回 初瀬街道 阿保宿 - 松阪・六軒  2003年4月22日

 青山峠を越えて

阿保宿の伊勢慶旅館で一泊し、翌22日は朝食を摂り、
午前7時半に宿を出た。  <万歩計:0>
いよいよ今日は峠越え。しかも地図上では一日の行程が最も
長く、松阪市駅前のホテルまでを目標とするが、それでも到着
予定は20時を回る。
二次目標としては、初瀬街道の終点である六軒を目指したい。
往時の旅人の移動距離からいうと、阿保宿からは六軒の宿場
で泊まるのが順当であり、こちらの方が現実的。
平地に出てしまえば鉄道の路線が多く、山中さえ突破すれば
なんとかなる。


「みえの歴史街道」 初瀬街道 (12)伊勢地宿〜(14)七見峠 

(13) 阿保宿-A  (羽根〜青山町別府)

101) 大村神社への参道  (7:35)

この近くに参宮講看板200枚あまりを保存している旅館
たわらや清右ヱ門があるが、見落としてしまった。
創業300年近い老舗である。
こちらにも泊まって見たかったが、事前調査の手落ちで
チョイスに漏れてしまった。残念なのであえて探さず、
先を急ぐ。




近鉄・青山町駅へ向かう橋を渡り、国道165号線に入る。
 (7:43)










左: 98) 祠と常夜燈

右: 97) 道標
「左うゑの 右いせ道」

いずれも国道脇の歩道に面している。
木津川に沿って進む。

コンビニでおにぎり、餡ドーナッツ、
ポカリスエットを仕入れる。



(12) 伊勢地宿-B (寺脇〜青山町伊勢路

地図にない地蔵
 (8:14)










街道は中山トンネル迂回する左側の道。
当時は伊賀野中山、天狗岩と呼ばれていた。










93) 歌碑  (8:23)
本居宣長の菅笠日記より
「河づらの伊賀の中山なかへに見れば過ぎうき岸のいはむら」







(12) 伊勢地宿-A (寺脇〜青山町伊勢路)

90) 常夜燈  (8:37)
国道から街道は脇に入る。
見晴らしのいい田畑の農道を通る。
常夜燈の近くに善福寺がある。








国道165号線と再び合流するが、写真左側の道へ国道を
横断し、橋を渡りすぐ右へ折れる。










85) 常夜燈
文政11年(1823)
北山から山田方面へ通じる道の分岐点
に建つ。
地図では直角に曲がるが、間違い。
左側の写真で言うと、奥の方へ向かって
そのまま進む。


参宮街道の宿場/名賀郡青山町

84) とくだや の看板
伊勢地宿とよばれた宿場町の名残が
街並みに感じ取れる。
現在は旅籠として営業している家は
ない。
最盛期には旅籠が20軒軒を連ね、
初瀬街道中最も賑わった宿場といわれる。
現在は車の流れは国道に移っており、
ここを通過する車もなくひっそりとしている。





(11) 西青山  (伊勢路〜青山町奥鹿野)

地図右端で街道筋は国道165号線と合流している。
(9:00) <万歩計:7,415>

橋を渡る手前で街道は分岐するが、先の方で草に覆われて
消えかけていると地図にある。分岐の入り口からしてすでに
草に覆われゴミが捨て場となっていたので、そのまま直進。






(9:13)
写真右上手に見えるコンクリートは、近鉄・西青山駅手前の
鉄橋。
歩道は狭く、車はスピードを出しており危険。

(9:23)近鉄・西青山駅の側を通過する。
ここでハイキングの格好の老夫婦とすれ違う。
そのほかは車が通るのみ。




(9:31)
旧道の名残の道、200m程度、国道を迂回する形で残る。
東の端から振り返った道の様子。









(19) 青山峠 (青山町奥鹿野〜白山町垣内)

(9:50) 気温の表示は11度となっている。
歩いているので肌寒さは感じない。
地図では川沿いで両側に等高線が延びる谷間の道の
ようにみえるが実際は両側に山を見つつ、上り坂となっている。
ここでもステッキが活躍。
さすがに長い上り坂は息切れがする。






(10:10) 青山トンネルの手前
トンネルは直進し、青山高原別荘地へは写真奥の右側の
道をトンネルの上を通って行く。(県道512号線)

街道はその道を途中までたどり、ちょうどトンネルの上を
トンネルに沿って進む。
しかし、地図では直進のように記されていたので、旧道を
見落とし、別荘地の方へ進んでしまった。
実際の道路のカーブの形と地図上の様子がぜんぜん一致しない。
かなりいい加減に描いてあるので注意。


間違った道。
綺麗な舗装道路
につられて、地図
を信じて直進した。
山間からは三重の
平野部と海が見え
る。正面の町は津
市のあたりか。

地形と歩行時間から
言っておかしい。

別荘地に入ってしまい、いよいよ道を間違ったことを確信する。
上り下りのある道をまた戻るのはツライ。

ようやくもどり、見当をつけた道は、トンネル前の分岐から600m
ほど坂を上ったところにあった。
この場所はちらりと見て、ゴミ捨て場と思っていた。
草に覆われて、道というより、チェーンをつけるための路側帯だと
てっきり思っていた場所だった。
ここに戻ったのが、11:14。
実に道を間違え1時間もロスしてしまった。
今日の行程が一番長いというのに・・・・。


真ん中が道である。
うっそうと雑草が生い茂っている。
手前の県道は車は時折通るものの、歩く人はまったく見かけない。
迷い道で疲れたし、不気味だし、見つけてはいけないものを発見
しそうな雰囲気の道なので、いっそう降りて、トンネルを歩こうか
迷ったが、やはりこれがオリジナルの街道であり、分け入って
みることにした。

 ところが、不気味なのは入り口だけで、ちょっと入るとわりと歩き
安い道であり、舗装されていない、かつての街道の本来の姿を
留めている様子に気をよくする。

5分ほど歩くと
トンネルを出た
車の音が聞こ
えてくる。

騒音もこんな
ときには心強い。






(11:22) トンネル越えの道から国道へ合流する手前の
様子。
結局トンネル越えの旧道は分岐から10分ちょっとの道のり
だった。

ふたたび国道165号線を歩く。









(9)小峠  (白山町垣内)

(11:37) 白山トンネルの手前
トンネル越えの旧道が地図にあるが、入り口はチェーン
が掛けられ、「私有地に付き立ち入り禁止」の札が出ていた。
あの鬱蒼と木々の茂ったトンネルの上を歩くのも、気が向かず
あえて警告に従い、トンネルをくぐった。


地図では白山トンネルを出ると200mほどで国道から街道へ
分岐する。




トンネル越えの道が国道と合流するあたり。
そこからさらにくねくねと曲がった旧道が地図にしるされている。
まさか、この木々の間が旧道か?
斜面だし、道らしいものはないが、崩れているのだろうか。
しばし、ここの木々を縫って進むべきか、べつの旧道入り口を
探すか、ズルして国道を歩くか迷う。

それにしても遭難しそうな森の様子である。
よく観察した結果、これは通行できないと判断し国道を行くこと
にした。
(11:57) ちょっとここで小休止。


(12:02)歩き出してすぐに路側帯のような場所が現れた。
青山トンネルで街道を発見してから、路側帯状の場所が
怪しいことを学習したので、さっそく入ってみる。










(12:02)
両側は草が覆っており、ここでも草むらを分け入ってみる。
アスファルトが続いているのは道路である証拠だ。
国道165を右手に見ながら、旧街道を分け入っていく。









(12:05)
100mも行かないうちにアスファルトは無くなる。
両側は斜面になっており、道は一部崩れて幅が1mにも満
たない。車は通れない。
この先もこんな崩れた道がつづくのか、はたして途中で行き
止まりになるのではないかと思うが、どれくらい前か分からな
いがひどく古そうでもないわだちの跡があるので、まったくの
廃道というわけでもなさそうである。

旧街道は左手の方へ続く。
曲がってしばらく行くとゴミがまとまって捨ててあった。


(12:06)
落葉が土になりかけている。人が最近歩いた形跡はない。
森の中だが割りと明るい。
オリジナルの街道風景というのはこういうものかと、本物の
街道風景を味わいながら往時の旅人の心境になってみたり
する。

山賊、追い剥ぎは、こういうところで出たのだろう。





(12:10)
小枝がやたらに散乱している。 このあたりから直径20cm
くらいのそこそこの太さの木がそこかしこに横倒しになってい
る。 切り口は滑らかなので、自然に倒れたものではない。
このあたりの木は植林され管理されているのだろう。
間引きした木と、下枝払いで落とされた枝と判断。
現在では林道となっているのだろう。






(12:16)
こうしたカーブのある、つづれ折の道が幾重も続いている。
ぬかるみに気をつけつつ進む。


76)八重坂







(12:27)
普通、道がこういう状態だと、恐れをなして引き返すが、
ここまで来た初瀬街道街道である。前進あるのみ。
雑草の中をぬかるみに気をつけながら分け入る。

手足の無い例の爬虫類(文字にするのもおぞましい)に
てきめん弱いので、奴等の活動時期でなくてよかった。






(12:37)
雑草で覆われている場所はそれほど多くなく、だいたいは
このような歩きやすい道だった。
左手は沢になっていて幅50cmほどの小川が流れている。








(8) 垣内宿-B  (白山町垣内〜白山町上ノ村)

(12:41) 垣内宿への入り口、花山橋へ出る。
けっきょく林道の区間は約40分ほどだったことになる。

74)石仏は橋のしばらく手前にあるはずだったが、見つけら
れなかった。








(12:47)
常夜燈 地図には載っていない。
垣内宿へ入るはじめの方にあった。

垣内の読みは「かいと」である。
初瀬は「はせ」だし、とかく古い地名は一筋縄ではいかない。







(12:52)
かつては参詣の旅人で賑わった垣内宿の街並み。











(13:12)
70) 常夜燈
ガードレールの向こう側は垣内川が流れる。
常夜燈の側で小休止。おにぎり1個と揚げアンパンを
食べる。
一度休憩すると次に立ち上がるときに股関節から下の
両足がこわばってうまく歩けないが、しばらく酷使すると
また言うことを聞いてくれる。
昼過ぎの時間にすでに足が痛むのに、この日はまだまだ
行程の半分程度に過ぎない。




常夜燈そばの案内板
30軒以上の家が記されており、
その多くは旅籠や木賃宿であった
と思われる。

往時賑わったこの宿も、すれ違った
のは選挙カーとおばあさんひとり。





(13:15)
地図の中心からやや左の位置にある、国道165号線との合流
位置。
手前の細い道が垣内からの道。
向こうにローソンが国道沿いにある。








(13:28)
10分ほど国道沿いに歩いた後、南側へ分岐した道を街道は
入る。










(13:33)  常夜燈
地図には記載なし。
68)慈恩寺 境内にある。 享保の文字がある。
後ろは山の神など。










(13:38)
再び国道に出るが、横断して、道なりに真っすぐ進む。
横断してすぐの場所に成願寺の赤い欄干が見えてくる。










(13:40)
66) 成願寺

手前の川は垣内川ではなく、別の川。
この先の下流で他の支流とも合流して大村川となる。








(13:40)
65) 常夜燈  天保15年(1844)

成願寺のそばにある。











(7) 中ノ村  (上ノ村〜白山町岡)

(13:53)
64) 常夜燈
写真後ろの金網はゴミ捨て場所。
立派な常夜燈なのに。
歴史的な資産という認識が欲しいところだ。

道標や常夜燈はただの石垣とは違うことを地域の人にもっと知って
もらいたい。







(14:04)
 国道165号線から写真右手のわき道が旧街道。
折れてすぐの道を東へまた曲がる。
道幅はトラクターが通れる程度の農道。








(14:06)
 狭い農道だが、車が通らないので気楽。











(14:15)

57) 常夜燈 慶応3年(1867)










(6) 二本木  (白山町閑城 〜 白山町亀ヶ広)

(14:21)
手前:初瀬街道垣内宿
向こう:大三(おおみつ)
左: 国道165号線

農道の交差点にあった。







(14:23)
54) 山の神











(14:29)
50) 常夜燈  天保4年(1833)
街道南(右手)側。
寄進者の名前が太一と刻まれている。









(14:33)
48) 旅籠 角屋
営業はしていない。
二棟にまたがり、なかなか大きい旅籠。
街道の機能が国道165号線になり、徒歩で旅行する人も
珍しい今では、このあたりで旅館業は無理な話だろう。
建物だけでも惜しい気がする。






49)旅籠 丁子屋
角屋の向い側にある。
安政4年まで旅籠。以後醤油屋。










(14:38)
この先からは国道は近鉄線の線路のあたりと重複し消滅
しているので、道を右(東南)へ折れる。
左は線路へ続く。
電車のクリーム色の車体が小さく見えている。








(14:53)
相変わらず道は細いが、車の往来も少なく並木が綺麗な
いい散歩道。
この後、雲井出川の土手の道となる。



































(15:02)
赤岩橋の見える堤で小休止。
この細い土手道が初瀬街道であることが標識で確認できる。
このあたりは、看板によると「亀ヶ広の桜」として桜の名所の
ようだ。 確かに沿道にかなりの距離に渡って桜が続いており、
2週間前なら満開で見ごろであったろう。
いい加減に足が痛いので、20分ほど靴を脱いで休憩する。
松阪市はまだ遠い。
地図では家並みが分からないが、平地なのでもっと家が建って
いて、人通りも商店ももうすこし多いようなところを想像していた。
川べりの道のあいだ、民家はなく人通りもほとんど無い。
のどかな川沿いの道。




(5) 大仰  (一志町大仰 〜 一志町井関)

(15:35)
46) さかさ地蔵
川べりの道。山側にある。










(15:52)
田んぼの土手でダンボールそりで遊ぶ地元の子供たち。











(15:56)
大仰橋を渡る。
地図では山のすぐ向こうにJR名松線・井関駅がある。
駅のすぐ近くの集落なので、もっと戸数が多いと思っていたが、小ぢんまり
した集落だった。










橋の真ん中から上流を望む。












橋を渡ってすぐの場所。
信号機の下の住宅の前の道が旧街道。
車道を横断し、脇の道へと入っていくが、700mでまた
合流する。









(4)井関  (井関 〜 一志町八太)

(16:20)
33)常夜燈
明治時代のもの
県道58号線の脇にある。









(16:40)
地図中心部左よりの箇所で分かりにくい分岐がある。
左方向が県道15号線、右方向が県道58号線
街道は右方向。
大型書店の建物を過ぎると大規模なドラッグストアがあった。
リポビタンDでドーピングし、関節と筋肉の痛み止めにバンテリン
(塗り薬)を購入。  (ドラッグ モリヤマにて ¥988)
今晩、ホテルで足腰に塗るのが楽しみ。
楽になりたい。
と、思いつつ一歩一歩、歩を進めるのみ。



(17:00)
<万歩計: 44,636歩>
近鉄河合高岡駅前で県道は逆V字型にカーブする。
左はカーブしてすぐの駅前の様子。
左手に電車の電線塔が並んでいる。

街道は右側の細い道を行く。
まだ、残りの距離から言って、20時までに松阪駅前までたどり
つくのは難しいし、足の具合から行って、あと3時間程度が限界
だろう。
このあたりで、地図を確認し、本日のゴールを松阪市・六軒の
最寄駅である、伊勢中原駅とする。

青山トンネルの上の街道探しで、道にまよって別荘地に迷い
込んだあの1時間が悔やまれる。
股関節、ふくらはぎを重点的に足全体が痛むが、ひたすら足を
前後させて、少しずつ前進する。
こういうときは遠くの目標を目指すというより、50cm向こう、1m
向こうに足を置いていくことをただ繰り返すだけ。

(17:13) 八田橋
菅笠日記に出てくる橋。






(3)宮古  (一志町片野 〜 嬉野町小川)

左(17:21)

右(17:28)
伊勢自動車道の
高架をくぐる。








(18:05)
小川橋までもうすこしのところ。
日が暮れかかっている。
みえ歴史街道地図がなければ、こんな道がほんとにかつての
街道だったとは推測できない。
道標、常夜燈は街道に導いてくれる貴重なものだが、左のよう
な標識もありがたい。
地図があるから分かっているものの、初瀬街道と表示されてい
とほっとする。




(18:14)
小川橋手前の
田園に夕日が
照る。
田植えの時期で、
水の張った水田
に映る茜色が美しい。






橋を渡って振り返った様子。
旧街道の橋は現在のものより東よりに架かっていたという。
対岸から直線で伸ばしたあたりの道を入っていく。

現在橋は付け替え工事中で、仮設橋のため地図上での
街道の入り口の位置関係が迷いやすい。







(18:27)
20) 常夜燈

常夜燈を見つけて街道をそれて
いないことを確認する。
それにしてもちゃんと明かりが点いて
いる。
本当に常夜燈だ。
ありがたいありがたい。
足も疲れて、日も暮かかり、心細い
黄昏どきに、常夜燈の明かりは旅人
に安らぎを感じさせるものだと実感する。
(2) 小川 (中川 〜 嬉野町権現前)

(18:31)
旧街道の道。 そう言われないと分からない普通の道。
道なりにそって直進していく。










(18:32)
17) 常念寺
鐘撞堂が見える。
街道は交差点を渡り、寺の左手の道をさらに直進する。









(18:36)
13)西方寺











(18:40)
西方寺から200mほど進んだところで道が二股に分かれている。
道標はない。
この分岐は写真では左手、東方向の道が旧街道。
左へさらに進む。
さっきまで明るさが残っていたが、急速に夜が訪れようとしている。







(18:43)
12)常夜燈
昭和6年(1931)のもの
常夜燈は地元の有志が寄進するものもあるが、伊勢に近づくに
連れて寄進された常夜燈が増えるように思う。
道中で難儀した経験によって、篤志家や講中が寄進したのだろう。
常夜燈にはそのものだけを寄進するのではなく、ろうそくや油の
費用もまかなえるように一定の田畑も合わせて寄進されたという。
現代でいば、街灯を役所に頼らず庶民が自腹で作っていった
ようなもの。 

(1) 津屋城  (嬉野町竜王野 〜 松阪市六軒町)

(19:15)
7−2) 常夜燈
明治時代のもの。 電球とはいえ、ちゃんと明かりが点いている
のがありがたい。
常夜燈の明かりは周囲を照らすというより、歩く人が道を間違え
ないようにする道しるべの役割を夜間にも果たしてくれる。







(19:27)
近鉄 伊勢中原駅に到着。
ここから二駅目の松阪駅前のホテルに行き、明日はまたこの
場所から開始して、初瀬街道と伊勢街道の交じり合う場所まで
たどれば、初瀬街道の踏破は終了し、引き続き伊勢街道の
Walkingとなる。

<万歩計: 56,223歩> 自己最高記録
孝子峠越え街道は25kmほどあったが、そのときでこの歩数の
半分くらいだったから、今日は40km〜50km歩いたことになる。
これで往時の旅人の、一日に歩く平均的な距離だというから
参ってしまう。

運良く数分で電車が来た。ふた駅目で降りて駅の東南方向へ10分ほど歩いた
ところに、スーパーホテル松阪がある。 20時にチェックイン。
バストイレ付きで必要かつ十分な設備で、まだ建物も新しい。
これで税込み朝食付きで ¥5,040。

宿泊料は、チェックイン時に支払う。この日は平日にもかかわらず満室。
今晩は疲れているものの、まだ松阪牛を食べることと、ホテルのコインランドリー
が22時までなので急がなければならない。

とりあえずユニットバスに浸かり、食後にまたゆっくりと浸かることにする。

ホテルの駐車場の敷地内、道路に面したところに焼肉”一升びん”という
チェーン店があった。 もういくらも歩けないのでステッキにすがりつつ駐車場を
渡った。


ロース、中ミノ、ご飯(中)、ビール生中 という中ばかりだが
黄金のコンビネーションでオーダーする。
炭焼きコンロで焼く。
肉にもとろりとした赤味噌たれがかかっており、おなじものが
たれ皿にもある。

関西の焼肉タレは、わりとあっさりしたものが多く、肉本来の
味がちゃんと分かる。 しかし、このタレは味噌の味が表に
ですぎて、タレだけでもそのままご飯に乗せて食べられる
くらいのものだった。
味噌味はきらいではないので、それなりにおいしくいただく。


三重は、言語は関西弁だが、食事は名古屋の影響が強いこと
を発見。 京、大坂と人の行き来は多いものの、食材の輸送は
やはり名古屋も含めた東海地方の物流圏内だったということか。

言葉と味覚の比較をぼんやりと考えつつ、食事を終えた。
さあ、つぎは洗濯だ。

ここでの会計は ¥2,360 だった。

ホテル内でのその他の支出は、
ビール¥250、コインランドリー¥350
本日の合計支出は9千円程度。


風呂にまた入り、翌日のルートチェックと装備の整理をして、23時を回ってからようやく
就寝する。
今日はよく歩いた。。。。。


* お伊勢詣りルート (六軒から古市へ)




更新: 2021/5/25 リンク切れ修正